【R35:STORY】東京都、清澄白河発のソロミュージシャン・ニシナオキ
東京都出身のシンガーソングライター、ニシナオキ。80〜90年代のR&Bやシティ・ポップに影響を受け、エモーショナルなサウンドを創り出している彼が、現在の活動に至るまでの経緯とは。
80-90年代に憧れ、コロナ禍のなかで音楽活動を開始
ニシナオキは、東京の下町情緒を残す街、清澄白河に生まれた。その音楽の原体験は、幼少期のドライブだ。
「母の運転で、よく祖母の家へ行っていたんです。カーオーディオから、母が好きだったアース・ウィンド・アンド・ファイアーの曲が流れていたことを覚えています」
その後も家族の影響で、ブラックミュージックなどをよく聴いていた。
小学6年生のころにサカナクションを知ると、vo.>.山口一郎氏に憧れた。
「『僕もギターで作曲してみたい!』と思って、実際に始めたのが高校1年生の時です。兄貴もギターをやっていたので、基本的なことを教えてもらいました。でも兄貴とは、好きな音楽のジャンルが全然違ったんですよね。だからほとんど一人で、インターネットで調べながら練習していました」
そのころのニシナオキは、80年代や90年代の音楽に心惹かれるようになっていた。
「日本のアーティストなら山下達郎さんとか、シティ・ポップが大好きです。一番尊敬しているアーティストは、プリンスですね。音楽はもちろん、生き方も含めて、全てがカッコいい。彼と同じエレキギターを買ったくらいです」
近年、YouTubeなどのインターネットサービスの発達によって、一世代前の音楽が再びブームになっている。しかし、ニシナオキがそれらを好むのは、別の理由だ。
「僕は2001年生まれ、いわゆるデジタルネイティブ世代ですが、僕自身はアナログ文化に親しんで育ちました。親が厳しかったのもあるし、自制していた部分もあります。テレビを見たりゲームで遊んだりするより、外に出かける方が好きでした」
いつしか、アナログ文化が色濃く残っていた時代に想いを馳せるようになった。
「スマホやインターネットが普及する前って、もっと色んなことがリアルで、感動できたんじゃないかと思うんです。たとえば『駅の掲示板に待ち合わせ相手への伝言を書く。不安を感じながら待つ。すれ違いかけたけど、なんとか会えた』とか、今の僕らからしたらドラマみたいなことが日常だったはずで、素敵ですよね。僕はそういう時代に憧れて、ファッションや音楽も好きになっていきました」
オリジナル曲を作っていくなかで、歌い方も身に着けた。
「子どものころは音痴でしたが、声変わりした後から、歌うことが好きになりました。中学生の時は、週4でカラオケに行っていましたね。高校生になってからギターと作詞作曲、歌を全部一緒に、本格的に練習しはじめた感じです」
とはいえ、世間に演奏を披露することはほぼなく、もっぱら一人で楽しんでいた。
「当時はテニス部に入っていたり、スケートボードをやっていたり、どちらかといえばスポーツが中心の生活でした。それらの空き時間に、趣味として音楽をやっていました」。
状況が一変したのは、2020年だった。
「スケートボードで大けがをして、入院したんです。退院してからも、コロナ禍が重なって、何もできない日々が続きました」
家に閉じこもるしかない毎日のなかで、好きな音楽を聴き、ギターを弾くと、心が浮き立つのを感じた。
「どんどん音楽にのめり込んでいきました。せっかくだから、高校生の時から作ってきた曲をレコーディングして、世に出したいと思うようになりました」
武道館に立つ日を夢見て
自粛要請が緩和されるにしたがい、活動の幅を広げていったニシナオキ。
「たまたま、知り合いに音楽関係の仕事をしている人がいて、蕎麦屋で弾き語りのライブをさせてもらいました。その演奏を聴いてくれた人が『もっと外に出て活動したほうがいい』と言ってくださったんです。それをきっかけに、自分から色んなライブハウスさんに連絡を取って、『出させてください』とお願いしました」
2022年秋ごろから、月に5~6本のペースでライブを重ねていった。
「最初はギター一本の弾き語りでしたが、そのうち自作の音源を流しながらエレキを弾くようになって、23年の10月にはバンドを組みました。今はアコギの弾き語りとバンドを同時並行でやっています」
Instagramでの配信や、YouTubeやTikTokへの動画投稿にも取り組んだ。
「基本的には、SNSは自分のスタイルに合わないと感じています。80年代には存在しませんしね。でも『TikTokを見てライブに来ました』と言ってくださるお客さんもいるので、自分のスタイルを確立して、上手く使いこなしたいです」
23年2月から11月にかけて、Digital Single『魅惑夜』をはじめとした6曲を配信リリース。さらに11月22日、1st mini Album『HEART OF THE CITY』を発売した。
「ずっと部屋で作っていた音楽を、やっと外に出すことができました。このアルバムは、これまでの自分のハイライトとなる一枚です」
24年2月4日には、渋谷にあるライブハウス・LUSHにて、『SHIBUYA LUSH & NISHI NAOKI presents ”NISHINOHI”』を開催。
「お世話になっているライブハウスさんで、初めて企画ライブをしました。自分でトリを務めるのも、アンコールをもらうのも初めてで、楽しかったですね。ファンの方も増えたし、もっと周りに広がる形で続けていきたいと思いました」
さらに2月26日、大塚のライブハウス・Deepaにて、『OtsukaDeepa × ニシナオキ “タイムスリップ”』を開催。
「Deepaさんとの企画タイトルの『タイムスリップ』は、僕が考えました。対バンしたかったバンドを呼んで、すごく盛り上がる一日になりました」
3月23日には、再び渋谷LUSHとの共同企画を行なった。
「ちょうど大学を卒業して、社会人になるタイミングだったので、卒業パーティ的な感じでした。まさか自分が、こんなに音楽をやるようになるとは。今となってみると、あの時、怪我をしてよかったです。不思議な巡り合わせですね」
24年4月からは社会人として働きながら音楽を続けている。
「前みたいにライブができなくて、辛いです。でも、労働からしか得られないものもあると思うし、音楽活動と両立できるようにがんばりたいです」
忙しい日々のなかで、新たなEPのリリースに向けて楽曲を制作中だ。
「前回は一人で、DTMを中心に音源を作りましたが、せっかくバンドが組めたので、今度はバンドセットでのレコーディングに挑戦したいです」
生活が落ち着いたら、再びライブ活動に力を入れる予定だ。
「僕は、ライブハウスで名を揚げていきたいと思っています。出てみたい箱が沢山あって、そのうちの一つが渋谷WWWです。いつかワンマンライブをできるくらい、力をつけたいです」
5年後、10年後の目標を聞いてみた。
「高校の卒業文集に『目指せ武道館』って書いちゃったんです。だからもう絶対、『いつか武道館に出るんだ』という想いで活動をしています。絶対に面白くするので、注目してください」
80-90年代へのノスタルジーに浸りたい方はもちろん、まだその魅力を知らない方も、ぜひニシナオキの音楽に触れてみてほしい。
文:紅葉