掌編│23時と夢のあいだ
夜風が涼しい。すっかり秋だ。
彼女はベランダに出て、白いプラスチックの椅子に座る。バーベキュー用のテーブルセットを常設してあるのだ。
タワーマンションでもなければ都心でもないので夜景が綺麗というわけではないのだが、彼女は田舎の、このこぢんまりとした団地のベランダで過ごすひとときを愛していた。すぐ近くの道路を走る車の音、部屋から漏れるテレビ番組の笑い声がなんだか落ち着く。
彼女は声が混ざるほどの深い溜息をついて、キャンドルライト風のLEDを点けた。この安っぽい炎がゆらゆらするのも嫌いではない。束の間、ライトに照らされた爪の先のネイルが剥げかけているのに気がついても、そういう不完全な自分も悪くないと、最近ようやく思えるようになった。
そうして、慣れた手つきで一冊の本を開いた。
『のんちゃんのぼうけん』
児童小説作家の母が作ってくれた、世界に一冊しかない宝物だ。長らく忘れていたが、母の遺品整理をしていたときに偶然見つけた代物だった。
久しぶりに読んでみて、母はやっぱり偉大な作家だったのだと感じた。仕事に疲れ果てて帰宅したキャリアウーマンを、一瞬で冒険へと誘ってくれるのだから。
小説の中で、彼女は桃色の湖を船で渡ったり、海に星が浮かぶのを拾い集めたり、妖精にドレスを仕立ててもらったりする。代用可能な社会の一歯車を自認する彼女は、この絵本の中では唯一無二の主人公なのだ。
『「おやすみなさい」と、のんちゃんは月の精霊に言いました。精霊は温かく微笑んで「おやすみなさい。きっと良い夢をみるでしょう」と星を降らせて素敵なおまじないをかけてくれました。のんちゃんは明日はどんな冒険が待っているんだろうと、心を明るくしながら、美しい眠りの森へ分け入ってゆきました』
こんばんは。呉海憂佳です。
私自身しがない社会人で、毎日神経をすり減らしながら生きていますが、こんなひとつの救われ方があれば良いなと思いまして書きました。
今週は三連休ですね。
皆様、良い週末をお過ごしください。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?