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まとめ編:リアルアクションの定義
石田憲一
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1月は、過去の配信を1週間分ごとにまとめて編集したものをお届けします。
<リアル・アクションの定義>
月:イントロ・間違った考えがなぜ生じるか
リアルアクション道について=所詮は問題視するに値しない素人のほざきである。
リアリティーの追求=実在武術の導入とその最大化が、リアルアクション道と解釈する。=本人も理解できていないため
問題視しない理由は、本人は自分だけの独自性だと思っているだろうから。しかし実際には、多数の同様な事例がある。
さらにそれらの実例には、ある種の共通点を見出すことができる。
その共通点とは、アクションの達人には存在しないものであるということ。
そのことから、その当人はアクションの達人と接点を持ったことがない=素人同然の経験しか持たない存在だということが推察される。
火:なぜ間違った考えに至るのか
異分野導入と、その優位性を説くというのは、わかりやすいから。
ふた通りのわかりやすさ
「わかり易い」と、「解りやすい」に分けてみる。
対外的に「わかり易い」
いろいろできる、ということは、できないより凄いという評価が下しやすいという意味でのわかり易さ。
素人には有効であるという、効果が実証済みである。
例:素人は、アクションの達人より、武術の達人の方が、アクション映画であるにも関わらず、凄そうに感じる。
自分が「解りやすい」=アクション上達の方法がわからないからこそ、異分野導入としての武術習得は、アクション上達幻想として、解りやすい。
=それしか思いつかないということ。
結論としては、虎の威を借る狐そのものであるということ。
水:誤認のメカニズム
ある種の共通点とは?
間違った考えに至る共通点
アクションがヘタだから=本質を掴んでいないから。
=要するに自分でできない、できていないということ。
同時に示唆してくれるような師に当たる存在がいないということ。
立ち位置問題
立ち位置が、間違っている。=アクションの地盤に両足で立っていない。
両足で立っていない=片足を異分野に置いているから、いつまで経ってもアクションが上手くならない。
アクションの地盤に両足で立つことへの恐れ。=純粋にアクションだけでは勝負できない未熟さ、下手さに当人が気づいている。
木:誤認の問題点
歪んだ情熱・野心問題
それでもなぜか天下を取りたいという、歪んだ情熱を持っている。
同様に人の上に立ちたいという歪んだ野心を持っている。
そうなった時に、素直にアクションに対し上達しようと努力するのではなく、基準をずらして優位な位置に立とうとする行為が成功すればするほど、アクションの価値・基準等に悪影響を及ぼすことになる。
アクションを舐めている当事者問題
なぜそのような意識が生まれるのか?
それは当事者自身がアクションそのものを舐めているから。
だから安直な思考、方法論でうまくいくと思っている。
同様に高いレベルでは勝負しない=測定不能領域で活動するため、低レベル対象であるほどうまくいく確率は高いのも事実。
その結果、本人がどれだけチャンスを掴もうとも、アクションの評価や地位向上には、全く影響を及ぼさない。
金:リアルアクションの定義+まとめ編
リアルアクションの解釈が間違っている。
その理由は、やはり立ち位置。
アクションの土俵に立脚していないから、自分勝手な都合のいい解釈をしてしまう。異分野からの参入は、その典型。
アクションの土俵に立脚していない=アクションの本質を理解していないからこそ、アクション表現に携わっているにも関わらず、アクション以外のものを優位に立てる。
その場合の定義は、リアルアクション=アクション以外の実在武術等の比率が高いアクションであり、その比率は高ければ高いほどよいとするもの。
つまり実在武術等の導入が、リアルであり、それこそリアルなアクションであるという解釈である。
それに対して、真のリアル・アクションとは、まず立ち位置がアクションの土俵にしっかりと立脚していること。
そしてアクションの成分が、より高く、できれば100%であること。逆に異分野成分が限りなく低いこと、できれば0%であること。
さらに両者の条件を満たした上で、アクション表現の頂点を極められること。これが真のリアル・アクションである。
だからリアルアクション道なんてものの、真の姿はフェイクアクション道なんだって。
リアル・アクションとは、リアルなアクションのこと。つまり本物のアクション=アクションの本物ということであり、実在技術(=これをリアルと解釈)を導入したアクションのことではない。それこそはフェイク・アクション。本当のリアル・アクションは、純度100%のアクションのことであり、もちろんそれで頂点極めることができる技術体系を有したもののことである。
