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きらきらひかる
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6『All The Small Things』
「そんなん決まって、大学とか来てて大丈夫なのオマエ」
大学の友達に何気に言われて、初めて棘が刺さってたんだと気が付いた。
2010年、大学四年生。
同然周りは右へ左へと就職活動に勤しんだり、内定もらっただの報告があるけど、オレの永久就職はバンドだ!って決めてるから、焦りとは無縁だった。
そのはずなのに、ここに来て胸がつきんと痛んだ。
オレだって、レーベルが決まったら、生活が激変すんのかと思ってた。
でも、まったくそーでもない。大学行って、バイト行って、あとはバンドの練習とライブ。
今までと全く同じじゃんーーて、自分で突っ込んだくらいだ。
来年頭にはCD出る……しかも全国展開で!
全国展開って魔力みたいな言葉だ。それだけでなんかひとつ立派なバンドに昇格したかんじがするから不思議だ。
でも、実際にはなんっもない。
ヒカルさんは今までの曲に加えて新曲を書き下ろして、トータル6曲を厳選するっていう。そのままヒカルさんは作曲作業にと、しばらく引き込もってしまった。
せっかくだからとリズム隊のグミとユーマは、事務所のスタジオを借りて時々練習しているらしい。あの二人がどんな話をしているのか不思議だったけど、久々に待ち合わせたときに、先に来ていた二人が同じたこ焼きのパックをつついていたのを見て、オレはとても微笑ましく感じた。
それでも、なんだか胸が空いている。
なんだろ。バンド始めてから初めてかも知れない。
ーーオレ、何やってんだろ……。
グミは最近、入れるところは全部バイトに行ってる。ドラムセットを買うと息巻いている。ユーマはCDジャケットのデザインを起こしてる。
オレだけ相変わらず、大学行って、バイトして、ギター弾いてーーもちろん上達のためだけどーー、結局それだけだ。
学生であることが利用できる内にと、学割で世間で流行りまくっているスマートフォンによーやく変えた。バンド内では先駆けてユーマが変えたのを見て、今度全国ツアー出るときに、地図とかナビとかあっていいなぁとか思ったからだ。しばらくはその最新の機能をあれこれ触っている内に、ヒカルさんに連絡したくなってしまった。
メールしても返事なし。電話したら電源オフってる。きっと集中してるんだ。
だから、「集合」メールがヒカルさんから来たときは、るんるんで羽島宅に突入した。一番乗りだ。
「お久っす!」
「一ヶ月だろ」
「うれし……よーやくだ」
無精髭にまみれたヒカルさんは、寝不足を隠さないまま玄関に現れた。シャワーも浴びてないのか、煮詰まった男の汗と煙草の匂いが部屋を満たしていた。
出前やら、コンビニ弁当のクズやら、コーヒーの空缶に極限まで詰められた煙草の吸いカスだの、曲のコードが乱雑に書かれたレシート裏のメモだの、推定アレのティッシュだのが乱雑に散らかる中、そいつらを足で適当に蹴って滑らせ、床の面積を広げて行った。
「ナニの相手いたんですか」
「暇ねぇよ。セルフ」
「ソロっすね」
「あん?」
「ギターソロって、マスターベーションみたいって、ないすか?」
「お前そーなの?」
「たまに。イきそう」
下らない会話を交わしながら、いつの間にかオレもヒカルさんも、アコギを抱えて座ってる。なんとなくバンドの曲や、流れで好きな洋楽のコピーをしていると、グミとユーマが連れ立ってやって来た。
四人揃うと、まずヒカルさんは、パソコンソフトに粗削りに打ち込んである曲をいくつか聞かせ、後はコード進行しか書いていない、ノートをちぎったメモ帳をテーブルの上に置いて、「後は昨日できた分だから、聴いてて」とコード弾きだけで歌った。
