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「Rebirth(仮)」(6)

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兄の回顧ブログの続き

2013年7月 t細胞性急性リンパ性白血病

次の日も検査だらけだった。

マルクというその後幾度も行う腰の骨に針ぶっ刺して、髄液吸い取る処置も初めて経験した。


マルクを受けながら、先生や看護師さんとエアーズロックは落っこって死ぬ人がけっこーいるって話をしたのを何故か覚えてる。

次の日(確か、もう覚えてない)、抗がん剤治療を始めることになった。その前に家族を交えて、今後の治療についてインフォームドコンセントがあった。
説明の内容は、
俺の病気は、t細胞性急性リンパ性白血病(以後 ALL=急性リンパ性白血病)
ALLの予後因子は
・30歳以下か
・初診時の白血球数
・染色体異常があるか
・最初の治療で悪性細胞を消せるか
で、
幸いにも、上3つは良い条件だった。4つ目は今後の治療経過を見てだが、先生は移植なし、化学療法だけで治すことを当面、目指すとの事だった。その時に当時の新しい論文も見せてくれて、抗がん剤のみの治療成績で3年生存率60%程だった。

とにかくそこまで悪くない条件なので、希望もあった。とりあえず半年間の入院を乗り切るやる気があった。

下手したら死ぬかもとは思ったが、
この時はまだ、4年以上にわたってフルコースでこの病気に苦しめられることになるとは思っていなかった。

(兄がこのブログを書いたのは2017年の8月です。)


2013年7月 化学療法開始

こうして治療が始まった。本来抗がん剤治療は普通病棟で行われるのだが、たまたまクリーンルーム(主に移植患者が使う)が空いていたので、そこに入院することになった。


病院食は質素なものだったが、日本食が久しぶりだったので「うまいうまい」と言って食べていた(今じゃ考えられないw)

また、看護師さんの素晴らしい仕事っぷりに感動した。
オーストラリアのテキトーな接客に慣れていたので、レベルの高さに驚いた。

当時、学生だったこともあり、最初の1カ月は毎日、いろんな友達が来てくれた。たぶん、1カ月の見舞い数病院記録を樹立したとおもう。本当にありがとうございます。

抗がん剤治療は説明の通り、食欲不振、吐き気はあったが、1週間くらいなんも食べれない期間があったり、たまに吐いたりするくらいで、一日中吐いたりはしなかった。

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