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「半自伝的エッセイ(40)」c3(シーサン)→微分みたいなチェス

気になる局面や手筋があった時など、私は明け方まで安物のマグネット式のチェス盤上で、ああでもないこうでもないと駒を動かしていた。そんな生活をしていたから、起きるのが昼になったりすることも珍しくなかった。

不思議なもので、朝ちゃんと起きた日にはそんなに空腹を覚えないのだが、昼ぐらいに起き上がると妙にお腹が空いていた。アパートの部屋には冷蔵庫に牛乳ぐらいしかなく、ほかにあったとしても冷蔵庫の上に食パンが数枚残っていれば御の字で、ひどい時にはパンにカビが生えているという有様だったから、昼すぎなどに起きた時には、線路の反対側まで少し歩くものの、営業時間中ずっとモーニングサービスを提供している喫茶店に赴くことがよくあった。

ある時、その喫茶店でモーニングセットのトーストやゆで卵を食べながら、雑誌を読んでいた。すると、近くから「藤井君」と囁くような声が聞こえた。雑誌から目を上げたが、声の主は見つからなかった。空耳かと思ってまた活字に視線を戻すと、「こっち」とまた聞こえるかどうかの声がした。「こっち」という声がしたのはどうやら私の左側のようであった。

そちらに首を向けると、女性がこちらを向いていた。私はそもそもあまり人の顔を憶えるのが得意ではない自覚があり、その女性にも見覚えがなかった。だが、その女性は「藤井君でしょ」とやはり囁くような声で言った。

「そうですが、えっと、どこかで?」と、私はそう尋ねながらどこで会った人なのかと必死で思い出そうとしていた。私の左隣に座っている女性は、おそらく年齢は三十代だろうと見えた。もしかしたらチェス喫茶「R」で盤を挟んだことがある人なのかもしれないとかすかに思ったが、どうにも思い出せない。

女性は少し悪戯っぽい表情で、右の手の平を口元に当てた。
「わからない?」
そういわれてもまだ誰なのかわからなかった。
女性は今度はイスに置いてあったバッグの中に手を入れるとなにやら取り出した。それを手に取ると髪を束ね、そしてまた口元に手をやった。

やっと私は思い出した。歯医者の先生だった。病院では髪を後ろで束ね、マスクをしていたから顔全体を見たことがなかったので、まったく気がつかなかった。

「ここ、よく来るの?」
「はい」
「学校は?」
「やっているとは思います」
「行かなくても?」
「もうだいぶご無沙汰しています」
「そうなの」
先生の話し方は、なんと表現していいのか、どこか倦怠感が漂っていた。治療を受ける際もそうだったから、いつもこんな話し方なのだろう。
「なんの本?」と言って先生は私のほうに体を寄せ、手元の雑誌を覗き込んできた。私が読んでいたのは郷田さんからもらったソ連のチェスの雑誌だった。相変わらずロシア語はまったくといっていいほど読めなかったが、局面図と符号があれば、書かれていることはほぼ想像ができたから、わざわざロシア語を勉強するという気にもなれなかった。
「それ、何語なの?」と先生は私に尋ねた。
「ロシア語です」
「ロシア語ができるの?」
「読めません」
「読めないのに読んでるの?」
私は事情を説明した。
「じゃあ、c3(シーサン)」と先生は言った。それは先手がポーンを初形からひとマスを上げる手の符号なのだが、かなりいい筋だった。
「先生はチェスをやるんですか?」
「全然」
「じゃあどうして今、符号を」
「だって、そこにそんな記号がたくさん書いてあるじゃない」と言って先生は雑誌の紙面を指差した。続けて、「c3(シーサン)はもう手遅れの虫歯のこと」と言った。
「なるほど」と私は応えた。
「放っておくとc3(シーサン)になっちゃうよ」
「え?」
「左上の奥」
そう言われてみると、親知らずを抜いた後に、左上の奥のその歯も治療が必要だと指摘されていたことを思い出した。
「暇そうだから、ちゃんと来るように」と言って、先生は店を後にした。

そのことがあってから妙に左上の奥歯が気になり出した。痛むわけではないのだが、冷たいものを飲むと何だか沁みるような気がしてきた。せっかくというか、どうせならというか、治療してもらうことにした。治療自体は一時間も掛からずに終わった。
「ねえ、チェスを教えてくれない?」先生は治療を終えると言った。チェスを教えるのはお安い御用であったが、急に言われたので診察台の上で天井を見上げながらややぽかんとしていると、
「だめ?」と先生は私の顔を上から覗き込みながら重ねて言った。
「いや、喜んで」
「よかった」
病院は一時から三時までが昼休みというのか休診だったから週に一度か二度、その時間にサンドウィッチなどを二人で食べながらチェス盤に向かうことになった。先生はかなり飲み込みが早く、始めたばかりの人は符号を言ってもすぐには対応できないことが多いが、二週間もすると符号だけで何手も先の話をできるようにまでなっていた。歯医者さんは普段から記号を使うためだろうかと想像したが、先生は「関係ないわ」とすげなく言った。

二ヶ月もすると先生は私と互角とまでは言えないものの中盤あたりまではほとんど隙なく駒組みができるようになっていた。
ある時、「チェスって面白い?」と先生が尋ねてきた。
私は少し答えに窮した。チェスを覚えてから一年ぐらいは夢中で研究していた。学べば学ぶほど強くなる期間だったのだと思う。しかしそれからは序盤のポーンの位置の取り方であったり、マイナーピースのどちらで対応するのが最適か、あるいは受けと攻めのどちらを優先する手順がいいのかなど、終盤を見据えた実に深淵な研究が必要になり、それをしないことにはこれ以上強くはなれないところまでくると、チェスが楽しいのか苦痛でしかないのか、自分でもわからなくなっていた。
「そうよね、切りがないわね。まるで微分みたい」
本当にそのとおりだった。一体どこまで研究すればチェスの研究は終わるのだろうか。どこまで細かく切り分けていっても果てが見えなかった。
「ずっとチェスをやっていくの?」
「どうなんでしょう。自分でもわかりません。先生はこれからもずっと歯医者さんですよね?」
「どうかな? わからない」
「どうして歯医者さんになりたいと思ったのですか?」
「歯を見るとその人がわかるから」
「どういうことですか?」
「うまく言えないわ」
「ちなみに僕はどうですか?」
「噛み締める癖があるから、難しいことをいつも考えている人」
「そうなんですか?」
「少なくとも歯を見る限りは」

先生は人を知りたくて歯医者さんになった。では私はなにを知りたくてチェスをやっているのだろうか? そんな大いなる疑問が湧き上がってきた。ただの暇つぶしだろうか? そうだとも言えた。暇つぶし以上の何かがあるのだろうか? そうだとも言えた。ただし、その何かがなんであるかはわからなかった。


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