【SP】そのときがくるまでは歌わせて・黒沢愛子
ピアノ弾き語りシンガーソングライター、黒沢愛子(くろさわ・あいこ)。2013年のクリスマスに音楽活動を開始し、これまでに7枚のCDをリリースしてきた彼女は、23年12月25日に活動開始10周年&レコ発&活動休止ワンマンライブ「そのときがくるまでは歌わせて」を開催する。彼女の夢と、音楽に対する思いを聞いた。
人生の楽しみとして歌う
埼玉県出身の黒沢愛子は、音楽に囲まれた環境で生まれ育った。
「私の母は、音大の声楽科を卒業したあとピアノの先生などをして、今も歌を続けています。必然的に、私も幼いころから母の仕事に同席したり、家に来た生徒さんの練習を聴いたりしていました」。
彼女自身、3歳からヤマハ音楽教室に通っていた。
「小学6年生まで、クラシックピアノを習っていました。中学で吹奏楽部に入って、忙しくなったので、辞めちゃったんですけど。吹奏楽部ではクラリネットをやっていました」。
ポップスの音楽に目覚めたのは、中学3年生のときだ。
「ある日、勉強の息抜きにテレビを点けたら、『けいおん!』というアニメがやっていたんです。女の子たちが楽しそうにバンドをやっている姿がカッコよくて、一瞬で虜になりました。私もバンドがやりたい!と思って、軽音楽部がある高校へ行くことにしました」。
高校進学後は、希望通りに軽音楽部へ入部。コピーバンドを結成し、ギターボーカルとして歌い始めた。
「あのころは、プロになりたいと思っていました」。
シンガーを目指してオーディションを受けると、ファイナリストに選ばれた。グランプリこそ逃したものの、芸能事務所に所属することができた。
しかし、レッスンを受けたり、ライブに出演したりする日々のなかで、違和感が募っていった。
「事務所からは『こういう風に歌え』『こんな服を着ろ』など、沢山の指示を受けていました。別に売れてるわけでもないのに、『スキャンダルに気をつけろ』とか。どんどん縛られていくのが苦痛でした」。
決定打となったのは、マネージャーからの一言だった。
「当時はシンガーとして所属していたので、誰かから提供された楽曲を歌っていました。でもある日、『今度は自分で曲を作ってみようか。作曲は難しいだろうから、詩からでいいよ』って言われたんです」。
黒沢は、中学生のころから創作に興味を持ち、作詞や作曲に挑戦していた。覚束ないながらも、既に幾つかのオリジナル曲を完成させていた彼女にとって、マネージャーの言葉は心外だった。
「『もう自分で曲を作ってますけど?』と思って、急に冷めてしまいました。これ以上、誰かの言いなりになりたくなかったので、事務所を辞めることにしました」。
このままシンガーとして成功したとしても、幸せになれる気がしなかった。
「誰かに敷いてもらったレールを走るのもアリだと思いますが、私は嫌でした。『私がやりたいことを、やりたいようにやろう』と決めると同時に、『売れたくないな』と思っちゃいました」。
もちろん、音楽に対する姿勢は本気だ。多くの人に聴いてもらって、認められたら嬉しい。だが、彼女にとって音楽は自分の人生を楽しむためのものであり、お金を稼いだり、誰かに評価してもらったりする手段ではなかった。
「何より私は、いつか結婚したかったし、子どもも欲しかったんです。音楽活動を本格化する前に、プロを目指すかどうかっていう葛藤が終わっていたのは、よかったかもしれません」。
早くも自らのスタンスを確立した彼女は、事務所を退所し、軽音楽部での活動を楽しみながら高校を卒業した。
部活で組んでいたバンドは解散してしまったが、ギタリストと二人でユニットを結成し、大学進学後も趣味としてライブ活動を続けた。
弾き語りを始めたきっかけは、2013年12月25日、友人と企画したクリスマスライブだった。
「本番の一ヶ月前になって、ユニットの相方が『仕事の都合で参加できなくなった』と言い出したんです。仕方ないから相方のギターを借りて、めっちゃ練習して、弾き語りで出演しました。あのころは周りにピアノ弾き語りの人がいなかったし、ソロでやるならギターしかない!って思って」。
ライブの出来は、散々だったと笑う。
「今、映像を見返すと、ひどいものです。あんな事故みたいな初ライブで、よく10年も音楽活動を続けてこれたなぁ」。
それでも確かに弾き語りの楽しさを感じた彼女は、翌年春にユニットを解散したこともあり、ソロのシンガーソングライターとして活動を本格化させた。
14年12月21日には、ソロ活動開始一周年を記念した1st DEMO CD『眠れない夜』をリリース。その後、一年おきにDEMO CDを制作し、17年2月22日には1st single『私の隣に』を発表した。