ヒカルさんが新曲を上げて来る度、その原型を一番最初に聴ける立場でいられるって、本当に至上の喜びしかない。
ヒカルさんから湧き上がるメロディーは何故か、無条件に心のどっかをきゅっと掴んで離さない。きっとどれもこれも、ライブでやったらすこい。ぜったいにシンガソングしたくなる。拳上げたくなる。跳び跳ねたくなる。
披露されたのは9曲あった。終わると、「どれがビビっと来た?」とヒカルさんが訊く。
「ぜんぶかっけぇ!」
間髪入れず俺が食いつくと、ヒカルさんは眉根を寄せた。
「いや、削る。っていうか、たぶん出せるのはこの内3・4曲くらいだと思う……今、ちょっと頭ん中、変なループに入り過ぎて、それがどれか判断つかねーんだけど……」
寝癖だらけのぼさぼさの髪を掻きむしりながら、 ヒカルさんは大きく欠伸をする。
「勿体な……」
「他のバンドにも書けそうな曲とか、中途半端に大衆ウケ狙ったモン、出しても意味ねぇ」
そんなことをぶつくさ言いつつ、ヒカルさんは煙草に火を点けた。
「率直な意見しかいらねーよ。とれが良かった?打ち込みに間に合わなかったやつ入れて、どんな感じ?」
「ーー基本、全部良いですよ。でも、ヒカルさんが削るって言うなら、あえてって前置きしますけど」
グミが徐に言った。
「俺は、2・3・5・7と最後のやつが、バンドでやったら面白そうな感じします。二曲目の疾走感は、なんかもう、叩きたいリズムが浮かぶ」
「おれーーいち、に、よん、ごー、なな、きゅうです。……あ、さんも好き」
「ほとんどじゃねーか」
ユーマに苦笑いを見せるヒカルさんに、俺は訊く。
「これ、選ばれなかったの、ストックしときますか」
「いや、捨てる」
ヒカルさんはそう言いながらあっさりとメモ帳に書いた六曲目の数字を、二重線を引いて消している。いつもこうだ。
オレだけだったら、10作ったものは10出したい。この目の前の才能溢れる男は、頭数を揃えるという概念よりも、質にかなり拘る。きっと、ここで披露した曲も、厳選した上での9曲なんだ。
ヒカルさんの生み出したものを、全て肯定してるオレの方がバカみたいに感じちゃうくらい。
「キラ」
お前も早く選んで意見言えとヒカルさんが促すので、渋々6曲に絞って指差した。
「ん。じゃあ、2・5・7・9だな」
ヒカルさんはオレの指した他の曲は無視して、その四曲に決めた。
「くっ……ヒカルさんの潔さが憎い……」
本当にヒカルさんの身を切って生まれた曲ならば、全部愛しているし、全部表に出したい。
そうこちらが思うことこそ身勝手だとでも言うように、選考外の曲のメモはヒカルさんの手によって、コンビニ弁当の残骸と同じ塊に丸めて放られた。山奥の気難しい陶芸家が、釜から出した壺が気に入らないと投げて割るのとそっくり。
「才能ねーんだよ、俺」ヒカルさんは言う。
「降りて来るみたいに作れねーから、沸いて来んの一滴も出なくなるまで、出なくなっても絞り出すんだよ。そいつが百回失敗作でも、次すげぇのが来るかも知れねーだろ。だから、ひたすら出すしか、ねーんだわ」
ヒカルさんに才能なかったら誰にあるって言うんだ。
俺はヒカルさんの音楽がこの世に出ない方が、世界の損失くらいに思ってるのに。
そう言っても、ヒカルさんはそうか?、と少し照れて「でもやっぱ、俺は天才とかじゃねぇと思う」って譲らない。頑固ジジィみたいに。
でも、たぶんオレたちは、そうやって音楽に心血を注ぐヒカルさんに惹かれて集まってる、同じくらい頑固で面倒くさい集団なんだと思う。
結局アルバムにはその四曲と、既存の二曲に決めて、バンドで楽曲へと煮詰めて行く。
