陸上競技部時代のこと
僕は、中学3年間、高校3年間、大学4年間、陸上競技部に所属していました。(小学校時代は大会には出たものの部活ではなかったのでカウントせず。)
種目は年ごとに伸びていき、
中学1年 100m
中学2年〜高校1年夏 400m
高校1年夏〜大学 800m
でした。
ベストタイムは、
中学1 100m 13"94
中学2 100m 13"6(土、手動) 200m 27"31(0.0) 400m 58"60
中学3 100m 13"54(-3.7) 400m 56"89
高校1 100m 12"61(-1.1) 400m 54"59 800m 2'07"30
高校2 100m 12"57(-1.8) 400m 54"24 800m 2'03"60 1500m 4'31"4
高校3 100m 12"45(-2.2) 400m 53"03 800m 2'04"22 1500m4'41"99
大学1 400m 56"53 800m 2'11"43
大学2 100m 12"45(+1.7) 400m 56"20 800m 2'08"29
大学3 100m 12"40(+0.2) 400m 55"37 800m 2'05"53 1500m 4'24"46
大学4 100m 12"37(-1.1) 300m39"72 400m 55"32 600m 1'30"46 800m 2'07"74 1500m 4'31"41
です。
PBで見ると
100m12"37(-1.1) 大学4年
400m53"03 高校3年
800m2'03"60 高校2年
1500m 4'24"46 大学3年
です。
感想として、よく大学4年間続けられたなと。懇意にしていた400m800mは高校の記録を塗り替えられないどころかかなり記録も落ちたのに根気よく続けてこられたのは褒めてあげたいです。自画自賛。
中学1年の頃は練習が楽でした。先生は陸上競技の指導をしたことがない素人で、短距離パートの練習はスターティングブロックが置いてあって走りたい人が走るだけでした。この頃は元ある才能たけで4×100mリレーを走らせてもらった自負だけで生きていました。
中学2年。大きな転機でした。4×100mリレーの地区予選で敗退し、100mの伸びしろに限界を感じていました。身長も伸びなくて身体能力がこれ以上良くなることはないと思い、400mにいきなり出場しました。地区大会で見事中学の部で決勝進出、4位となり、その勢いで新人戦にも出場しました。新人戦は変則で2地区合同なのですが、そこでも予選で初の1分切り、58"60で決勝進出。決勝は最下位の8位に終わるも翌年の県大会で戦える自信は付きました。
中学3年。実績のある先生が赴任してきて丁寧かつアグレッシブな指導を受けました。主将として一人で食らいついていき、地区大会2位の功績を残しました。県大会ではやや空回りして予選で敗退しましたが、アグレッシブなご指導のおかげで陸上の楽しさを再確認し、根性が鍛えられ、高校でも続けようと自然と思えました。
高校1年。地区では名門の高校に入学。地区大会はオープン参加でしたが、オープン800mで長距離の先輩に勝ち、800mの楽しさを知りました。練習は中学の時の3〜4倍はイカツいメニューをこなし、毎日疲弊しすぎて田舎の高校生の溜まり場のイオンモールに行くことはありませんでした。疲れすぎて歩くのも大変になる毎日を過ごしました。すると、新人戦地区予選で400m7位、800m5位でチームに得点をもたらし、さらに4×400mリレーで3位になり、短長の次期エースとしての自覚が生まれました。
高校2年。地区予選で400m800m共に8位で県大会出場を決め、4×400mリレーでは優勝。このまま順風満帆かと思いましたが、後輩にとんでもなく速い子達が入ってきて僕の序列が下がり県大会でリレーは走れず、個人の記録も振るわず。ここが高校時代で一番辛かったです。なので家に帰ってから、土曜日の午前練習終わりなどで自主トレーニングを始めることにしました。ジョギングしていい坂を見つけたら坂ダッシュ。すると地区予選の前哨戦で800m優勝。人生初の個人での優勝。地区予選は惜しくも3位となりましたが、成果が出ました。県大会では準決勝進出。個人成績としては同期の中で一番でした。そして主将に就任。北信越大会では4×400mリレーの補欠に選ばれましたが走ることはできず。悔しかったですが、このチームで走りたい、このチームに貢献したいという思いは強まる一方でした。
高校3年。それまでは朝練はジョギングして4.5kmのペースランニングして各々120m流しという形でしたが、自分で300mをひたすら走る練習を取り入れました。地区予選は800m4位。後輩の台頭もあり、400mはオープン参加となりましたが、部内で4番目の記録を出し、4×400mリレーに出場。2位でした。そして主将として選手宣誓、地区予選総合優勝というとても貴重な経験ができたことを嬉しく思います。県大会では800mこそ準決勝進出とはならなかったものの、4×400mリレーの予選を走り、準決勝進出。準決勝は後輩に託したため走れず惜しくも敗退。陸上競技はスパッと辞め大学受験に専念しました。陸上競技人生の区切りをつけたつもりでいました。
大学1年。部活見学をするうちにどうしても陸上をやりたい気持ちが抑えられず入部。顧問の先生がおらず、全部自分たちで練習を組み立てていました。中距離パートがなかったので、僕は短距離と長距離の練習を行き来していました。ある時もっと自由にやりたいと思い、許可を得て自らがパート長となり中距離パートを設立しました。とにかく高校の時にやっていたような練習を繰り返しました。しかし記録は全く戻らず。挫折。そんな時、他大学と合宿する機会がありました。そこには近畿大会に出場するレベルの凄い選手がおり、練習についての話をたくさんし、考え方が変わりました。その合宿を境に練習方法や姿勢が急変し、走りも改善し良いきさしが見えました。
大学2年。後輩も入ってきて練習に厚みが増しました。パート長としての責任感が増し、後輩たちのことも考えた上での練習メニューの提案などもするようになりました。才能あるメンバーの開花によりパートの中で遅れを取り始めました。めちゃくちゃ練習しました。練習のない木曜日、雨で練習できなかった翌日、休日など、練習できる日はしまくりました。記録は伸びなくても陸上競技への愛は強かったです。そこだけは負けてはいけないと思いました。YouTubeでいろんな選手の練習方法を学びました。練習の動画を撮影し、理想とすり合わせる作業を行いました。
大学3年。勝負の年。体のキレも増し、陸上への愛はより強くなりました。特にウエイトトレーニングや筋補強トレーニングに注視しました。県選手権で1500m自己ベスト更新。800mも一気に2秒近く縮まり自信が取り戻せました。練習でも自分よりベストの速い選手に勝つことも増え始めまさにノッていました。学校枠で関西学生個人選手権にも出場できたのがよかったです。本当に3年間の努力が小さいながらも実を結んだと感じました。
大学4年。部活を引退するということはしませんでした。アマチュアスポーツに引退はないというスローガンを掲げ、同期で一番部活に行きました。就活やら卒論やらで忙しくなり満足な練習時間が確保できなくなったため、短距離に注力しました。100mで自己ベストを出せましたが陸上人生で一番怪我の多い一年間となり、最後の引退試合ではテーピンググルグル巻で出場しました。でも陸上への愛、執念、大学4年生でも陸上やっていいんだぜという矜持の元、走りきりました。
キーは陸上競技への愛、そして仲間でした。どちらかがかけていたら続けてこられませんでした。実際、愛はあるものの転勤続きで仲間がおらず、全く練習しなくなりました。
何が言いたいかというと、陸上競技最高!あの時の僕を動かしてくれた、原動力となった部員のみんな、ありがとう!ということです。
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