多様性の時代のショーで美とは何かを考える〜ヴィクシーショー2024〜
2024年10月15日(現地時間)に、アメリカ・ニューヨークで開催さた【ヴィクリアズ・シークレット・ファッションショー(以下、ヴィクシーショー)】が、YouTubeで配信されたと聞いて見てみた。
2018年以来6年ぶりの開催となる今年は、多様なサイズ、多様な年齢、多様な人種のモデルが出演することで話題になっていた。
男性目線によりがちな、美しいプロポーションの若い白人女性だけを起用して物議を醸していたヴィクシーショーが、6年の時を経て、多様性の時代の美に挑戦した意味深いショーだ。
そして、初の日本人モデル↓
そして、トランスジェンダーモデル↓
今回、人種とトランスジェンダーに関しては、考察が広がり過ぎるので省く。
素晴らしい演出のステージでは、全てのモデルが輝いていた。
それは、プロによるヘアメイクや演出の効果が絶大だけど、それだけじゃなかった。
若くてスレンダーな美しいモデルは、文句なしに美しい。
自分の努力の成果を、自信を持って表現している姿が、本当に美しい。
でも、面白いというか趣きがあると感じるのは、プラスサイズのモデルや50代モデルの方だ。
プラスサイズのモデル達は、堂々と歩いてはいるものの、微かにはにかみのようなものが感じられて、そこがキュートだと思った。
彼女達は、同じステージにいるスレンダーなモデル達と、自分を比べたりしただろうか?
私は私!これが私!と思っていても、目の前にある圧倒的な美のパワーはエゲツないものだ。
以前、あるイベントで、アニメの女性声優アイドルグループが出演していて、娘と「意外と可愛いね」なんて話していた後に、スペシャルゲストとして女優の桐谷美玲が出てきた瞬間、場内がウワッとなって、その輝きのオーラに圧倒された。
さっきまで可愛いと思っていた声優アイドル達が、あっという間にかすんでしまった。
それくらい、磨き抜かれた美というものには圧倒的なパワーがある。
でも、プラスサイズのモデル達はすごくキュートだったし、50代のベテランモデルの貫禄は、また違った魅力に溢れていた。
そこでようやく、「ああ、比べるものじゃないんだなぁ」と気づいた。
多様性の時代というのは、比較しないという大前提があるのだから、それぞれの魅力を発揮し、感じればいいのだと思った。
64歳の私からすれば50代なんてまだまだ若いし、いくら中年とはいえ、鍛え続け、磨き続けたモデルは、やはり一般人とはまるで違う輝きを放っている。
自分が歩んできた道のり、自分にかけてきた時間、その全てを自信に変えてステージに立つベテランモデル達は神々しかった。
あれを別世界のエンタメとして見ている分には、最高に楽しめた。
ただ、自分を振り返った時に、心が無惨に揺れる。
長年染み付いてしまっているルッキズムは、なかなか手強い色眼鏡だ。
できれば、自分が歩んできた道のりに自信を持って人前を歩きたい。
ただ、ここ数ヶ月でハッキリと容姿の老いを意識するようになった私にとっては、煌びやかなショーであるのに、なんだか生々しい現実も垣間見せられた気がするのだ。
子供の頃、年とったら可愛いおばあちゃんになりたいと思っていた。
でも今はまだおばあちゃんではない。
オバさんと呼びにくい中年女だ。
ちょっと面倒くさい立ち位置だ。
この面倒くささは、もしかしたら女という名のステージに、まだ片足くらい引っかかっているからかもしれない。
でも、女という名のステージから完全に足を下ろした時、私にとって美とは何になるのだろう?
完全に他人事になって、ただの概念になるのだろうか?
ああ、なんだかすごく面倒くさい。
多様性の時代って、おいそれと脇役に落ち着けない感じがするのは、面倒くさい中年女の私ぐらいなもんだろうか?
でも、6年ぶりのヴィクシーショーは、素晴らしく楽しかった!
豪華なパフォーマーも多様だった。
そして、サモトラケのニケ好きの私にとってはオープニングの翼の衣装に感動した♡
最後までお読みいただき、ありがとうございました。