事務所のスタジオに入り浸っては、一日六時間とか、ずっと音のことだけ考える。
音に触れて、弦に触れて、加えたり、削ぎ落としたり、ああだこうだと一音を詰めて行く作業は、苦しくて楽しい。重なり合う互いの音が絶妙にシンクロした時ほどのエクスタシーは、他にない。
偶然も必然も、閃きも努力も積み重ねも、今出るモノを全部注ぎ込む。
そうやって、ヒカルさんの曲は、どんどん進化して行く。いつのまにか、オレたちの曲になっている。
これ、ライブで鳴らしたら、ぜってぇヤベぇって、ほんとにわくわくするんだ。
一緒に合わせると、すげぇ分かる。そいつにどんな音楽が浸み込んでいるのかっていうのが。グミと適当にメンバーを集めてやっていたバンドは、他のメンバーからは適当に食い散らかしただけの音しか出なかったし、オレたちもどこかで求めても仕方ないって諦めてた。
けど、ヒカルさんはヒカルさんの、グミはグミの、ユーマはユーマの、そういう引き出しや蓄積がどこにあったんだって、まじでビビるんだ。それぞれがかっけぇ。
負けてらんねぇぜ。
楽曲になると、次はレコーディング。スタジオに籠って、それぞれがアンプの調整やら、エフェクターの選別、スネア選びやタムの絞り込み、シンバルはどれ、繊細で、楽しいお祭りだ。
ドラムから始まって、ベース、ギターと乗せて行く。
ピッチが走った、気に入らない、もう一回、あともっかい、そういうのを繰り返しながら、約1週間、寝たっけ?っていう間に音録りは終了した。
それからメロディに歌入れが入る前に、ヒカルさんとまた連絡が途絶えた。歌詞を書くのに集中するかららしい。
最近ようやくヒカルさんの行動パターンとルーティーンが分かってきたから、音信不通になっても極端な心配はしないようにした。ヒカルさんがサナギみたいに繭に籠って、出て来るときは、すげー羽化して出て来る。それは分かってるんだ。
なのにオレは一人、ゲロ吐きそうな気分だった。
バイトの給料前、いよいよ財布は空になって、それでも誰かと話がしたくて、更にバンドメンバー以外にはきっとわからなくて。
バイト魔になっているグミをあきらめて、ユーマを家に呼んだ。 母ちゃんがカレーライスを作ってくれて、ユーマは随分顔を紅潮させてた。母ちゃんの、しかも好物でのもてなしに感激したらしい。父ちゃんがトール缶のビールを譲ってくれたけど、ユーマにだけもたせた。オレは酔うとどうやら誰彼かまわず襲うらしいから、自重だ。
オレの部屋で歓談しつつ、CDと機材の話から、結局ギターをお互い触っている。ユーマもオレが中学のとき使っていたメーカーも怪しい古いギターを手に、しばらくバンドの曲だの、好きな曲だの、適当に流していた。
「ーーオレ、なんか最近、吐きそうなんだ。精神的に、もやもやしてる」
切り出して素直に吐露すると、ユーマは少し目を瞬かせてから訊いて来た。
「どれに、すか」
「バンドーーもだけど、なんか、もっとこう、あるんじゃないかとか思って」
「ある?」
「ーー役に立つこと……ヒカルさんのとか、バンドのとか。ここまでーー」オレは苦しくて、左手で胸の辺りをぎゅっと握った。
「ここまで、なにかが出てんのに、吐いちゃいたいのに、出ない」
ユーマはビールをごきゅ、と一口飲み下して「んー……」と答えを探った。
「ヒカルさんの、なら。したくても、今はできない。誰にも。それはおれも同じだし、ヒカルさんもそれは、望んでない。バンドのなら、それもヒカルさん、待つしかない」
「うんーー」
それは分かってるんだけどね、ってちらっとユーマを見たら、ユーマはひとつ瞬きをして頷いてみせた。
「待つってこと、大事なときあるって、思います。待つのって苦しいけど、その分、楽しいとか、嬉しいとかがデカくなる。おれ、キラさんが言ってくれてことがあるから、けっこう待ってられるんです」
