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運命みたいな恋がしたい。(映画傲慢と善良 感想)

9月、パンフレットを手に取って気になっていた映画。「傲慢と善良」を観ました。
公開したらすぐ行こうと思いつつ、なんだかんだ観に行けたのは10月の半ば。今は少し後悔しています。2回目を観終えた今も、また観たくなる映画だったから。
そしてできれば、誰かと見に行きたかった。気になってる人とか、好きな人とか、恋人とか。でも今、わたしにはそういう相手がいない。
気温のせいだけじゃなく、少し寒い気がします。

さて、傲慢と善良、結論から言うと、すごく面白かったです!
いい意味で深く心を揺らす映画でした。
帰りに買った小説をその日のうちに読み終えたくらい、Blu-Rayが出たら絶対に手元に置こうと決意するくらいに、すごかった。
あ~、この作品に出逢えてよかったな。
そう思えるくらい、私にとっても、お気に入りの1作になりました。

ということで、私の過去のあれこれも混ぜながら感想を残しておこうと思う!
※ネタバレを含む!そしてたぶん長い!もしも全部読んでくださるとしたら、多少覚悟してください。
※書いているうちに近場の映画館では上映終了しました。寂しい。

初めて観たとき

とにかくラブストーリーが観たかった。
甘くて優しくて、疲れた心にときめきという栄養をくれる恋愛映画が観たい気分だったので、特に何も考えず劇場に向かいました。
予告も見ておらず原作小説も未読、事前情報はパンフレットだけ。
だから上映が終わって外に出た時、いろんな感情がないまぜになって、言葉ではなんとも言い表せないような気持ちでした。

過去の恋を振り返り、善良であろうとしながら傲慢だった自分に気付かされた痛み。
こんな大恋愛をしたいっていう単純な憧れ。
かわって、今現在相手のいない自身の将来への悲観。
けれど行動すればもしかしたらこんな出会いが、という希望。
主題歌ありえん良すぎ。リピ確定。…とか。
ヒロインの真実がそれぞれの場所で見せる表情の違い、演技、やばい!うますぎ!
隠しごとをする弱さとどうしようもできず逃げてしまう狡さがあった前半、他人に言われるがままだった人生をこれからは自分で歩いていこうとする強さが出てきた後半、素直に真っ直ぐに想いを架にぶつけるラストシーン、真実という女性にめちゃめちゃ惹かれた。
私も女だけど。こういうふうに、自分の軸を持って生きたいと思った。
架は、カッコつけてるし鈍いし絶妙に残念なところもあったけど、真実を見る目の温かさ、触れる手の優しさ、話しかける声その所々から、真実を大切に想う気持ちが伝わってきた。70点とか言ってたけど。器用そうに見えて、本当に不器用な人物だ。
表面的なことだけを見ていたわけでは、決してないと思う。ただ本心を、真実を、見れていなかったことに気づいて、想いを言葉にして伝え、一生懸命に相手と正面から向き合おうとするところがもう、あの、すごくとてもやばいくらい格好良かった。…とか。
ハァ!?何よあの女友達!邪魔ッ!…とかね。

とにかくそんな溢れそうな想いが、いっぱいでした。
言い換えれば、おっきな満足感。
満たされた。溢れそうなくらいに。

けれどもっとこの物語に触れたくて、帰り道その足で小説を買いに行き、喫茶店で途中まで読み、帰宅後に布団の中で読了。そのままぼんやりといろいろ考え、眠くなって、いつの間にか寝てました。

恋活や婚活における出会い

就職活動。ルーティーン。
物語のなかで、そんなふうに表現されていました。
実際はどうなんでしょう。どう、思いますか?

私は、恋活としてマッチングアプリを一度だけやっていたことがあります。
始めて1週間で1人目の人と直接会い、その彼とその後お付き合いをしたので、実際にやっていたのは10日もないと思う。
婚活はまだ経験がないけれど、その彼とも別れた今、いよいよ見えてきているようにも感じています。

実は、前から不思議に思ってたことがあって。
あの時、アプリを入れてたった1日で彼とやり取りを始めたのだけど、いずれ付き合うことになる人とあんなに早く出会えたのはどうしてだろう。
なぜ見つけられたのか、なぜピンときたのか。
その謎が今回、傲慢と善良を観たことで解けたような気がしています。

あの時の私は、恋人に対して求めるものがわかっていた。
だから、直感的に彼だ!と思った。
タバコを吸わないとか、休日は何曜日とか、そういうところは確認していたけれど。
その他の、なにか内面的な要素?条件?みたいなもの。たぶんそういう何か譲れないものが、あの時の私の中には確かにあって、それがピタリと彼に当てはまった。彼の写真を見たとき、感じとった。
“ピンときた”。そういうことなんだろう。

今改めて考えてみれば、当時のそれは、自分勝手な最低なものだったと思います。
あの頃、周りが付き合いだした焦りや、他人の温もりの恋しさ、いつまでも元恋人を引きずるのをいい加減やめたい気持ちがあった。だから。
この人なら私の寂しさを癒やしてくれる。
積極的に楽しいところに連れ出してくれる。
そしてきっと私のことを大事にしてくれる。
“あの人”のことを忘れさせてくれる……
おそらくあの時の私は、そんな相手を求めていた。
私を楽しませて、寂しさを埋めてほしい。でも傷つきたくないから、できるだけ優しいひとがいい。そんな都合のいい相手を。

