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燈の箱庭 -陽の花-

 数年に一度、また数十年に一度、この地に辿り着く者が居る。かの地は「燈(ともしび)の箱庭」と呼ばれ、そこには一人の番人が居るという。
 箱庭の中では、ある「一定の条件下」であれば必ず花が咲くという二種類の薬草が所狭しと茂っていて、その中央付近には東屋(あずまや)がある。東屋には魔法がかかっていて、どんな大嵐であっても雨の一粒も入らないという。
 今日の「お客様」は、一人の女性だった。泣いてボロボロの疲れ果てた顔をした、そのせいか中年とも見える女性。頬を伝う涙が、その跡が、彼女を尚更やつれさせている。
 ぱちぱちと目を瞬かせて辺りを見回す様子から見るに、彼女がこの場へ来たのは不可抗力と取れる。いつの間にか、何かの原因で箱庭への「道」が開いてしまったのだろう。
 ゆっくりと、薬草の合間を歩いて、番人が彼女に近付く。深く被った黒いフードで顔は見えず、身体を覆うマントは大きく体型も分からない、ダボッとした袖から出ている小さな手は、小柄な身長よりずっと大きな一本の杖を持っている。

『貴方の願いを聞きましょう』

 声も中性的だ。この人物は誰だろう。そもそも人間なのだろうか。
 疑問は沢山生まれて然りである筈なのに、そんなことは微塵も浮かばず目にたっぷり涙を浮かべたままに女性は口を開いた。

「助けてください……わたしの、娘を……!」
『聞き届けました』

 コン、と杖の先で地面を叩く。それから番人は空に向けて杖を振り上げた。途端、雲がかかっていた空が晴れ、眩しいほどに輝く太陽が顔を出す。
 燦々(さんさん)と降り注ぐ光に思わず目を閉じた女性が次に目を開けた時、先程まで緑の葉しか見えなかった筈の地面が赤くなっていた。
 よくよく見ればそれは、花だった。赤からオレンジにかけてのグラデーションの美しい花。それを一輪摘んで、番人は女性に差し出す。

『これを、娘様の胸の上に乗せてください』
「あ……ありがとうございます。ありがとうございます! 本当に、本当にありがとうございます!」

 受け取った女性は、地面に擦り付けるほどに深く、何度も何度も頭を下げた。また番人が杖を揺らす。その先は何も無い空間を「叩き」、空間が裂けるように「開いた」。これが「帰り道」だと無意識の中で認識した女性は、番人に渡された花を胸に抱いてその中へと消えていった。



 女性は、結婚十二年目にしてようやく一人目の子供を授かった。何年もの不妊治療を経て、待ち望んでいた子供。その子供は、心臓を患っていた。産まれたばかりだというのに、一年も生きられないだろうと言われた。
 酷い絶望感。こんなにも、こんなにも切望していて、ようやく出来た子なのに。夫婦揃って涙した。泣いたところで何も変わらないと知って、それでも泣かずにはいられなかった。
 そんな時だ、箱庭への「道」が開いたのは。戻って来た女性はその日の深夜、看護師の目を盗んで我が子の眠る保育器に近付いた。番人から受け取った花を子の胸にそっと触れさせる。途端、子の身体に吸い込まれるようにして花は消えた。
 ああ、これで大丈夫。確信して、女性は自分の病室へと戻って行った。



 箱庭の番人には、「未来を見る能力」があった。箱庭を訪れた者や、箱庭に関わった者の未来だ。
 番人が「見た」のはおよそ十年後の未来。あの日女性が花を置いたその子供は、十歳になっていた。公園で元気に走り回る姿は他の同年代の子供達と何ら遜色無い。産まれた時に心臓を患っていたとは到底思えない姿だ。
 そんな子供を見守る母の微笑みも優しい。ママ友と話しながら、時々子供から目を離しても心配無いくらいに健やかに育ってくれた。勿論過信はしないが、それにしてもこれは女性が想像もしていなかった、本来ならば来る筈が無かった未来だ。

「ママー!」

 駆けてくる子供を母が受け止める。
 高齢出産の一人っ子。少々甘やかしてしまっただろうか。それでもこんなに可愛いのだから仕方ないとすら思う母は、子供にこれでもかと愛情を注いでいた。
 そんな様子を見て番人は、自身の「仕事」に誇りを覚えるのだった。

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