<リアル・アクションの定義>
月:イントロ・間違った考えがなぜ生じるか
リアルアクション道について=所詮は問題視するに値しない素人のほざきである。
リアリティーの追求=実在武術の導入とその最大化が、リアルアクション道と解釈する。=本人も理解できていないため
問題視しない理由は、本人は自分だけの独自性だと思っているだろうから。しかし実際には、多数の同様な事例がある。
さらにそれらの実例には、ある種の共通点を見出すことができる。
その共通点とは、アクションの達人には存在しないものであるということ。
そのことから、その当人はアクションの達人と接点を持ったことがない=素人同然の経験しか持たない存在だということが推察される。
火:なぜ間違った考えに至るのか
異分野導入と、その優位性を説くというのは、わかりやすいから。
ふた通りのわかりやすさ
「わかり易い」と、「解りやすい」に分けてみる。
対外的に「わかり易い」
いろいろできる、ということは、できないより凄いという評価が下しやすいという意味でのわかり易さ。
素人には有効であるという、効果が実証済みである。
例:素人は、アクションの達人より、武術の達人の方が、アクション映画であるにも関わらず、凄そうに感じる。
自分が「解りやすい」=アクション上達の方法がわからないからこそ、異分野導入としての武術習得は、アクション上達幻想として、解りやすい。
=それしか思いつかないということ。
結論としては、虎の威を借る狐そのものであるということ。
水:誤認のメカニズム
ある種の共通点とは?
間違った考えに至る共通点
アクションがヘタだから=本質を掴んでいないから。
=要するに自分でできない、できていないということ。
同時に示唆してくれるような師に当たる存在がいないということ。
立ち位置問題
立ち位置が、間違っている。=アクションの地盤に両足で立っていない。
両足で立っていない=片足を異分野に置いているから、いつまで経ってもアクションが上手くならない。
アクションの地盤に両足で立つことへの恐れ。=純粋にアクションだけでは勝負できない未熟さ、下手さに当人が気づいている。
木:誤認の問題点
歪んだ情熱・野心問題
それでもなぜか天下を取りたいという、歪んだ情熱を持っている。
同様に人の上に立ちたいという歪んだ野心を持っている。
そうなった時に、素直にアクションに対し上達しようと努力するのではなく、基準をずらして優位な位置に立とうとする行為が成功すればするほど、アクションの価値・基準等に悪影響を及ぼすことになる。
アクションを舐めている当事者問題
なぜそのような意識が生まれるのか?
それは当事者自身がアクションそのものを舐めているから。
だから安直な思考、方法論でうまくいくと思っている。
同様に高いレベルでは勝負しない=測定不能領域で活動するため、低レベル対象であるほどうまくいく確率は高いのも事実。
その結果、本人がどれだけチャンスを掴もうとも、アクションの評価や地位向上には、全く影響を及ぼさない。
金:リアルアクションの定義+まとめ編
リアルアクションの解釈が間違っている。
その理由は、やはり立ち位置。
アクションの土俵に立脚していないから、自分勝手な都合のいい解釈をしてしまう。異分野からの参入は、その典型。
アクションの土俵に立脚していない=アクションの本質を理解していないからこそ、アクション表現に携わっているにも関わらず、アクション以外のものを優位に立てる。
その場合の定義は、リアルアクション=アクション以外の実在武術等の比率が高いアクションであり、その比率は高ければ高いほどよいとするもの。
つまり実在武術等の導入が、リアルであり、それこそリアルなアクションであるという解釈である。
それに対して、真のリアル・アクションとは、まず立ち位置がアクションの土俵にしっかりと立脚していること。
そしてアクションの成分が、より高く、できれば100%であること。逆に異分野成分が限りなく低いこと、できれば0%であること。
さらに両者の条件を満たした上で、アクション表現の頂点を極められること。これが真のリアル・アクションである。
だからリアルアクション道なんてものの、真の姿はフェイクアクション道なんだって。
リアル・アクションとは、リアルなアクションのこと。つまり本物のアクション=アクションの本物ということであり、実在技術(=これをリアルと解釈)を導入したアクションのことではない。それこそはフェイク・アクション。本当のリアル・アクションは、純度100%のアクションのことであり、もちろんそれで頂点極めることができる技術体系を有したもののことである。