
僕の薔薇が咲く日まで(ショートストーリー)
君の胸の中に薔薇が棲みついたのは、夏が始まる前のことだった。最初はなんだか変な咳をしているな、と思っていた。医者に診てもらうと、「レントゲンに薔薇が映っている」という。そんな馬鹿な。
「これは一種の奇病ですな」
施す術はないという。鎮痛剤をもらい、僕たちは家に帰った。
咳はどんどん長く、頻発していき、その度に君は苦しげに呻き声をあげた。
ある晩、一緒にベッドで寝ていると、君はひどく咳き込んだ後、真っ赤な花びらを口から吐き出した。何枚も、何枚も。
僕は、白いシーツの上に吐き出されたそれを手に取る。ベルベットのように艶めく薔薇の花弁。部屋中にその芳香が匂いたった。美しい色。まるで君の唇からうつしとったみたいに。
僕はこの間、2人で旅した長野での光景を思い出した。高原で咲き乱れる早咲きの薔薇。あの大輪の色にそっくりだった。
花びらの赤色に吸いとられるように、君の顔は蒼白となり、体をわななかせる。
僕は君をきつく抱きしめて、ひとりごちる。
一体どうしてこんなことになった?
君は震える声で言う。
胸に残る棘が内側から攻撃しているんだ、
皮膚を突き破りそう。
痛い…助けて。
僕は医者から貰った鎮痛剤を口移しで飲ませる。
こんなの気休めにしかならないよ。
喘ぐように君は言う。
やがて君の胸から、腕から、腹から、ブツッと薔薇の黒い棘が出てきた。何本も。それは君の柔らかい皮膚を突き破り、追随して黒くて太い枝が顔を出す。
君は赤い涙を流して僕に言う。
ごめん。本当は一緒にいたいのだけれど、無理みたい。
僕は君の名前を叫ぶ。
駄目だ。僕を置いていくな!
ずっと側にいてくれよ。
しかし、もう君は答えられない。
君の体は薔薇の枝に食いつくされてしまって…。
しばらくたつと、ベッドには1本の枯れ枝が転がっていた。その周囲には、君の唇の色に似た、深紅の薔薇の花びら。君そのものの、魅惑的な香りを放って。
僕は悲しみにくれながら、枯れ枝を家の庭に植えた。
もう君を抱きしめることができない。君が目を細くして、口いっぱいに笑う無邪気な顔を見ることができない。君の艶々した髪の毛に触れることもできない。なにもしてやれず、ただ見ていただけの自分を激しく責めた。
僕は君が吐き出した薔薇の花びらを、1枚1枚生糸でつなぐ。元のようにふわふわと揺れる、美しい花によみがえらせるために。そう、かつてのように、匂いたつ美しい君に会いたいんだ。
春になり、暖かな日差しが降り注ぐ頃、庭に植えた枯れ枝から新芽が出るはずだ。それはすくすくと伸び、あおあおとした葉を繁らせ、ぷくりとした蕾をつけることだろう。
僕はそれまで待つ。誰にもその成長を邪魔されないようにする。必ず。
いつか君が、満開の薔薇の花を咲かせるその日まで。
〈了〉
※ヘッダーにも使用したこちらのイラストは、かなた@ー恋つばー(@sorairo_jam)さんの作品です。
このショートストーリーは、YouTube「恋つば」をモチーフとして書きました。偶然にも、かなたさんが描かれた「恋つば」のれんくんの絵がショートストーリーとリンクしていたため、かなたさんにご了承をいただき掲載しました。
真っ赤な薔薇を抱く繊細な仕草と、慈愛に満ちた、でもどことなく力強さも感じられるれんくんの表情…。そんな、かなたさんの美しい絵と共にショートストーリーを読んでいただけたら嬉しいです。
追記
本ショートストーリーに着想を得た作品を櫻ハナさんが書いてくれました。約半世紀後が舞台です。幻想的なストーリーをお楽しみください。