不思議な夢。

昨日見た夢。
父親とその大学の同級生、その家族数人と今回のコーヒーショップ失敗について話していた。
父親がコーヒーショップを引き継いでやってみる、なんていう話も出ていたのがいま振り返ってみると少し可笑しい。

起きたときに気分が悪かったかと言えば、そんなこともない。
むしろ、これをきっかけに今回の失敗についてしっかりとまとめ、何が良くなかったのかどうすれば少しでも良くすることができたのか、改めて記録しておこうと思っている。

一昨日の面接の結果について、昨日のうちに知らせが来ないかと淡い期待を抱いていたのだが、この夢を見て「まだ先にやるべきことがあるぞ」と諭されたような気分である。
採用されるされないに関わらず、確かに先に考えておくほうがいい。
受かっていたとしたら気分が浮かれて失敗を省みることはできなかっただろうし、落ちていたとしてもここでの反省は次への糧になる。
昨日のうちに連絡が来なかったことがむしろ良かったのかもしれない。
そんなことを示唆してくれる、不思議な夢だった。


話は変わるが、最近読みたいと思う、あるいは面白いと思う本の種類が変わった。
以前は自己啓発本やビジネス本から、自分の悩みに当てはまりそうなものばかり読んでいた。
夢の叶え方、話し方や伝え方、お金の話…
どれも読めば面白いし、ハッとさせられることも多い。
ただ、最近はそうした本が「うるさい、そんなことはわかってる」と感じてしまうようになった。
心が疲れていることもあるのだろうが、中学生くらいからそうした本に触れ続けていて、読んでいるなかで「また同じことを言うんだろうな」という興醒めのような気分になってしまっているように思う。

もちろん謙虚な姿勢は大切にしなければならない。
ただ、最終的に問題を何とかするのは自分であり、ある本を読んでそのやり方をそっくり真似して上手くいく確率は高くない。
本の中にあるエッセンスを少しずつ吸収して、自分のものにするというのが正しい読書ではあるだろうが、そんな自分を作り上げるにはもはや本を一冊書き上げるような努力が必要とも思われる。

これに対して、最近気に入っているのはエッセイや短編小説だ。
明確に何を伝えたいのかはわからないけれども、どこか深いメッセージ性を含むようなものだと特にいい。
読み手の感性を試され、読み終わっ後にモヤモヤが残るような、少し「わかりにくい」ものを自分なりに解釈する。
そして何度も何度も読み返して、もっと自分のものにしたくなる。
ハードカバーで二千円近くするものだったとしても、こんな本であれば買って良かったと思える。
「文芸」とはよく言ったもので、読み手に解釈を委ねるような書物は、芸術の域に達するものだと認識させられる。

この点で、含蓄の深い小説、少し昔の映画、あるいは絵画や彫刻などの芸術も、情報の海とは疎遠な世界で自分を作り上げる手助けをしてくれる。
アナログから得られるもので、デジタルに塗れた世界を生き抜くための術を磨く。

昨日の夢も、そんな何かを与えてくれるきっかけだったのかもしれない。
不思議さひとつひとつから、その意味を見出せるように。

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