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まとめ編01:アクションの極意

石田憲一
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1月は、過去の配信を1週間分ごとにまとめて編集したものをお届けします。

<アクションの極意>

月:ハイブリッドのために
ハイブリッド・アクションのためには、アクションと立回りをその特性を中心に明確にしておかなくてはならない。
特性=本質の明確化は、経験値の高さと思想性によって規定される。
さらにはゴール設定によって方向性が定まる=ゴールが異なれば方向性も異なってくるので、その確認が重要。
アクションスター級は普遍的なゴールとしてベスト。それ以外は、業務上の最上限という程度の低いゴールでしかないため、相応しくない。

火:オリジンに学ぶ点1
オリジン・アクションに学ぶ極意性について。
一見価値がない、または低いと思われているところにこそ、実は極意性が潜んでいる。
よくある誤った認識としては、具体性の高い技術を知っている・持っていることが価値が高いというもの。具体性が高いほど、それしかできないため、実際は使えない。
つまりアクションの本質とは、抽象性が高い技術なのである。だから表現の要求に応じて抽象度を合わせることで対応が可能となる。これこそが極意性の一つ。
未知の表現に対応する受動的対応力が本質
それ即ち身体能力の高さ=機動性
アクションのデモンストレーション性の低さは、形を持たない=無だからであり、別に悪いことではない。

水:オリジンに学ぶ点2
独自技術=本質は無であり、無から有を生み出すことが極意。
異分野習得は、データベースとしての動きのパターンを収集しているだけなので、そのやり方だとキリがないだけでなく、やればやるほどそれ以外のことができなくなる=それ以外の発想が生まれにくくなる傾向にある。=アクション的クリエイティビティを阻害する。
方法論は、異分野練習で身体能力を高めつつ、技のノウハウを換骨奪胎して、決してそのジャンル・流派に染まらないこと。
その場振り付け、その場覚え、その場表現という即興性を鍛え身につけることで、フィーリング対応が可能となる。これも極意の一つ。
欠点は、ある程度のレベル=仕事が不自由なく自在にできるレベルに達すると、練習をしなくなる傾向にある。=感覚でできてしまうというフィーリング対応の悪しき面。
アクションらしさとは、臨場感の高さと、カッコよさの共存。そのために必要なのが中庸の立ち位置。これが最も忘れ去られがちである。

木:立回りの独自性1
立回りは、単なる格闘表現とは完成度が圧倒的に異なる。
その凄さが箸使いと同様に、あまりにも当たり前のこととして(映像作品も含めて)周りに存在していたため、その凄さに気づいていないだけ。むしろ当たり前すぎることとして、無視している傾向にある。
表現として完成された原形=振り付けの型がある。
その組み合わせによる構成力に秀でている。
それに伴う形のよさ=様や見栄を追求する美学がある。

金:立回りの独自性2+まとめ編
邦楽・舞踊と同質のリズム(間)に対するこだわりがある。
主役を立てつつ、やられ役も全体として形を作る、部分と全体の双方を活かす調和の美学に対する思想がある。
本質は無であり、無から有を生み出すことが極意のアクションと、表現としての効果の最大化として完成された立回りの形式性という、一見して水と油のような両者の二律背反的共存が、理想的なハイブリッドである。
これこそが究極のアクション極意であるだろう。

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