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「Rebirth(仮)」(7)

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兄の回顧ブログの続き

2013年8月 最初の暗雲

治療を開始するとみるみる首の腫瘍は小さくなり、呼吸の苦しさも軽減されていった。副作用は苦しかったが、悪い細胞をどんどん倒している感覚があり、ポジティブな気持ちになれた。途中肝障害が出たりして、予定通りの投与はできなかったが、ほぼ大事な薬はいれることができた。

最初のクールが終わり、マルクをした。
骨髄の中に5パーセント程度ガン細胞が残っているとの事だった。白血病の自覚症状は全くなかったし、最初は30%くらい埋め尽くされてたから、いいじゃん。と思ったが、できれば0にしたかったらしい。

予後因子最後の初期治療へ反応でひっかかってしまった。
今後の治療経過次第では、移植もありえると説明された。

入院から順調に来ていただけに、非常にショックだった。

どこか遠くの方に行っていた「死」が少し近づいた気がした。


2013年8月 東京オリンピック

病院の朝は早い。
6時に電気がつき、採血や体重測定など、デイリーチェックをしなくてはならない。

「東京オリンピック決まったぞ!」

その日は、同じ病室のおじいさんの言葉で目が覚めた。
TVも、東京オリンピック関連のことばかりで皆一様に7年後のことを語っていた。

SNSでも同じで、みな自分の7年後に思いを馳せていた。当たり前のことだ。21.22歳の若者にとって7年後は「ほぼ」確実に存在する。

ただ、俺はそれを見るのがとても嫌だった。命の不安なく、7年後を想像できる皆に嫉妬していた。
病気との闘いの中で自分がこういう風になっていくのも、とても辛かった。

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