キャリコン的、意思決定とは何かを考える(1)
お疲れ様です!
キャリコンのお仕事は、相談者のモヤモヤをなくしていただくこと=解決に至ることがゴールですが、そのために大事なのはキャリコンが勝手に相談者に人生の選択を押し付けてはダメと言うことです、あくまでも相談者が主体的に意思決定していただくこと、そのお手伝いをするのがキャリコンの仕事なのです。
相談者は自分の人生を良くしようという意欲は必ずあるはずです、もちろん程度の差はありますがなんとか良くしようとは思っている。しかしながらそれを阻むいくつかの問題がありそれを丁寧にほぐしながら、相談者自身が主体的に意思決定できるようにすること、これを目指しています。
さて、この”主体的な意思決定”という言葉ですがなんとなく分かるようでいて真剣に考え始めると良くわからなくなる、とてつもなく複雑な言葉なのです。
学問分野としても心理学、脳科学、分子生物学、経済学、ゲーム理論、社会学、哲学などなど学際的に研究されるような巨大なテーマです。”主体的”、”意思”、”決定”、この3つの言葉だけでもそれぞれを正しく説明し切れる学問はないのかもしれません。
浅学菲才の私には到底説明できるとは思いませんがnoteの記事で思いついたところから書いていきます。今後気が向いたときにこのテーマの投稿をすると思いますがまず今回はいくつかの事例を挙げて、これは”主体的な意思決定”なのかどうかを考えてみたいです。
・速度制限があるので車で40キロで走行した
・毎朝同僚におはようと挨拶する
・流行っているラーメン屋に行った
・パッケージにガンになるって書いてあるのでタバコをやめた
これらの事例でこの人は”主体的な意思決定”しているとは言えますが、完全なる主体性を発揮できているのかというと???マークもつきますね。
この問題を考えるのに一つのフレームワークを借りましょう。ローレンス・レッシグと言うアメリカの法学者は人の行動に影響を与えるものを
Law(法)、Norm(規範)、Market(市場)、Architecture(アーキテクチャ)
の4つで整理しました。このフレームワークが”主体的な意思決定”を考える上で便利なので使わせてもらいます。先に答えを言うと上記の例はこのフレームワークに当てはめたものです。
・速度制限があるので40キロで走行した
については、一応”主体的な意思決定”していますがもしかしたら本音では新車を買ったので100キロでぶっ飛ばしたいと思っていたかもしれません。しかし法律で決まっているし罰金も嫌なので40キロで走行した。これは果たして真の意味で”主体的な意思決定”と言えるのでしょうか???
・毎朝同僚におはようと挨拶する
これも一応”主体的な意思決定”していますが、もしかしたら挨拶をすることが社会の倫理、文化であるから挨拶をしているのかもしれません。これは果たして真の意味で”主体的な意思決定”と言えるのでしょうか???
もちろんこの人はちゃんと挨拶するというモラルを持った人ということは言えますが、そもそもモラル=倫理というものは主体的に発生する部分もあるでしょうが、どっちかと言うと社会の構造として決まってくる要素の方が大きそうです。
・流行っているラーメン屋に行った
これも一応”主体的な意思決定”していますが、売れるものを投入する市場原理のメカニズムの中で動かされてるのかもしれません
もちろん味が好きだから行くのでしょうけども、マーケティングの効果もかなりあるのでは無いでしょうか。皆さんも並んでいるラーメン屋を見ると思わず並んでしまうことってありますよね、、、、
・パッケージにガンになるって書いてあるのでタバコをやめた
これも一応”主体的な意思決定”していますが、パッケージにはタバコを吸いたくなくなる文言や写真があり、本当は吸いたいけど病気はやだなと思わせられてやめたのかもしれません。レッシグはこのような行動を変容させる仕組みをアーキテクチャーと呼びました。仕組みによって意思決定がコントロールされている事例です。
以上、4つの事例は”主体的な意思決定”をしているとも言えるし、何か主体以外のものに制御されて意思決定なり行動をしたとも言えます。そうなると人は完全無欠の主体性は発揮できていないのかもしれません。
このレッシグのフレームワークから学ぶことは、人の意思決定や行動において完全無欠の主体性というのはなく、どっかしら外部に制御されているということです。しかも重要なのは当の本人は制御されているという感覚すらないのかもしれないということです。
このレッシグの議論以外で考えても、学習要因(教わってきたことの影響など)、環境要因(生まれた国、親の経済的状態など)や、遺伝子の乗り物論(遺伝的特性など)、社会的構成主義など哲学的な議論、、、などなど完全無欠な主体性に疑問を投げかけるフレームワークは多数存在します。
だからと言って主体性なんか無いんだ!と言い切ってしまうのも極端だと考えます。
私としては程度問題だと考えればいいかなと思っています。「まあまあ主体的に考えているよね」、、とか、「これは外部の影響を結構受けているよね」とか
まあまあとか結構とかそんな感じでざっくりと捉えながら相談者の”主体的な意思決定”をお手伝いすること、結果的にどのような理論だとして相談者のモヤモヤが解消すればいいじゃないかというプラグマティックな気持ちで取り組むことが大事であると考えています。
ではでは