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本を書こうと決めたら、さっそくいいことがあった
文章を書いていると、
知らない海、しかも少し青が濃い海に放り出されたような気分になる。
右へ進めば無人島にたどり着けるかもしれない。けれど、逆に目的地からどんどん遠ざかってしまう可能性もある。
その不安を消すには、もう書くしかなくて、
今、一文字一文字進めていくしかなくて。
途中で、自分の言葉の繰り返しに嫌気がさし、語彙力のなさを痛感する。
別の角度から見たいと思う出来事も、
結局、自分の角度からしか見れなくて同じような展開になっていくのを痛感する。
まるで、自ら申し込んだトライアスロンみたい。
誰に強制されたわけでもないのに、
なぜか自ら過酷なレースに挑んでしまっているときの気分。
noteで言うなら、投稿ボタンを押すときは、
運よく人が住んでいる島にたどり着いた瞬間。
「生きてた、ふぅ」と、一息つくとき。
でも、また次の一本を書こうと決めたら、
それは同時に、新しい旅のスタートでもある。
どっちの方向に泳ぎ出そうか。
どれくらいの時間をかけて進もうか。
どうしようもない中で、
やってみるしかなくて、ただ前に進むしかなくて。
外から見れば、ただパソコンに向かって
キーボードを叩いているだけの人。
でも、書いている本人にとってはトライアスロンそのもの。
「こういう切実さは、書く人だけが味わえる特別な感覚なのかもしれない。」
そう思うと、いまそれを味わえてることがちょっと嬉しくもある。
あとは、
書いていると、自己理解が深まっていくのを感じる。
「ああ、自分ってこういうとき、こう感じがちなんだな」とか、
書くスピードが上がる瞬間を見て、
「本当に残したいのは、伝えたいのは、こういうことなんだろうな」とか。
言葉を並べていくうちに、
自分の思考のクセとか、本当に伝えたいことが
少しずつクリアになっていく気がする。
だから、たとえ実際に出版しなくても、
noteに投稿しなくても、
すでにKindle作家の気分で文章を書いてみること、
一度、言葉を組み立ててみることは、
それだけで価値があるのかも!
「こんなにうまく書けないのに…」
そんな文章こそ、出すべきなのかもしれないし、
「意味あるかなこれ書いて...」
そんなことこそ自由に書いたらいいと思った。
何は得られなくても自分のクセがもっとわかるようになるから
それだけですごい収穫。
今いる場所で、今ある材料を使い、今の自分のまま、
トライアスロンに挑みながら、進んでいる。
そうやって、経験してみる、
感じてみる。
自分だけの世界を優しく守りながら
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