「オレが?」
ユーマはもう一度こくりと頷くと、手に持った缶に目線を落として少し微笑んだ。
「はじめて会ったとき。二年前のあの日、ヒカルさんから呼ばれて、ファミレスに行ったら、キラさんとグミさんがいました。おれはヒカルさんとバンドやりたかったけど、あのとき全部うまく行ってなくて。そこに、二人が来てて、キラさんが言ったんです」
「何言ったっけ……?」
見当もつかず唸ると、ユーマは少し笑った。
「『どーせうまくいくんですよ、オレたち』って。そっか、うまくいくんだから、うだうだ考えてても仕方ないって、パリーンて何かが割れました。ヒカルさんもそれまでと表情違ってて。それで、途端にパァッて道が開けた気がした。おれ、これでヒカルさんとバンドやれる、キラさんとグミさんと、すげーことやれそうって。だから、けっこう待ってられる。キラさんが吐きそうなのとかも、タイミング来たら、ぶわーって……て気持ちよく出せる瞬間が、あると思う、ライブで、とか」
ユーマはそう言って、飲み干したビールの缶を側に置いてギターを弾き始めた。
少しだけ拙いギターと、透き通るような声で口ずさんでいる曲は、ユーマ発信でオレも大好きになった、邦楽のバンドの曲。明るい曲調に乗せて風を待ちたくなる、日本語の歌詞。
ぼんやりしているようでいて、いつもユーマは真剣に答えを出そうとする。小さなことから、物事の神髄に、真摯に向き合っている。
ユーマの歌が軽やかに終わる。天使みたいに色素が薄くて、透明な声の持ち主。その声に、歌詞に、悩んでいることが、許されて行った。
「ーーオレ、今更だけど大学辞めようかって思ってたんだ。オレだけその所為でバンドに全力投球できてないんじゃないかって。したら、バイトももっとできるし、ギターのローンとかさくさくっと返せるかもだしって……でも、問題すり替えてただけだった」
オレの呟きを、ユーマはギターを抱えたままじっと聞いた。
「オレだけまだ学生でって言うのが、単に嫌んなっただけだ。三人と比べただけだった。オレだけ一人取り残されて、デビューしたって何も変わんない自分が、情けなくなっただけだ」
「おれも、あんま変わってないです。ずっと、ベースもデザインも、並行してやって来たことだから、ぜんぜん変わってない」
ユーマはゆっくりと言葉を探しながら、オレに伝えているみたいだった。
「だから大丈夫です。キラさんが、バンド、真剣なの、伝わってますから」
じわりとあたたかく、ユーマが受け止めてくれた気持ちが、胸に染みた。
「ーーほんと、なんでユーマ女じゃないかな」
ほろっと言うと、ユーマは即答した。
「おれ、女だったらヒカルさんかグミさんがいい」
「えー!なんでだよ!」
抗議すると、ユーマは至極真面目に答えた。
「五股かけないから……です」
☆☆☆
ヒカルさんの歌入れが終わった。
ミキシングなどの作業に関しては、ヒカルさんに任せている。ヒカルさんの感覚とか、どうしたいかを信じているから。マスタリングだのなんだのあっても、オレはただただ上がって来るのを待った。
そして、今事務所に四人揃っている。
目の前にはプレスされて上がって来た、『ULTRA-NOVA』というミニアルバム。ジャケットデザインも、ユーマが手掛けたもので、黒を基調にしたシンプルさが、却ってやたらかっこ良かった。
部屋に帰って、順番に聴いた。
ヒカルさんの、卓越したメロディーラインが心地よく耳にはいって来る。すぐに口ずさみたくなってしまう、胸の奥まで染みる旋律。
歌詞カードを開くと、訳分かんなかった英詞が、ヒカルさんの言葉で訳されている。どれもこれもが、鮮やかにオレの胸の芯にブッ刺さった。
歌声と歌詞が、爽やかさとかっこよさ、切なさとからっとした明るさで縒り合わさる。
そして、音。
