世界の美しい瞬間 8
8 さがせばある
散り際の桜もきれいだ。花糸が色濃くなって、満開のときよりも桜色だ。花弁の合間に新芽の葉が萌えて来る色のコントラストも美しい。
春は何度も見つかる。
梅が匂って、ふきのとうを見つけて、小さな虫が沸いて、すみれが咲いて、桜を見上げて、何度も何度も。
京都に来る前は、毎年のように、うどやタラの芽なんかを食べていた。
それが当たり前だったから、芽吹く時季には芽吹いたものを食べたくなって、たまらない。
オシャレなカフェのひとときや、鴨川の河川敷のうららかな日光浴、枯山水の庭で眺める四季の移り変わり、京都での定番の過ごし方も、春だなと感じられて大好きだが、
それだけではなんとなく、スイッチが入らない気がするのだ。
この春は、それらから少し離れて、野山の散策にいそしんでいた。
丘の中腹に座り、いざお弁当をと膝に乗せようとしたとき、手が滑った。
サーモなんとか言うスープジャーが、わたしの膝から転がり落ち、坂をゴロゴロと下って行ってしまった。
リアルおむすびころりん。
ジャーが落ちた辺りの落ち葉や枯れ枝の間をごそごそとかき分けたが、ジャーは見つからない。
が、そこには、懐かしい姿があった。
ゼンマイ、ワラビ!!
きゃー!!、である。
春だーーー!!
食べる分だけ少し頂いて帰った。
ジャーは探した場所から更に1歩ほど離れた場所にあったが、見つけたのはそれだけではなかった。
帰って、早速ゆがいて頂いた。
口にも体にも、もう一度、春が広がった。
その夜、自宅のプランターに水をやろうとすると、何かの二枚葉が発芽していた。
何種類か適当にハーブの種を蒔いていたが、そのどれかである。
ほぼほったらかしていても、春は私のベランダにも来た。
さて、何の葉なのか楽しみである。そう、蒔いておいて分かっていないのだよね。
春には別れと出会いがあると言うが、
それにはたくさんの寂しさ哀しさ不安や希望期待楽しみがない交ぜになった、カオスを孕んでいる。
何かは分からないけれど、そこにギフトがあるのだと、生かされている醍醐味を、またひとつ頂いた。
春は、何度も見つかる。