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多様性社会へのたった一つのコツ

下記の記事で4つの処方箋が取り上げられていました。興味がある方は、ぜひ詳しくご覧になってみてください。

ここでは、個人的な意見として、ポイントは1つだけだなと思ったので、それを共有したいと思います。多くの方が、どうしても「他人の目が気になってしまう」という悩みをお持ちではないでしょうか?そこには慣習として知らぬ間に浸透している「常識」も影響してきます。
逆に、他人の目が気にならないケースを例に挙げて考えてみます。例えば、周りから見ると「あの人、ちょっとおかしいよね」と思うことはありませんか?周りと全く会話をしない人とか、髪の毛ボサボサや部屋着みたいな服装で出勤している人とか、空気を読まずに周りと同調もしない人とか。
それらの人の中には、極稀に「全くそう思われてるとは思ってない」人もいます。イメージとしては、海外で長年生活していて、初めて日本で生活し始めたタイミングの人とか。文化や風習などの常識感が異なっているので、周りが「えっ!」と思うこと自体が意味がわからないケースです。そういうケースは今回はさておきます。
今回、皆さんに参考にしていただいたいのは、周りから「あの人は変だ」と思われていることを承知で、そんなことお構いなしに好きなようにしている人です。

  • 周りと全く会話しない人:(例えば職場で)会話する必要がないのでしないだけ。友達とは普通に会話するが、会社は労務を提供するだけなので、会話など不要と考えている。

  • 髪の毛ボサボサで身なりを気にしない人:そもそも周りからそれほど見られていると思っていない。友達や恋人と会う時などの「自分が必要と感じる時」はちゃんとする。会社などでは、必要ないからしないだけ。

  • 空気を全く読まない人:「場の雰囲気」をあえて気にしない。言いたいことは躊躇なく言う。嫌なものは嫌と言うし、忖度しない。

こういうケースはあると思います。これは、何かを間違えているのではなく、そういう考え方、あなたと違う考え方、というだけの話です。
自分および周りの大多数と「違う」ことを「間違っている」と一方的に解釈してしまうことは、よくある話です。特に日本では。これは「多様性」の真逆で、「みんなが受け入れている同調社会」でよく起こりがちな傾向です。同じ文化や風習にもとに生活してきて、みんな同じ顔立ちで、同じ言葉を話す、日本という特殊な環境で培われたものだと私は思います。
日本のコミュニティに、海外の人が数名入るだけで、「違う」が当たり前になります。「違う」がほぼ存在しない環境で生活している日本人にとっては、この「違う」を受け入れる・認めることだけでも実は非常に大きなハードルだというのが、現時点でもまだ日本で起こっている現実です。

たった1つだけ、あなたが「違う」を受け入れる、認めるだけで、確実に多様性がスタートします。世界には、様々な文化や風習が存在します。それらが「良いか悪いか」を考えたり、論じる前に、まずは「なるほど、そういうのもあるんだ!」と「違う」を受け入れることが先決です(これがめちゃくちゃ大事)。
違いを受け入れることができたら、周りから自分がどう見えるかを気にしすぎることは無くなります。なぜなら、みんな「違う」んですから。その上で、自分がどうしたいか、どうなりたいか、どうありたいか、は自分で考えて決めれば良いことで、そこに「周りからはどう見えるのかな」は介在しなくなります(現実には、介在どころか、まず最初にそれを気にしちゃう人が多いんです)。

以上が、多様性社会へのたった1つのコツです。「違い」は「間違い」ではありません。単に「違う」だけだという意識を持つと良いんではないでしょうか。

私は東京某区で生まれ、40年以上生活してきて、いろいろな考えときっかけがあって、福岡に移住し、今も生活しています。地方移住は、上述したような多様性社会に慣れていく第一歩としてオススメです。日本国内でも、地域によっていろいろな「違い」があります。もちろん、日本ですから同じ共通部分も多いです。多様性、つまり「違い」を認めて受け入れる練習に、地方移住は最適じゃないかなと思ってます。
もちろん、私自身はもともと多様性の申し子のような性格なので、誰も知らない地域で生活を始めても何の苦もありませんが、いかんせん、東京で生まれ育ってきたので「ここが、これが、日本のスタンダードだ!」的な思いは胸のうちに持っていました(表に出さなくても)。そこから飛び出して、自分自身が「他」であり、「違い」である環境に身を置くことで、多様性については強化できたなと感じています(まだまだだけど)。

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rebirth丨地方移住、多様性、改革
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