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前川総裁は辞任覚悟で首相に直訴した (西野智彦の金融取材ファイル#3)

日銀総裁は辞任覚悟で直訴した
大平首相との歴史的会談の全貌

 1980年2月、第二次オイルショック後のインフレを防止するため、日銀はタブーとされてきた国会での予算審議中の利上げに挑んだ。だが、これに反対する大蔵省の壁は厚く、新総裁の前川春雄は大蔵大臣の竹下登と会談するも物別れに終わる。最後の望みは、時の首相である大平正芳との直接会談だけとなった。(敬称略)

 大平と前川の会談はつとに有名で、さまざまな文献が残されている。浪川攻「前川春雄「奴雁(どがん)」の哲学」(東洋経済新報社)には、前川が「経済は狂乱物価寸前の状況に類似してきている。できるだけ早く公定歩合を引き上げたい」と切り出し、大平が「よく考えて返事したい」と答えると、「できれば来週中にもお返事をいただきたい」と畳みかけた、と書かれている。ほかの文献もおおむね同様の記述となっている。

この歴史的会談の議事録は、これまで存在しないとされてきた。
しかし、半世紀近い時を経て、2人のやり取りを記したメモが存在することがわかり、筆者はその全文を入手した。「歴史の空白」を埋めるため、メモの全文を掲載しようと思う。

◆大平・前川会談の全貌ついに

「大平総理と総裁との懇談要旨」と題する手書きのメモは、A4版で4ページあり、前川に随行した秘書役の箕浦宗吉(のち名古屋鉄道社長)の記憶を基に書かれたとみられる。
それによると、会談は世田谷区瀬田の「大平私邸」で2月9日午後6時35分から7時45分まで行われた。箕浦のほか、大平の女婿で、大蔵省出身の首相秘書官である森田一(のち運輸相)も同席していた。
会談記録は以下のとおり。

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