「Rebirth(仮)」(2)
幼少期~
私たち家族は、父と母、5つ上に姉、1つ上に兄、末っ子次女の私、の5人家族でした。
両親共に関西出身で、大学卒業後東京の会社に就職をした父と、父との結婚を機に上京した母は、実家から遠く離れた土地で私たち子供3人を何不自由なく育ててくれました。
私は幼少期、少し年の離れた姉より年子の兄と多くの時間を共に過ごし、兄のやることを真似したり、どこに行くときも兄の後ろにくっ付いて行動し、まるで子分の様に2人セットで育ちました。
幼稚園の時、怖がりだった兄は私に「僕がトイレ終わるまでトイレの前で待ってて」と言い、私が大人しく扉の前で待っていると、母から「あんたそこで何してんの」と言われることが度々ありました。
我が家では小学生の間、夏休みの8月はほぼ1ヶ月、滋賀県に住む母方の祖父母の家に子供だけで遊びに行くことが恒例でした。行き帰りの片道2時間ほどの新幹線の中は兄と二人きりで、毎回ちょっとした冒険気分でした。
高学年になると、兄は学校の少年野球チームに入り、休みの日は練習に励んでいました。試合の日には、お茶当番の母と一緒に兄の活躍をよく見に行きました。
私が中学校に上がってすぐ、部活の体験入部でいくつかの部活動に参加すると、どこにいっても必ず2年の先輩から、「たにの妹だ」と好意的に接してもらえ、しばらくすると兄の友達の先輩たちから「たにこ」と呼ばれるようになりました。
野球部に所属していた兄は、運動神経が良く、体育祭のリレーでアンカーを走ったり、地区の選抜野球チームのメンバーに選ばれたり、すごく活発な少年でした。
1年時、生徒会役員選挙で他の当選者が全員2年生の先輩たちの中、私が1年生で一人だけ当選したことも、兄の友達からの投票による完全な「たにパワー」でした。
校舎を歩いていると時々兄を見かけることがありましたが、中学時代の兄はいつも友達に囲まれて、楽しそうにしていた姿がとても印象に残っています。
高校に上がってからも兄は野球部に所属し、毎日練習で休みなくとても忙しそうでした。部活引退後は大学受験の勉強、大学入学後はバイトや遊びと、家にいることも少なくなっていき、私も高校大学は兄と違う学校に進学したため、段々顔を合わせることや話すことも以前に比べ減っていました。
実家の兄の部屋は我が家でも1番狭い2畳ほどしかない極小部屋でしたが、時々友達が遊びに来ては、そこに男3~4人でぎゅうぎゅうになりながら楽しそうに話す声が他の部屋まで聞こえてきて、家族で「よくあの部屋に何人も男ばっかり入ってられるなぁ」と笑っていました。
兄はとてもおしゃべり好きで、友達とのエピソードや海外のお客さんが多いバイト先のbarでのことを、私たち家族にも楽しそうに話していたことを今でもよく覚えています。
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