自分たちで演奏してたときには、全く知らなかった音がそこに再現されていた。
ただ弾いていただけのときは、全く思わなかった。
ーーオレ、ギターちゃんと弾けてる……。
レコーディングスタジオで録ったあのリフが、ヒカルさんの弾いたコードと重なっている。
自分の耳で聴いたイメージより、繊細でソリッドでシャープ。ディストーションと粘り気を伴っているのに、どこか青臭くカラッとした音。ミキシングで原曲が誤魔化されることなく、逆にストレートに伝わって、かつかっこよさを引き立てるために加えられた演出に、とにかく痺れた。
こんな、かっこいいんだ。ヒカルさんの曲が。オレたちが弾いたコード曲が。
震えた。
もっとうまくなりたい。
早くこいつでライブ、やりたい。
まるで、夢みたいだ。
夢みたいだと思ったまんま、近隣や都内のCD屋に、発売日、分担して挨拶に行った。
ポイントカードも持ってる、いつも通う全国チェーンのCD屋は、あちこちから目に痛いほどの赤と黄色が乱反射して飛び込んで来る。勧めている洋楽の趣味が、とある店舗の店員さんと合ってて、オレはよく、ほんとによくよく来てる。
挨拶した後、オレはCD屋の棚を見て回った。
「邦楽」の「インディーズ」の棚、「あ行」の仕分けに、特別平置きにされてるわけでも何でもない、ジャンル分けすらしていない、ただ背を向けられて、そっけなく立てかけられている、黒地に白の『ULTRA-NOVA』の文字。
手に取って見ると、プレスされてから自分のものを何度も見たはずなのに、盗難防止がかけられたそいつは何故か新鮮で、知らない人が作ったもののように思えた。
当然のように、オレの名前も、ジャケットの裏面、米粒よりも小さくローマ字で入ってる。
棚にそいつを戻して、いつの間にか、人通りの少ない階段の踊り場に出ていた。
気付いたら電話していた。
五度目のコール音で繋がった。
「ーーヒカルさん、CD、並んでる」
『ーーだな』
「オレたちのCD、店頭に並んでます」
『うん……』
電話の向こうで、ヒカルさんの声が少し掠れた。
「ーー夜、ヒカルさんち行っていーすか」
『ーーどうしたよ』
そう訊くヒカルさんに、オレの声が震えてたのが、伝わってるのかも知れない。ヒカルさんの声はどこか優しくて、胸があったかくなった。
泣いてたんだ、オレ。
「ーーオレ、すげぇ、すっげぇ、嬉しいみたいです……」
上手く行くって無条件に道の先だけは信じてても、それが訪れる瞬間って、どうしてこんなに奇跡みたいなんだろう。
二月初旬。
もうすぐ大学卒業だった。
☆☆☆
CDデビューしたからと言って、やっぱり生活が変わるわけじゃなかった。売れてますの一言も事務所からは連絡なしだし。
事務所に所属してからは、レーベルの公式ホームページに、オレたち四人の並んだ写真付きでULTRA-NOVAの紹介ページができた。ディスコグラフィーに、『1st Mini Album NOW ON SALE!!』と虚しく赤い字が点滅して踊っている。
ただ、すげぇことがいっこだけ決まった。
「都内のBOX-EASTでデビューライブ!!」
BOX-EASTは、どんなバンドでも通過儀礼のように一度や二度はそこでライブする。その箱が、上へとのしあがって行く足掛かりになるか、足留めになるかーーそういう意味で業界内で割と有名だ。
収容人数は、ギリまで換算して、たぶん二百。
今までの集客実績から言って、箱が満杯になるとは思えなかったけれど、それでももっと小さい箱ばかりでやって来たオレたちには、かなりデカイ話だ。
その三月のライブに向けて、アホみたいに事務所のスタジオで練習した。1日8時間とか、フツーだ。
その合間に、一度世良さんのライブハウスでやるかという話になって、1日5バンドでは出る中にねじ込んでもらった。3月のデビューライブの宣伝もし、上々の手応えを感じた。