「自分でギターとピアノを弾いて、サポートの方にカホンを演奏してもらって、レコーディングやミックスもお願いしました。初めて本格的な音源を作ることができました」。
このころには、ギターだけではなく、ピアノの弾き語りも行うようになっていた。
「ギターは3年くらい頑張ったけれど、あんまり上手くならなかったんですよね。ピアノは子どものころからやっているし、周りからも『ピアノの方がいい』と言ってもらっていたので、二刀流になりました」。
就職活動のために音楽活動を休止する期間を挟みつつも、17年3月24日には、大久保にあるライブハウス・LiveMusic HOTSHOTにて初のワンマンライブ『愛子ワンマンライブ〜わたし、オトナになります〜』を開催。同日、1st mini album『好きで、嫌いで、好きなのです』をリリースした。
「大学を卒業して、社会に出て働き始めたら、どのくらい活動できるか分かりません。『これで終わりかも』と思いながら企画したことを、よく覚えています」。
ミニアルバムには、ギター弾き語りを1曲、ピアノ弾き語りを1曲、アコースティック編成のバンドで1曲、エレキギターを入れたバンド編成での2曲を収録。学生時代の音楽活動の集大成を飾った。
17年4月、一般企業に就職して以降は、ピアノ弾き語りでの活動が主軸となった。
「仕事終わりにライブやるとき、ギターを持って出社するのは難しくて。ピアノは会場に常設されているので、ありがたいです」。
同時期に、アーティスト名を『黒沢愛子』に改名。しばらくは、音楽活動とプライベートの両立に苦労する日々が続いた。
「半年に一回くらいライブできたらいいなと思っていたんですが、ブラック企業だったので、しんどかったです。営業職だったこともあり、急に仕事が入ってライブを飛ばした日もありました。19年に転職して、今の仕事になって、やっと落ち着きました。有給がとれるって最高ですね」。
ライブの頻度を増やし、新たな音源の制作も進めていたところで、コロナ禍に見舞われた。
「コロナの影響は大きかったです。20年5月にCDを出すつもりが、密でレコーディングができないし、レコ発ライブもできなくて、秋にずれこみました。でも、お世話になっている代々木Laboさんが『代わりに配信ライブをしましょう』と提案してくれたり、自分でもツイキャス配信をしたり、完全に活動が止まったわけではありませんでした」。
20年10月21日に、2nd single『愛に溺れる』をリリース。レコ発企画振替公演として『黒沢愛子×小橋綾presents「人は愛しいという感情で泣ける生き物です」』を成功させた。
さらに翌年6月23日、通算100回目のライブを達成。
「100回分の日付とライブ会場は、全部記録してあります。活動期間に対して、ライブ本数は少ない方だと思いますが、節目を祝えてよかったです」。
愛に生きる姿が反映された楽曲群
黒沢が初めてオリジナル曲を作ったのは、中学生のときだ。
「ちょうどケータイ小説が流行っていた時期で、『私も何か創作してみたい!』と思って、友達と詩を書いたんです。せっかくなら、私はピアノが弾けるし、曲も付けちゃおう、と考えたのが始まりでした。中2病というか、今は歌えないような曲ばかりですが」。
今でも、まず歌詞を書いてから、音を考えるという。
「楽器は触らずに、頭のなかでメロディとコードを鳴らして曲を作ります。歌詞は、実体験から感じたことを書くことが多いですね」。
現在、ライブのレパートリーになっているのは約20曲。そのほとんどがラブソングだ。
「自然に作りたくなって、歌いたくなるのがラブソングなんです。私そのものが、愛することと愛されることに一生懸命なんですよ」。
まさに「名は体を表す」ということかもしれない。
そんな彼女の代表曲は『愛に溺れる』だ。
「社会人になってまもないころに作りました。当時は営業職だったので、外回り中に、営業車を運転しながら作った思い出があります」。
苦しいほどに溢れる愛を歌った、真っすぐな歌詞が印象的だ。
「当時好きだった人との思い出を赤裸々に綴っています。初デートや2回目の場所まで、ありのままを書きすぎて、『相手にバレない?』ってみんなに心配されるくらいです。実際、バレているでしょうね」。
とはいえ、実話そのままを楽曲にするのではなく、一つの物語として仕上げることを心がけている。
「主人公がいて、好きな人がいて、第三者がいて、みたいな。自分だけど自分じゃない、『誰か』のお話として曲を作っています」。
