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暗殺ティーポッド
朝、私が起きると、水色のペンキをこぼしたかのように雲一つない快晴でした。休日で晴れている日は散歩をすると決めているので、意気揚々と家を飛び出します。いつもの散歩コースにある神社では蚤の市が開かれていました。気になって立ち寄ってみると、骨董を並べている露店が目に留まりました。古い懐中時計やティーセット、宝飾品……。珍しい物はないのかしら、と雑然と置かれたアイテムの中を探していると
《 ティーポッド(暗殺用) 》
と書かれた提札がかかっている人の形をしたのティーポッドを見つけたのです。一見すると、麗しい少女の陶器人形に見えますが、なるほど、丸く膨らんだスカートの部分に、確かに取っ手と注ぎ口があります。私はそれだけでも珍しいと思いましたが、なにせこんなに可愛らしい見た目をしておきながら、《暗殺用》と物騒な括弧書きがあるのだろう、と殊更興味を惹かれました。誤字かもしれないと思いましたが、では本当は何を書こうとしたのかも気になります。
「おじいさん、この暗殺用っていうのは何ですか?
」
ジロジロ品定めをしていた私に全く目もくれなかった、中国の仙人みたいな見た目をしたおじいさんは、「おぉ!」と素っ頓狂な声を上げ、そうか、そうかと頷いて嬉しそうに話し始めました。
「このティーポッドはね、数々の歴史上の人物を何人も暗殺してきたんじゃ」
あ、誤字ではなかった……と私は少し後悔しました。確かに、アンティークであればいわくつきの物も珍しくないでしょう。寧ろそれを好むコレクターすらいるくらいなのです。呪いの人形や絵画のように、持ち主を不幸にするタイプのものなのかしらと考えていたところ、ある違和感に気がつきました。
なぜ《呪い》ではなく《暗殺》なのだろう?
「ほほぅ、お目が高いのう。その通りじゃ。このティーポッドには、《タネ》も《仕掛け》もある」
私の考えていることが顔に出ていたのでしょうか(だとしたらどんな顔だったのでしょう)、おじいさんは続けます。
「このティーポッドの取っ手を、よぉーく見てご覧。上と下に穴があいておる。実はこのティーポッドの中は上下二層に分かれていて、この穴はそれぞれそこへ繋がっているんじゃ。そして、この上の穴を押さえると下に入った液体のみが、下の穴を押さえると上に入った液体のみが、両方の穴をふさがないと両方の液体が出てくるようになっておる。つまり、空気が入ってくる穴を塞ぐことで、注ぎ口の表面張力と相まってこういう現象が起こるんじゃよ」
へぇ、と私は間抜けな声を出してしまいました。仕掛けは理解できませんでしたが、説明された通りなら、毒入りとそうでないものを一つのティーポッドから注ぎ分けることができます。ターゲットは同じものを飲んでると思い込んで、暗殺者に釣られてうっかり毒入り紅茶を飲んでしまうに違いありません。面白いと思って、私はこのティーポッドを買うことにしました。
「おじいさん、お値段は?」
「ん。これは特別じゃ。お嬢さんみたいな人に使ってもらいたくての。プライスレスじゃよ」
おじいさんは、そう言って長い髭をさすりながらニッコリ笑いました。私もつい笑ってしまうような朗らかな笑顔でした。
「本当に? じゃあ、お言葉に甘えることにしようかな。ありがとうございます」
おじいさんからティーポッドを手渡され、私はウキウキしながらおじいさんとお別れをしました。
神社から出ようと歩いている時、ふと我に返り、ティーポッド以外の物も買うべきだったのかしらと後悔しました。しかし、振り返ってみると、もうおじいさんの姿はどこにも見つかりません。不思議に思って、さっきまでおじいさんがいた場所に急いで戻ると、ぽっかりと本当に何も無くなっていたのです。狐につままれた気持ちになりましたが、いつまでもここでおじいさんを探しても無駄な気がしたので、私はこの不可思議なティーポッドを早く試すために、すぐ帰ることにしました。
早速、ティーポッドで紅茶を作ろうと思いましたが、取っ手に穴が二つあるだけで、茶こしも何もありません。ティーポッドと言っても、注ぐだけで作ることが出来ないのだと分かると、私は少し可笑しくなりました。何かを得るためには何かを失う必要があるという点は、人間と同じようです。そういうわけなので、大人しく、《普通の》ティーポッドで紅茶を作ることにしました。いつもならあっという間にすぎてしまう抽出を待つ時間も、今日ばかりは長く感じます。気分転換に、あらかじめミルクを入れておこうと思いましたが、《暗殺用》には穴と注ぎ口があるだけで蓋がないため、渋々取っ手の穴から入れることにしました。苦戦しているうちに、紅茶も良い仕上がりになっていたので、火傷しないようにしながら取っ手の穴へと注ぎ入れます。こうして、上には紅茶、下にはミルクが入りました。コップを三つ用意し、まずは下の穴を押さえて傾けます。すると、一つ目のコップには、見事に紅茶だけが注がれました。次は、上の穴だけ塞ぐと、二つ目のコップにはミルクだけが、何も塞がないで最後のコップへ注ぐと、ミルクティーができました。思わず「おぉ……」と感嘆の声が口から出ます。夢中になってまた最初のコップに紅茶をつぎ足したりして遊んでいるうちに、中からカランコロンと音がすることに気が付きました。
私は始めのうち、注ぎ口から取り出そうとしましたが、狭いすぎて出てくる気配がありません。ふと気がついて、比較的大きい取っ手の穴(ふくよかなパールくらいの大きさがあります)の方からなら出せるのでは、とティーポッドを注ぎ口と反対側へと振ると、勢いよく丸い鈴のようなものが飛び出してきました。一体なんだというのでしょう。紅茶のようなダークブラウンで、丸い見た目をしていますが、よくよく見てみると、すぅーっと線が入っています。爪をひっかけて開けられるように、窪みがあるのを見つけました。金属か何かでできた小さなタイムカプセルのように思えてきます。すると、中には思い出の品か、未来の自分へ宛てたお手紙でも入っているのでしょうか。胸をときめかせながら開けてみると、中には小さく折りたたまれた羊皮紙のようなものが入っていました。きっと手紙なんだわ! 私はピンセットを取り出して、丁寧に、丁寧に開いていきました──
✼*✲*✻
御機嫌よう。
私は暗殺ティーポッド。
貴方は誰を暗殺したいのかしら。
これから貴方のパートナーになるわけだから、
色々お話をしたいわ。
是非、お返事を書いてカプセルに入れて頂戴。
また貴方がお茶をする時、お返事しますわ。
心待ちにしています。
✼*✲*✻
「これは……」
しっかりといわくつきではありませんか!