その日のライブ終わりに、世良さんが声をかけて来た。
「会わせたい人がいるんだけどーー」
ひょっこり現れて「こんばんは」と声をかけて来たその人は、ハットにサングラスに口周りがっつりの髭で、初見では人相も分からない。やたら貫禄のある体格は、主に横に張り出したがっちりとした筋肉によるもので、脂肪ではなさそうだとお見受けできた。
その人はまずヒカルさんに握手を求めた。その腕を捲った袖の下から、腕中にぐるぐるに巻くように彫られたタトゥーが威圧している。
怪しくも胡散臭い強面のおっさんは、サングラスを外した。少し垂れた、澄んだ優しい印象の目が現れた。
「初めましてーーだね。一方的にこっちは知ってるんだけど。オレのギター、元気にかき鳴らしてくれてて、ありがとう」
「ーーヴィンテージの……」
ありがとうございます、とヒカルさんは両の手で握手しながら、深々と頭を下げた。
突然剥き出しになったギターのあしながおじさんの登場に、オレたちは戸惑いと興奮で、ただ目をぱちくりさせながら動向を見守った。
あしながおじさんは(実際はそんなに腰高ではないけど)ヒカルさんを見た後、今度はオレたち三人を、ひとり一人じっくりと見回した。
目が合うと、そこにあまりにも強い力があって、どきりとする。
「君たち、面白いピックをお揃いで持ってるんだってね。ーー俺は、その『WOODSTOCK』の元メンバー、大成(おおなり)です」
あしながおじさんの更なる正体に、オレたちはただぽかんと口を開けて話を聞くばかりだった。
大成さんは、今は日本一デカいバンドフェスの、立ち上げ時からの主催の主要メンバーであり、フェス業界の大物だった。バンドでの夢は諦めても、すげぇロックバンドを集めて、伝説のウッドストックに負けないフェスをやるという信念は、今でも熱く変わっていなかった。
オレたちの世代じゃ、物心ついたら夏フェスはあるもんだと思ってたけど、昔はそういうのは何もなかった。ゼロから立ち上げて、継続させながら規模をデカくするって言うのは、どれだけ大変なんだろう。とにかく想像もつかない履歴を、大成さんは淡々と手短に、目尻に笑い皺を寄せながら話してくれた。
思いがけない大物すぎる大物に、オレたちのタマは縮んでたんだ。いっこも余計なことを口に出せなかった。
大成さんに比べたら、いくら成人しててもただのガキなオレたちを、大成さんはにこやかに笑顔で受け入れてくれていた。存在は怖ぇまんまだったけど。
「世良とは長い付き合いになっちゃってるんだけど、ギブソンをね、使ったら面白そうなヤツらがいるからレンタルしてやってくれって三年前に恃んだんだわ。したら、渡したやつがいるって言うからね、一回会ってみたいって思うじゃん」
「本当に……ありがとうございます」
ヒカルさんが、再び頭を下げる。
「並みいるメジャーレーベル、気にくわないって全部断ったんだって?」
「ーーええ、まぁ……」
ヒカルさんが言葉を濁らせると、大成さんは更に追い詰めた。
「で、思うほど売り上げが延びてないんだって?」
「そうみたいですね」
それにはそっけなく応えたヒカルさんに、大成さんはくつくつと笑った。
「今どきいるんだねぇ、そういうがっちがちの、硬派な芸術家気質のヤツ。売り上げ気にせず、やりたいモンやるっていうさ」
はぁ、まぁ……とヒカルさんは言葉を濁した。面と向かってヒカルさんがそんなふうに評されるの、初めてかも知れない。
「言っとくけど、似たようなことがきっかけで俺たちは解散したんだ」
「どうーーいうことですか」
ヒカルさんが尋ねると、大成さんは目を細めた。