ドキュメンタリーではなくフィクションとして、少女漫画や小説のように楽しんでほしいと語る。
「今のご時世、こういう言葉選びが正しいか分かりませんが、女の子らしい曲、女の子に共感してほしいと思いながら作っている曲が多いです。恋愛中って『この人が好きだな。楽しいな』って気持ちもあれば、黒い気持ちもありますよね。それはおかしいことじゃないと言いたいんです。男の人に対しては、『あんまり夢を見んなよ』と伝えたいですね。女の子のリアルをさらけ出している感じです」。
すべての夢を叶えたい
2017年11月14日のブログで、黒沢は「人生の目標」として3つの夢を語っている。そのうちの一つを叶えたのは、22年6月25日。ベーシストの坂口ビントロ氏と結婚したのだ。
「昔から、『お嫁さん』になりたかったんです」。
坂口氏と知り合った場所は、彼女がホームにしているライブハウス・LIVE labo YOYOGIだった。
「20年の秋頃、私がラボでライブをしたとき、対バンの方のお客さんとして彼が来ていました。私にも『いい曲だね』と話しかけてくれて、CDを買ってくれて、SNSで繋がりました」。
共通の知人が多かったこともあり、あっというまに距離が縮まった。
一つ目の夢を掴んだ彼女は、次の目標に向けて動き出した。22年12月25日、翌年12月に活動休止することを発表。合わせてアルバムの制作と、『黒沢愛子10周年ワンマンライブ「そのときがくるまでは歌わせて」』の開催を決定した。
「活動を休止しようと考え始めたのは、22年の秋くらいです。せっかくだからワンマンでもやろうかなって思ったとき、もうすぐソロ活動を始めて10周年だと気づきました。悔いのないように、盛大に節目を祝ってから休止することにしました」。
平日の開催となるため、開演時間は20時と遅めに設定し、ツイキャスプレミアでの同時配信も行なう。
「クリスマスの予定がある方や、お子さんがいて外出できない方は、ぜひ配信でライブを見ていただければと思います」。
今回は弾き語りではなく、フルバンドでの演奏を披露する。
「準備を兼ねて、今年はバンドでライブをする機会を増やしています。アルバムのレコーディングも、まったく同じメンバーで進めています。どんどん練度が上がっているので、本番が楽しみです」。
ライブ当日にリリースする初のbest album『幸せのできあがり』には、彼女が音楽活動を開始した当初から現在までに発表してきた楽曲たちを、再アレンジして収録する。「古い曲も最近の曲も入れて、名実ともに、10年間のベスト盤になります」。
既に活動休止を決めている彼女に、敢えて、「5年後や10年後はどんな自分になっていたいですか?」と聞いてみた。
「野望はたくさんあります。家が欲しいし、家族を増やしたいし。何より、私も旦那さんも音楽は辞められないと思うので、ライフステージの変化に合わせつつ、みんなで続けていけたらいいですね」。
笑顔で語る彼女にとって、「歌い続けること」も夢の一つだ。
今回の活動休止ワンマンのタイトルは「そのときがくるまでは歌わせて」。HPやSNSのプロフィールにも書かれている「そのとき」とは、一体、いつなのだろうか?
「未来って、何があるか分かりませんよね。突然、歌が嫌いになるかもしれない。病気で声が出なくなるかもしれない。子育てで忙しくなって『歌ってる時間ないわ』ってなるかもしれない。はたまた、おばあちゃんになっても歌っているかもしれないけど、終わりは来ます。誰だって、いつかは必ず死んでしまうので」。
何かが起きるか、命が尽きるか、いずれにせよ「それまで」は歌っていたい。そんな彼女の言葉は、「何が起きても歌い続ける」と断言するより、誠実なのかもしれない。
取材の最後に、彼女は「昔から、母が憧れなんですよ」と言った。
「私の母は、結婚しても、子どもを産んでも、ずっと歌い続けています。私も10周年の節目を祝って、ワンマンを楽しんで、活休して、そのうち帰ってくるつもりです」。
お嫁さんになること、お母さんになること、歌い続けること。
「女の子の夢」そのものともいえる彼女の3つの夢が、すべて叶っていくことを、編者も一人の女として応援したいと思った。
Text:momiji
Informaition
2023.12.25(Mon) open 19:30 / start 20:00
黒沢愛子10周年ワンマンライブ
「そのときがくるまでは歌わせて」
[会場] LIVE labo YOYOGI(東京都渋谷区代々木1-31-12 B1F)
[料金] 前売 ¥3,000 / 当日 ¥3,500 (いずれも+1drink)
[配信] ツイキャスプレミアにて同時配信 ¥2,800