確かに手紙ではありましたが、物騒な内容ですし、真面目に返信してティーポッドから返事がなかったときの馬鹿馬鹿しさといったらありません。でも、これにも《タネ》や《仕掛け》があるというのでしょうか……。そうであるなら、興味があります。私は試しに返信してみることにしました。
✼*✲*✻
御機嫌よう、暗殺ティーポッドさん。
私はごくごく普通の人間よ。
暗殺したい人なんかいないわ。
貴方をただのティーポッドにするために
迎え入れたの。
✼*✲*✻
なるべくお湯に耐えられそうな丈夫な紙に、万年筆で書いてみました。折りたたんでカプセルに入れ、取っ手の穴から放り込みました。カランコロン。心做しか、音は井戸の中を反響するように
深い所へ落ちていくようです。待ちきれず、すぐにお茶を淹れ直します。不思議と、空の状態だと音がしないのです。コポコポと紅茶とミルクをそれぞれ注ぐと、また鐘の音が遠くで聞こえてくるようでした。味わう余裕もなくコップのミルクティーを飲み干して、またミルクティーを注ぎ、カプセルを取り出します。
✼*✲*✻
そんなの、つまらないわ。
女ですもの一つや二つ毒を持っているでしょう?
✼*✲*✻
本当に返事が来た……。驚きと、少しの嬉しさと気味の悪さで胸が噎せ返るようです。私は楽しくなって夢中でやりとりを始めました。
✼*✲*✻
今はそういう女とか男とか、流行らないわよ。
ところであなたは今までどんな人を暗殺したの?
✼*✲*✻
乙女の秘め事よ。
答えるなんて野暮だわ。
そんなことより、貴方の本音を聞かせて頂戴。
貴方がどんな毒を入れてくれるのか、
私は楽しみにしているの。
暗殺してないティーポッドは、私じゃない。
ただの面白くもないアンティークになってしまう。
ね、さあ教えて頂戴な。
✼*✲*✻
私はその時初めて、彼女は焦っているのだと気が付きました。余裕たっぷりなのかと思っていましたが、彼女は自分の存在意義を暗殺だけと思い込んでいる。表情は、陶器仕立ての涼しい顔をしていますが、彼女は葛藤していると感じたのです。
✼*✲*✻
人間にも多いけれど、
自分はこうなんだって思い込むと、
それをアイデンティティだと
勘違いしてしまうものよ。
特にあなたのような《アンティーク》なら尚更、
今までの経験を肯定したくてそうなりがちなの。
もちろん《アンティーク》が悪いって
言ってるわけじゃないのよ。
時の積み重ねが悪く働くこともあるってこと。
確かにあなたは素敵なギフトを持ってる。
でも、その可能性は
暗殺なんかに限る必要なんかないのよ?
見せ方によっては、
人々を驚かせたり、楽しませたりできるの。
私は──
あなたは、毒なんて物騒なものなんかより、
ミルクと紅茶が良く似合う
素敵なレディーだと思うわ。
✼*✲*✻
ティーポッドはその言葉を見て、嬉しくなったり、恥ずかしくなったり、初めての温かい気持ちになりました。心の塊が溶けていくような気がします。
「そうなのかしら、ただのティーポッドでも、許されるの? これからは、そんな人生も悪くないのかしら」
と、一つ呟くのでした。
本当は……何人もの歴史上の悪名高き人物たちを暗殺したのは《パパ》で、彼女はまだ誰も暗殺したことがないのです。早く《役に立ちたい》と焦る彼女の背中を押してくれたのも《パパ》でした。
「いろいろお話をしたいと言いながら、何も話していなかったのは私のほうね」
きっといつか話してあげよう、とティーポッドは微笑むのです。
おわり
参考URL
私がこの作品を書くきっかけになった記事はこちらです。面白くて分かりやすいので、是非。