「俺がねぇ、解散させたようなモンだからさーーバンド。テレビに出る出ないでモメて、ダメにしちゃったんだわ。俺ねぇ、あんときもーーテレビってのが大嫌いでさ。一方的で、制限があって。どうしても出たくなかったんだわ。けど、メンバーは違った。借金もあったし、家庭もったヤツもいて、生活が苦しいのもあった。ま、男だから、一発当ててやりてぇって気持ちもあんじゃん。テレビに出れば全部叶う。それが分かってたからこそ、ね」
煙草をくゆらせながら、その煙の向こうに霞んだステージを遠い目で見る。そこに、大成さんが置いて来た何かを探っているように。
「俺はそれを是としなかった。でも、それが解散論争に発展しちゃってーーまぁ、俺は今に至るわけだ。どうしても、ロックフェスの夢だけは捨てきれずにね」
オレたちは一言も発せずにいた。
状況がどこかオレたちとも似ていて、でもそれを全員が心のどこかで反発しているのが、リンクしているみたいに、互いの間を伝わり合った。
「俺たちはーー違います。それに、まだ始まったばっかです」
口を開いたのは、グミだった。
「テレビに出なきゃ絶対売れないって、誰が決めたんですか」
「逆に、テレビ出たらぜったいって法則も、ないです」
今度はユーマだ。
それを受けて、ヒカルさんが、大成さんを見据え、告げた。
「ーーそういう方程式だって、いくつも覆されて来たじゃないですか。人間が思い込んでることなんて、所詮その狭い枠の中でしか再現されない。実際には、いつ何があるか分からないから、その意外性が楽しいんじゃないんでしょうか。でなきゃ、音楽とか、実際すぐには金にならないし、誰かの腹を満たすわけでもないもの本気でやろうって、最初から思いません」
「オレ、むつかしーことはよく分かんないスけどーー」オレもヒカルさんに続いた。
「売れるかどうかって言うより、楽しくライブやりたい。ライブやってると、そん時だけは、生きてるってかんじがするんです。このメンバーでやってると、楽しくて仕方ないんです。これ、たぶん経験した人にしか分からない。大成さんは、そうじゃなかったですか」
じっと大成さんの目を見る。その瞳は、今まで見て来た大多数の大人たちと違って、濁ってないように見える。
「楽しかったんじゃ、ないですか」
オレのその質問に応えるわけでもなく、大成さんは少し笑った。
「ーー知ってると思うけど、フェスには、メジャーもインディーズも呼ぶよ。もちろんそのアーティストの人気や売り上げも、集客をする立場だから考える。デビューしてるからって、おいそれと誰でも呼べるわけじゃない。でもーーやっぱり好みはあるね。どっちのバンドに先にオファーかけるってなったときに、俺が客だったら観たいやつ、先に押さえときたいし。音源で聴けるヤツはごまんといるけど、ライブでってなったら、やっぱり違うからさ」
世良、ありがとう、帰るわーーと大成さんは奥の事務室に向かって声をかけた。
オレたちも、すみません、ありがとうございますと口々にお礼を言い、頭を下げると、大成さんは少し苦笑したように見えた。
「ーーあの時足りなかったのは、これだったのかな。まぁーーいつかフェスで君たちにも、俺のギブソンにも会えるといいけど、どうなんのかねぇ?楽しませてくれよ」
大成さんがそう言い残して去った後も、この出逢いはグサリと心臓のど真ん中に突き刺さって、オレたちのエネルギーと直結していた。
みんな、目に燃える火みたいな光を宿してた。
オレたちは再び、3月のデビューライブに向けて、練習を重ねた。
ライブの宣伝も事務所が積極的にしてくれていたし、オレたちも知る限りのライブハウスに、告知のフライヤーと宣伝用のポスターを貼らせてもらいに行き、他のバンドのライブ終わりに告知を手渡しするなど、駆けずり回った。
そして、唐突に、その日は来たんだ。
2011年、3月11日がーーー。
ーーーー7へ続く。