”サラリーマン”の再起動は可能か(1)
今とても気になっているのが現在50歳くらいから60代半ばのサラリーマン層のことだ。彼ら/彼女らは会社でイキイキと働いているのだろうか。ここでサラリーマン層という言葉だが、ビジネスパーソンというのが今の言い方であり、サラリーマンというと昭和感溢れる。ただ現在50歳くらいから60代半ばの人たちを対象化するのにはサラリーマンという言葉が相応しいと思う。言い方だけをビジネスパーソンと変えたところで、本人たちの意識も会社側の意識もそうそう変わるものではないからだ。したがってここではあえて昔風にサラリーマンという言葉を使おう。
国立社会保障・人口問題研究所の、人口ピラミッドのページでは1965年の過去実績から2065年の未来予測までシュミレートできる。生産年齢人口の1990年と2035年を比較してみよう。生産年齢人口の構成費を会社員に単純に当てはめると1990年は70年代の好景気時に入社した40代が最も多く、次が20代、続いて50代だ。それが35年後の2035年では当時の20代が高齢化する一方で、少子化の要素もあり若者が増えず、結果的に50代後半が最も多い層になる。
イメージすると90年時点では30人の部署に、部長(50代)一人、課長(40代)二人、係長(30代)二人、残り25人は20~30の若手。
2035年では部長(50代)一人、課長(40代)二人、係長(30代)二人で変わらず、役職なし50代〜60代が10人、残り15人は20~30の若手。
この50歳くらいから60代半ばはイキイキと会社で働いているのだろうか??
イキイキと働くという定義も難しいが、単純に昇進し給料が上がることでモチベーションが維持されていることと定義すると90年代前半まではまだ日本の実質GDP成長率が低いとはいえ1.4%程度であり、90年代以降、2000年代のマイナス成長よりはマシであることから、企業の成長に合わせポジションも増加し、係長>課長>部長というルートに現実感があった。しかし1986年以降徐々に導入されてきた役職定年制度によりその昇進ルートも確実なものではなくなる。
昔は万年課長という言い方で、部長になれない人のことを揶揄していたが今はその言葉を聞かない。それは万年課長が当たり前になったという要因と、役職定年により課長の地位ですら”万年”ではなくなったため、昇進出来ないサラリーマンを揶揄するジャーゴンとしては有効性を失ったからだろう。
この50歳くらいから60代半ばはイキイキと会社で働いているのだろうか??
会社側ももちろんいくつかの対策を講じてきた。子会社やグループ会社への出向、転籍、次長、副部長などポストを増やす、専門職ポジション、、、しかし多くの企業でそれには限界があり、ポストオフ早期化、定年延長という二つのベクトルにより、役職なしシニアを大量に生み出すこととなっている。この層の増加はどんな問題を引き起こすのだろうか。
役職定年により人生の目的を失う
若い世代が上司になり、自分は現場やマネジメント業務から外れている
テクノロジーの進歩についていけない
本人のエンゲージメントレートは低下
面倒なシニアの存在が若手のモチベーションを低下させる
シニアが滞留しており、新卒枠の拡大がしにくい
こうなると生産性の低下はもちろん、なんといっても社内の雰囲気が悪くなる。やる気のないシニアがいると若手はなんであの人の方が給料が高いのかと不満に思うだろう。一方で妙にやる気があるシニアも問題を引き起こす。
シニア層は前線から一歩引いた立ち位置になることが多く、私の造語だが、KCB業務に従事することが多い。K(管理)、C(調査)、B(分析)である。やる気のあるシニアはKCBのプロセスを精緻化、厳格化、複雑化する傾向にある。部長、課長もそれを止めない、なんならそれをやめさせると本人たちの仕事がないからだ。これでは若手のモチベーションも上がらず、無駄な業務が増える一方なのである。
もちろん、シニア層にはこれまでの経験やスキル、人脈など優れた資質はたくさんあるだろう。ただそれらを活かそうとすればするほど業務が精緻化、厳格化、複雑化し、会社全体の活力が失われるというパラドックスがある。
続く