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性と心理学【フロイトとライヒ】

性と健康
レゾナンスタッチセラピー
クリシュナきみえです




心理学者、精神科医で精神分析の創始者として心理学の代表的なフロイト



彼の説いた基盤は「リビドー(性欲)」と抑圧、転移、願望、不満、、、


幼児期を含む「性」の再定義から、有名なエディプス・コンプレックスの理論が演繹され、それは精神分析学の中心的教義となった(by Wikipedia)

社会的抑圧からの性の解放を唱えた〈性革命〉理論の心理学者のウィリアム・ライヒ

性格に関する研究は、アンナ・フロイトの『自我と防衛のメカニズム』(1936年)の発展に寄与した。人は性的本能と外界に対して自己を防衛するために「性格の鎧」を着ると考え、性格分析を確立した。また、身体的要因に注目し、心的外傷体験(トラウマ)が身体を鎧のように強ばらせ、浅い呼吸に陥らせることに気付き、「筋肉の鎧」(身体の動きにおける性格の表れ方)という概念を作り、身心相関の考えに基づいた革新的で実践的な身体精神療法(英語版)の諸技術の誕生に影響を与えた(by Wikipedia)


私が行っている「まじめなセクシュアリティ心理学」はライヒの概念が基になっていた(元々、心理学と根本裕幸先生や自分の経験などが合わさってできたものでライヒの存在は後から知ったのだけど)


始めに断っておきたいのですが「性」というのとどうしても性行為などの性的なイメージをすると想います
私たちは「性=人前で公に言うと恥ずかしいもの、隠しておくもの」とどうもネガティブなものを刷り込まれています


でも、本来「性」は私たちが生まれた根源であり、生きている証拠とも言うべきものです

古代の人間たちは性に対して抑圧はしてませんでしたし、罪悪感もありません


罪悪感などを植え付けて支配しやすい社会をつくった人たちがいたんです


文化の進化と共に、人間がつくった宗教や歴史、支配システムの構造に社会がなっていった先に逆転していったのです


そして精神的におかしくなって先にできたのがこういった学問でしょう


きっと学問はもう一度人間たちが進化する反面の退化をしていくからこそ必要になったものなんじゃないかと感じています


頭、思考が優位になった現代人は学問を通してまた感覚と生命について学び返し、性に関しては改めてそこを閉鎖されたものを開いていく、というプロセスを体験しようとしているのか、なんて想います


ライヒの考えは時代的には受けれられず牢屋に入ってしまいましたが彼の存在は必要だったんです
違いが分からなければ、つまり反対のものがないと比較して確かめることができません
人間は陰と陽、両極があるからこそそれらを感じることができるのです


ということでいまの時代に必要なことを個人個人が体験することが必要です


私は「性」が改めて健康に直結していると13年以上のケアルームでのケアの経験と自分の病氣の経験から実感しましたのでこれを伝えています


私自身が自己否定、婦人科疾患、生きづらさ、性被害、セッ*クスを通して女性として、人間として生きること、この自分で生きていいんだという自愛に至り、素の自分で生きれる自信と生きることへの悦びと幸せを感じられるようになった経験があります


心理学を通して「性」を理解することは「生命」について知ることになります
私自身、心理学、瞑想を通して自分の子孫や親子関係が改善することになったんです



性と愛


これは男女の恋愛以前に親子の愛、つまり個人が生きるベースとなる「愛着」「愛情」に直結するものです
このことはタッチケア、オキシトシン、皮膚感覚科学にて学んで見るととても理解が深まります

人間にとって「触れ合い」は生きる糧となるものなので子供の頃は親、成人したらパートナー、子供、孫、、、と一生誰かとのスキンシップは心身の安定、健康に不可欠なのです



抑圧


子供の頃に抑圧した感情はずっとしまいこまれています
しかし、この抑圧こそが精神的障害となります

抑圧をすればするほど逆にそれを歪んだ形で出現させるようになります

不自然な循環だからです


これは特に「性」で起きやすい
自分を肯定しにくくなる


・人前で話してははしたない→怒られれば罪悪感が生まれます
・タブー→恥ずかしいことだと教えたら隠そうと抑圧します
・性器をいじることで怒られる→ここは汚いところ→私は汚い人間なんだと無意識に認知します


性教育では「妊娠しないように」「性病にかかるからやるな」とまず教えられますがそういった間違った教育が間違った社会と結婚生活、人生の歪みになります

「ダメ」と抑圧すること、そういう雰囲氣を出すこと、空氣を読ませる(忖度、マイクロマネジメントなど)というのは
あなたがしたいことやあなたで在ることを否定し、抑えろ!と強制されていますから自分を否定されて孤立しないよう、親に捨てられないように、社会から孤立しないようにします

性を抑圧すると逆に性的な犯罪が増えます
風俗が犯罪を減らしている、という人がいますがそれは後付の都合のいい言い訳です

私は風俗はないほうがいいと想っています(急になくさずに徐々に減らさないといけません)というか、本来のセック*スをみんなが知って幸せなまぐわいが増えたら風俗へ行く人がいなくなるでしょう

逆に本当に人間たちが愛のあるセック*スをする、ことで風俗は不要になります
性を抑圧しているから精神的に不安定になり、なにかの依存症、犯罪、ドラッグ、性風俗、暴力団、、、という社会ができあがるのです


そこで得をする人がいる(偏った裕福な層がある社会です)

本来は分かち合うのが人間です
性は支配者たちにとってマインドコントロールするには手っ取り早い方法なのです


性を解放したら幸せになる人が増えて、不幸が人が減ると困る人達がいます
お金儲けがそれではできません
性風俗、セック*ス産業、セクシャルな映画、ポルノ、セクシャルウェルネスすら怪しいのです

病氣を治すことが産業になっている世の中においても戦争も人々が幸福になってしまっては困る


彼らは本来のセック*スを全く別の次元のものにしてしまっています(ここが一番の問題でここに氣づく時代なんだと想っています)


性の解放は自分自身の解放であり、性的なことやわいせつなことを増やすことでは決して在りません



これは自分の中でも起こることです


瞑想家のOsho(ラジニーシ)は性に肯定的でしたのでライヒ同様、避難されたり国外退去を強いられたりしました


性を抑圧された国、日本も戦後GHQによって混浴が禁止されたり、色々な制限をされてきました

性を否定的にしている限り、私たちは自分自身を受容できません

性のことが健全的に理解、体験できることで人間の精神的な歪み、不健全な世界は終わることでしょう



まじめなセクシャリティ心理学
2024年1月14(日)13:00〜15:00
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