【あゆちゃん日記②】若いからと4年間断られた末の不妊治療。待っていたのは切迫入院生活。
こんにちは、あゆちゃんです!
初めましての方はこちらからお読みください💡
田舎から、夢を叶えて都会へ!素敵な結婚とともに飛び出し、順風満帆に見えた私でしたが、そうそう人生はうまく行きませんね、、、
不妊治療でたらい回し
結婚後、主人も子供大好きなので少しでも早く授かりたかったのですが中々うまくいきません😢早くから私の勘は「不妊症ではないの?」と言っていました。
すぐに病院にも出向きましたが、先生方から『まだ若いから来なくても大丈夫だよ』と、、、ひたすら病院を転々として、たらい回し状態。どこに言っても『まだ若いから』と返される、、それで3.4年経ってしまいました。
最終的に、両親にも相談をして有名な病院に一緒に行ました。そちらで私達夫婦と波長が合う先生に巡り合うことができました。そこで初めて検査をしました。その結果、私に問題が見つかりました。その時は愕然とし、申し訳なさで涙が止まりませんでした、、、
そのとき、先生が
必ずお母さんにさせてあげるからね!
と、言ってくださりました。とても心強い言葉。どんなに励まされたことか、、感謝しかありません。
29歳、やっと本格的な治療に入ることができました。そこからの半年は、それまでの時間を取り戻すかの如く、超ストイックに取り組みました。身体もぱんぱんに浮腫んで、本当にボロボロで、航空会社時代に力を入れていた美容も怠るくらい何もできませんでした。でも、どんな治療にもめげずにトライしました。人工授精を6回。注射もたくさん打ったのですごく浮腫んで、薬も飲んでみました。でも、ダメでした。それから、体外受精もしたけど、それもダメ。
何もかもダメ、本当に辛かったー…
最終的に、高度医療の顕微で授かることができました。
妊娠した時はもうもう一面お花畑!!!一番喜んでくれたのは夫でした。その時は夫婦だけでなく両家の皆様、友達全員が喜んでくれました。妊娠を諦めず努力して本当に良かったと涙涙涙でした。
切迫で...想像と違う妊娠生活
出血がちでしたが、順調に妊婦生活を送りました。安定期に入って、義理の両親と喜びを共有した矢先、お腹に違和感を感じました。
そして、いつもとは違う量の血が、、、!
主人は海外出張で不在で1人で病院に出向きましたら、切迫早産で即入院。いつ産まれてもおかしくない状況になっており『死産も覚悟してください』と言われました。
私は『この子は強い子だから大丈夫大丈夫』と、ずーーーっと言い聞かせました。お陰様で緊急出産にはならず、出産まで入院をすることになりました。
健康な私は初めての入院に抵抗があり、正直、かなり落ち込みました。
なんで健康な私が!!
神様なんかいない!
私は何も悪いことしてないのに!
なんでこんな仕打ちを与えるの?!!
ベッドから出られるのはトイレのときだけ。
ボーッと過ごす毎日。
入院食なんて喉も通りません、、
足の筋肉は衰え、骨と皮だけの、
カモシカ以上に細い足😢
義理の実家に近い病院だったこともあり、義母は毎日お見舞いに来てくれました。今だから言えますが、その度にベッドを起こすのが、また辛かった、、、そっとしておいて!と正直思ってました。(本当に毎日来てくださって、、ありがたいことなんですけどね、、。そんなことを思える余裕が全くありませんでした。)
でも、やっと授かった命!
弱音なんて吐いていられません!
我が子を守ることが大事!!!
相部屋でしたので、そこでの『みんなで乗り切ろう!』という雰囲気は心強かったです。
命が助かっても障害が残る可能性がある
妊娠7ヶ月目が過ぎた時です、、
早くも、陣痛が始まってしまい緊急帝王切開。
超低体重未熟児として、長女は産まれました。。。
『本来ならお母さんのお腹のなかで、お母さんの体温を感じながら安心している時期。将来不安定な子にならないように、なるべく早く触れてあげてください。』
でも、すぐに抱くことは叶わず、数日間見守ることしかできませんでした。。小さく小さく産まれた我が子を見て、申し訳ない気持ちで涙が止まりませんでした。
こんなに泣いたのは人生で初めてでした。
『命が助かっても障害が残る可能性がある』と、主治医の先生は言いました。でも「私達の子供は大丈夫大丈夫」と言い聞かせ、保育器の中にいる長女を毎日のようにさすっていました。約4カ月間、欠かさずさすり続けた結果、一時は命が危ないときもありましたが、長女の強い生命力で無事に退院することができました。
お陰様で後遺症もなく医師、看護師さんから『奇跡の赤ちゃん』と言われてました。退院のときの皆様からの拍手は本当に嬉しかったです。
この辛い時期に支えてくれたのも、やっぱり家族と友人でした。感謝の気持ちで一杯です。
入院生活から目標ができたわたしは、『いつか子供達に何かを教えたい!子供達のために何かをしたい!』と強く思いました。後に小学校受験の講師にご縁があるとは、、、。
やっと、3人の生活がスタートしました。
3人での生活は本当に本当に幸せでした。長女は周りのお友達よりも小さ目でしたが元気に健やかに成長してくれました。兄妹を作ってあげたかったので、病院側からは『また早産の可能性があるから諦めた方が良い!』と言われましたが、持ち前のポジティブな思考で、私は主人と相談をし2人目にトライし、再び高度医療で授かりました。
2人目は安静に安静を重ねた結果体重も20キロ増えましたが、無事にトラブルなく次女を出産をすることができました。(名前は公表できませんが姉妹の名前には、ずっと繋がっていてほしい気持ちを込めた漢字を使っています。)
第三話は新しい挑戦で破産目前?!
でもやっぱりお友達に助けられて今
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