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まとめ編14:アクション包囲網

石田憲一
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1月は、過去の配信を1週間分ごとにまとめて編集したものをお届けします。

<アクション包囲網>

月:段取りではなく
イントロ:映画史に残る、段取りではなく本当の殺し合いに見える殺陣シーン
町山智浩のおすすめアクションシーンから。
例えば「アトミック・ブロンド」
印象や感想は、人それぞれだということ。それで問題ないが、他人がどう思うかは、それなりに参考になる。=それは往々にして、格闘シーンの本質を感じ取れていない、という残念な印象に繋がることが多いのは、今も昔も同じ。
今回のポイントも、「段取りではなく本当の殺し合いに見える」ということだから、要するに前回も扱ったリアルということに対する解釈や、評価について。
「その人がリアルと思えばリアル」が基本。
ただしこれは自分にとっては「勃たないAV」に等しい。
これを見て思い出したのは、昔フジテレビでやっていた新春「かくし芸大会」
事前練習型=プレコリオ型は、かくし芸化しやすい。
アクションに対して、格闘シーンに対して何を求めるのか?それが問題だ。
つまり「段取りではなく本当の殺し合いに見える殺陣シーン」に何を求めるのか。どこが面白くて、何に満足するのか? その評価ポイントが、「本当の殺し合いに見える」なら、それは本当にそうなのか。それのどこに価値があるのか?

火:一段階方式
格闘シーン、または格闘表現には二つの方法がある。
一段階方式とは、プログラムされたものを再現するだけの方法論。
一度作ったら変更がない、という意味で一段階しかないという意味。
かくし芸に代表されるように、事前練習・プレコリオ型の特訓はその一例
「すでにあるもの」の発表会という意味で、持ちネタ=特定武術や技の披露・実演も一段階方式である。
デメリットは、リハーサルに時間を費やすということ。
メリットは、誰でも根性・やる気さえあればなんとかなるという点。
問題点としては、
見えているもの、実体として行われていることが全てということ。
一段階方式の真の目的は、当人以外が全てをコントロール可能であるということ。
不能者たちの予定調和

水:二段階方式
イントロ:今回は、自分の違和感の元を解き明かすことで、その背後に働いているメカニズムを明らかにしている、
第一段階=自力を高める
第二段階=リアルタイム即興によるフィーリング対応
そのため第一段階では、アクション・アビリティが要求される。それを鍛え、身につけることが日々の訓練として求められる。
リアルタイム即興は、その訓練を兼ねる最高の練習方法でもある。

木:無空テクノロジー再び
単なるアビリティと、アクション・アビリティの違い。アビリティは、経験に頼った対応力=構造化されていない。
アクション・アビリティ=無空テクノロジーを有する技術性=構造化されている。
ドーナッツ構造の本体=身の部分は、構造化された構造。
無空テクノロジーは、構造化する構造。
一段階方式の発表会型は、構造化された構造の再生産だから価値がない。
金:なぜ二段階方式なのか

極論を言ってしまえば、その方が人間の能力を高めるから。
その結果、専門性が高まり、高度化するというメリットがある。
アクション全盛期型アクション俳優、養成型アクション俳優だけの特異性。=日本の独自性であり、それが世界最先端の到達点。日本人の凄さ。
それを捨て欧米の方法論を選択するということは、外国に隷属するのと同じこと。それでいいのかを問う必要がある。=自発的隷属
真のリアル・アクションが、フェイク=アクショノイドに包囲されているという現在の状況が、アクション包囲網である。
スタントマン全盛なのは、分業体制全盛だからであり。それ以上の理由はない。
シルク・ド・ソレイユに見る、ピン芸人の凄さと、構造化する構造の力・影響力=バレエ・リュスなどのお手本。そして現在の構造化された構造の再生産の限界。=差異化・バリエーションに過ぎない作品。
結局のところ、一段階方式では本質力が高まらない。そのことからも、表現をバイオレンスとリアリティの過激化という方向で発展させていくしかないわけだ。さらに二段階方式ができない以上、対抗する手段もそれしかないため、表現としては一元化されていく運命にある。

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