見出し画像

「Rebirth(仮)」(24)再々発

前回(23)

退院してきた兄は、やはりとても活動的で家族を驚かせました。
「ついこの間まで病院にいたと思えないな」と感じるほど頻繁に友達と遊んで、ご飯もよく食べられるまでに回復していました。大学時代から続けていた英語の勉強も再び始め、英検1級を受けたり、プールの監視員のバイトを始めたり、「どこからそのエネルギーが湧いてくるんだ」と本当に感心しました。

思い返すと、兄が白血病を発症してからおよそ8年の間、入院中や退院して家にいる時も、兄に病気の話を聞いたり、こちらから話すことは憚られました。病気による体の不調や、もしかしたらそれよりも大きかったかもしれない精神的な辛さを、兄を見ていると嫌でも感じました。少しでも病気のことを忘れられるように、考えなくていいように、兄から病気の話をする時以外は当たり障りのない話をしていましたが、家族みな口には出さずとも、1度目の再発以降、より強く「再発」を意識していたと思います。

2016年の春に退院してから1年ちょっと経った2017年初夏、夜家にいると、近くで話す兄と母の声が聞こえてきました。
たしか「~の数値が悪かった」とか、外来の検査結果を2人が話していて、その会話自体はあっさりと短いものでしたが、不穏な空気をまとっていました。

数日後「再々発」と知らされた時、再発時に感じた衝撃はなく、私の気持ちは凪の様に落ち着いたものでした。

知らせを受けたその日の夜、兄の部屋の扉をノックし中に入ると、ベッドに腰かけて下を向いている兄の姿がありました。
何と声をかけたらいいかわからず、ただ黙って兄の手を握ると、兄は下を向いたまま泣いていました。

「これで3回目だよ…、再々発って…白血病のフルコースだよ…」

力なく呟く兄に、私はうなずくことしかできませんでしたが、頭の中で兄の言った「フルコース」という言葉がしばらく浮かんでいました。

姉は兄が退院していた1年半の間に、新しい職場で働き始めていました。両親はその頃特に忙しく、兄の再々発をうけて家の中はバタバタでした。「今の状態じゃとても病院にお見舞いに行く余裕もないし、兄を支えるには不十分過ぎる」と家族で話し合った結果、今度は私が会社を休職し、兄のお見舞いを主に担当することになりました。

初発時に起こった敗血症性ショック後から、私の中で「兄の死」がよりリアルなものになっていました。再発などで入院すると、「もしかしたらこれが最後になるかもしれない」と常に考えていましたし、毎日、後悔の無いように兄と接しないといけないと感じていました。

続き(25)へ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?