「半自伝的エッセイ(16)」詰将棋か詩か
チェス喫茶「R」にはずば抜けてチェスが強い二人がいた。二人とも別の特技を持っていた。特技と言っていいのかわからないがここでは特技としておく。
一人は齋藤さんと言って、詰将棋の世界で知られている人だった。それまで詰将棋と言えば私は解くものだとばかり思っていたが、齋藤さんは作るほうに腕を発揮するらしく、詰将棋の専門誌の出題常連とのことだった。
齋藤さん曰く、「チェスは詰将棋である」。
定跡から入る対局はほとんど詰み(メイト)まで研究できるという。実際に齋藤さんは相手が何を指してもすでにその先の先まで知っているらしく、ほとんどノータイムで指す人だった。
もう一人の勝俣さんは、某大学の文学部で教えている先生で、専門が英詩とのことだった。ある時、勝俣さんが大学の授業風にホワイトボードを使って詩とチェスの関係を説明してくれたことがあった。
「たとえば、この語はもう少し後の別の語を呼び出すために置かれています。チェスで言えば布石のようなものです」
とか、
「詩にも定跡があって、それらはソネットとか呼ばれるものですが、初めの数行はチェスの定跡と同じようにゆっくりと流れますが、途中、急激に変化します。それは言ってみれば、チェスの中盤以降のどちらかにメイトが見えるような局面です」
などと説明してくれたが、私にはよくわからなかった。ただ、チェスにもリズムがあることはなんとなく感じていた。形勢不利と自身が判断している局面では必ず自分のリズムが崩れた。
どちらかと言えば、当時の私には「チェスは詰将棋である」という齋藤さんの言葉がしっくりきた。齋藤さんに倣って私も深く深く先の先まで手筋を研究することに没頭した。今のようにパソコンで研究するということができなかった時代だから、安物のマグネット式の小さな盤駒で研究した。
ある時、ナイトのいくつかが盤面によく張り付かなくなっていることに気づいた。盤面のどこに置いても付きが悪いので、駒の底にある磁石が弱くなってきたらしい。駒を裏に返して見てみると、少し錆びているようだった。その原因を考えてみた。思い当たるのは、ナイトは比較的早く交換されることが多いようで、盤上から取り除く際に磁石を指先で触っているから錆びたのではないか、ということだった。
確かに実際に対局していてもナイトは序盤で捌き合うことが多い気がした。ふと思いついて、ナイトの研究をすることにした。早くに盤上から消えた場合や中終盤に残っていた場合、白黒どちらかのナイトがビショップより多い場合など、さまざまな例を検討し出したらキリがなくなってしまった。それが棋力の向上に役立ったか役に立たなかったかは自分では今もってわからない。
しかし近年になってネットで対局するようになると、勝俣さんの言葉がよく思い出された。チェスにも流れというかリズムというかが必ずあることが強く体感されるようになってきた。今の流れは自分だとか、相手に流れが行っているとか、感じられる。それは経験からもたらされる体内評価値のようなもので、流れが自分であれば積極的に踏み込んだり、流れが相手の場合には局面を複雑にして相手を悩ませて時間を使わせたり、昔と比べると緩急をつけた対局ができるようになっているかもしれない。若い時にはわからないこともたくさんあるものである。もっとも、歳をとればとったで別種のわからないことが出来するのだが・・・。
文中に登場する人名等は全て仮名です。
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