「Rebirth(仮)」(11)祖父の最期
兄が目を覚ましてから少しして、滋賀に住む祖父が亡くなったとの知らせがありました。
滋賀の祖父母の家には小学校を卒業してからも定期的に遊びに行っていて、祖父が癌になってからも一度会いに行っていました。
癌になって大好きだった煙草をやめたと聞いた時はびっくりしましたが、会いに行った時、以前より痩せていたものの元気そうで安心していました。
祖父は凄く綺麗好きで、身なりにも気を使って毎日髭のお手入れをするような人でした。
「おじいちゃんな、もう髪少ななってんのに、よう床屋さんいかはんねん」
と祖母が言うと、
「少ないからこそ、綺麗にせんと汚らしいやろ」
と祖父が言ってみんなを笑わせました。
朝、お葬式に行くため家族4人で滋賀へ向かう前に、兄に祖父のことを報告するため病院に寄りました。
家族4人がぞろぞろと病室に入ってきたことに驚いた様子の兄は、
「どうしたの?」と聞きました。
「おじいちゃん、亡くなったんや」
と父が言うと、兄は声を出さずに泣きました。
兄の肩に手を置き、祖父が兄に対して遺した言葉を伝えながら、父も泣いていました。
私はこの時、生まれて初めて泣いている父の姿を見ました。
父は喜怒哀楽の中で「怒」が強い印象があり、中でも「哀」の部分を、この時までまったくと言っていいほど周りに見せたことがなかったように思います。
私はそんな父の涙に、驚きと同時に悲しさが溢れてきました。
この時のことを綴った兄の回顧ブログ
2013年12月 祖父
意識が戻って数日したある朝、家族が揃って病室に来た。揃ってこんな時間に来るなんて珍しいなと思っていると父が
「おじいちゃん亡くなったんや」
と言った。
滋賀のおじいちゃんは末期の大腸癌だった。滋賀の祖父母の家には小学生のころ夏休みになると毎年1カ月近く遊びに行っていた。おじいちゃんの事は大好きだったし、1年半前に癌になったと知った時はとてもショックだった。オーストラリアに行く前も遊びに行って「1年後かえってくるから、それまで元気でいてね」と話していた。
僕が病気になってからは、電話で「抗がん剤は辛いね~」と世間話をしていた。
「苦しまずに亡くなったの?」
それを聞いて言った。
たぶん、自分が死にかけて本当に苦しかったから最期はできるだけ苦しんで欲しくないと思って口に出たんだと思う。
父は、「悪いものは全部おじいちゃんが持っていくから、祥一は心配せんでええ」とおじいちゃんが亡くなる前に言っていた事を伝えてくれた。みんな泣いていた。
僕は病気になってから、自分の心配ばかりで、あまりおじいちゃんの事を考える余裕が無くなってしまっていた。
それなのにおじいちゃんは、自分が死ぬ事をわかっていながら、最期まで僕の事を思っていた事を知った。
僕は今まで、自分が一番大切で自分より大切な存在を知らなかった。家族とか子供ってそういう存在になり得るのかな。と思った。
せっかくこの世に生まれてきて、そういう存在を知らずに死ぬのはあまりに悲しいと思った。
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