頑張って好きになろうとしない
友達100人出来るかな♪
小学校入学の時から「出来るかい!」と思っていましたが、
これって「他者に対して敵意を持たなくても良い状態の人」なら可能だと思うんです。
人生で最初の他者である両親に対し疑問を持たざるを得ないような環境の人、と言うのは難しいんじゃ無いかなって思うんです。
ですが、そんな環境で育っている人に限って、友達100人を求めてしまう傾向があると思うのです。
ひとえに強烈な寂しさ故に。
凶悪犯罪を起こすような人と言うのは、ほぼ家庭内に問題があると本で読んだことがあります。
犯罪を起こす人は、多数は純粋で繊細で本当は寂しがり屋なんだろうなと私は思っています。
ですが、家庭や人間関係の中で、歪んだ人間像が育まれてしまったのでしょう
素直に人を見ることができない。心地よい人間関係を築く事が出来ない。
嫌われたくない、一人になりたくない、一人だと思われるのが嫌だ。変だと思われたくない。
この心理状態は孤独感と寂しさがMAXだった頃の私です。
今思うと異常に人の目を気にしすぎだなと思うのですが、
自分が悲惨な状態であると言う過剰なイメージと、自分で自分を哀れんでないとやっていられない心理と、自分をよく見せようとする虚栄心が相まって
誰とでも仲良くしようと思って頑張って頑張っていました。
今思えば理不尽な対応をしてくるような人や、理不尽な言い分を振りかざす親に対しても
自分が悪いからダメなんだ、もっと頑張って好かれるようにしよう!と。
自分の良さや核となる人格なんて形成されないはずです。
嫌われると言う行為に敏感であるが故に、自分を好いてくれている人には安心してしまってぞんざいな態度を取り
嫌われている人に何故そんな対応を取られるのだろう、何故好きになってくれないのだろう?と自分を変える努力ばかりしていました。
(ちなみにそれを続けていると、周りから人はいなくなります、なりました)
ですが、いい加減に気付くのです
人を損なうという行為をやってのけられるような人間とお付き合いしたいですか?と。
その人の人間に対する視点が歪んでいる可能性はないか?(多分そう言った方は他の方にも嫌われています)
そんな人に寄って行って得られるものは何か?
私の人を見る目も変えないといけない、と。
自分の目に見える悪意や善意では無く、見えないところの感情を落ち着いて観察する目を持つ事が大事なのではないのか?と。
目に見えるものに一喜一憂しすぎだ、と。
前回の記事でも書きましたが「見守ってくれる人」は居るか?
もしくは、自分が感情的になりすぎる部分を「一旦見守る」というスタンスをとるようにするだけでも心持ちや周りの対応・環境が変わってきます。
影響を受けるのであれば、自分が好きだ!って思える人の方がいいじゃないですか。その差って人生の最期にとても大きな差になると思うのです。
劣等感がそうさせるのか、自分を嫌っている人に向かって行く方がマイナススタートなので、そこからマイナスになることに恐怖心は少ないかもしれませんが
性格が悪い人の真似なんかしたくありません。自分のためになりません。
自分を見る目(劣等感を感じすぎている、人の目を気にしすぎている)と
人を見る目(目に見えるものに頼りすぎない)
を変えていく。
育ってきた環境で、誤った表現を学んでしまっている人は多いと思います。
そうでなければ虐待やDVが増えていくなんてことはないです。
人間は多面体で、どの面を見るかどんな見方をするかは、その人の感性です。
一方を見て批判する人に劣等感故に惑わされる事も、その人に合わせようとして間違った努力をする事もありません。
(明らかに間違った事をしたときは謝罪しないといけませんが)
「大事にしたい人をちゃんと大事にする」
これって本当に大事だなと今なら思えます。
「嫌い」しか周囲にない人は、どうか「好き」を見つける前に、
自分への「嫌い」を少なくしてください。
貼られたレッテルを書き換える作業を。
いつも一緒に存在する自分への見方を自分で変えるのだから難しそうですが、自分でしか出来ないし自分だけで出来るので、実は簡単です。
鈍臭い=慎重。
過敏=注意深い。
暗い=主張してないだけで主張したいことはあるんだよ。
自分をいじめてくる人みたいに、自分で自分をいじめてはいけません。
可哀想だよ。まずは大事にしてあげよう。
他人に合わせようとして、自分を変えてしまうからおかしくなるだけで
実は、これが自分です!って言えば良いだけなんだと思います。
凄く簡単です。
これが自分です!に「えっあなたは違うの!?」って変な考えが入ってしまうからおかしくなるだけで。
そもそも人を測る物差しなんてどこにも存在しない。
自分が合う場所を探す必要もない
ただ、私は私であれば良い。人と比べる必要がない。
それを尊重している自分であれば良い。
好きとか嫌いとか、良いとか悪いとか、そう言った基準じゃなくて
心地の良い関係を築けるのは、その後からなのかなと今は思います。
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