そんなわけで私は、実際に会ったのはその元彼一人だけなので、ルーティーン化しそうになるほどはしていません。
でも、会う前のトークは何人もの人と同時進行でした。会話の内容は似たりよったり。
架の気持ちもわかるなと思いました。
ぱっと決めてしまえる人は、自分の求めるものがわかっていて。だからこそスルッとうまくいくこともあれば、時間が経って欲しいものが変わってしまうこともある。
何度も回数を重ねて相手を探している人は、きっとそれだけ、自分の人生に対して真剣な人なんだと思います。時間も労力もかかるのかもしれないけれど、そのぶん相性のいい相手に巡り会えるのかもしれない。
どちらの良さも、悪さも、運も、あるんでしょうね。

自分をさらけ出すことの難しさ

私は、友達が少ないです。人見知りだし、口下手。
新しく出会った人と仲良くなりたいと思っても、会う機会がなくなれば自然と離れていく。
手を引き止めるだけの勇気がないのです。
生まれ持っての性質だから、半ば諦めているところもあるけれど。

それでも自分の愛する人には、なるべくありのままの自分を、見てもらいたいですよね。
そう思って付き合ったのが元彼なのですが、はい。うまく行きませんでした。
わりかし素直に、思ったままに動いていたつもりでも、全然そうじゃなかった。
なんか、彼の前では素敵な自分でいたくてカッコつけてました。致命的にダサいです。

家族に見せる顔、友達に見せる顔、職場の同僚に見せる顔、好きな人に見せる顔。
全部違うし、どれが本当のわたしなのか時々わからなくなるけれど。
自分自身の飾ってるところを取っ払って、他人と関わること……難しすぎる。

物語では、序盤のそこは指輪でしょ!って場面でネックレスのプレゼントを真実が嬉しそうにしていたり、架が友達に真実を紹介する場面でやけに紳士に椅子を引いてあげたり、お互いに気を遣っているような様子が多々ありました。
相手のことが大切だからこそ、そんなふうに自分を作ってしまう。仕方のないことだと思う。
人生を共に歩む相手であるなら、全部とはいかなくてもやっぱり素の自分を、見せたい、のに。

だから終盤で想いをぶつけ合う二人を見て、めちゃくちゃ感動してしまいました。
こんなふうに言葉にして、受け止めて、受け止められて、あぁ、素敵だな。
もうすごい、伝える怖さとか勇気とか、そういうものを乗り越えて、ストレートに。
こんな恋がしたい。
羨ましい、と思いました。

設定した価値と、理想の恋人

知らず知らずのうちに、私に釣り合うのはこの人、この人は釣り合わない、とか思ってしまっていたこと、ある人もいるのかもしれません。
私は、正直にいうとありました。
間近の元彼は、たしかにそうだった。

私は元彼が2人います。
ひとり目は3年付き合って別れた高校時代の元彼、ふたり目は社会人になってからマッチングアプリで知り合った元彼。
好きになってから付き合う恋と、付き合ってから好きになる恋。
どちらも経験したけれど、幸福度が高いのは前者で、安心感があるのは後者だった。
ひとり目の元彼の時のように、好きになってから付き合う、という方が私には精神的にも向いているみたい。

ふたり目の元彼は、条件で選んだ相手だった。
この人なら、安心できそう。キスができそう。
好きになれそう。
そう思って、実際に付き合って相手のことを好きになれたつもりでいたけれど、いつもどこか気持ちを疑っていた。
本当にこの人でよかったの?
失礼な言い方だけど、そんなふうに考えてた。

煽ってきた車をわざと追い越しながらその運転手の顔をじろじろ確認してたり、お祭りの屋台の品を高すぎとか言って買わなかったり、職場の同僚を人格否定したり馬鹿にするような愚痴を聞くたびに、なんか、私には合わない、と感じてしまった。

煽られたのは自分の運転に問題があったのかもしれないし、そう見えただけかもしれない。どうせこの先を曲がれば見えなくなるんだからほっとけばいいじゃん。
お祭り価格だし普通じゃないかな。この値段には食べ物って他にも、楽しむっていう見えない価値があるんだよ。
なんで、そんなこと言うの?その人にもそうなるだけの事情があったのかもしれないし、受け流すことはできないのかな。
言ってはみたけれど、やはり理解してもらえてはいないようだった。

私は私を、優しく、聡いほうだと思う。
勘違いにならないように、そんな人になろうと日々努力しているつもりだ。
病むことも滅多になく、精神的にも安定している。
彼は少しだけメンタルの面で弱いところがあったし、その時疲れていただけなのかもしれない、とも思っていたけれど……
日に日に、私の優しさと、彼の優しさの度合いは釣り合わないような気がして。

私に対しては、彼なりに優しくしてくれていたことは感じていた。けれど、なんというか、人間性、価値観が合わないのでは?この先私にも職場の同僚に対する愚痴みたいな矛先が向いてくるのでは?ほかに良いところはたくさんあったし、人としては好きではあるけれど。この先恋人として、結婚相手としてこの人と歩んで行くとしたら、私は大丈夫なのかな。
一度そう思えたら、もうダメでした。
おまけに、決定的な出来事があって、もう無理だと思ってしまった。

自分のことは好き。嫌いじゃない。
だからきっと、過大評価してしまっているところもあるんでしょう。
そんな私には、どの程度の相手が似合うのか。
学生の頃の恋愛は、そんなこと考えたことがなかった。
けれど今、恋をしようとすると、なぜかそんな目で相手を見てしまうような気がします。

これが大人になるってこと?
結婚を現実的に見据えた恋をするってこと?
できれば知りたくなかった。
こんなドロドロした私の内面なんて。
純粋な気持ちで恋がしたいのに。
そうは思うのに、本当に難しい。

ちょっと落ち込んだくらい、身に覚えのある話でした。

やり直そうと言う方、言われる方

どちらの気持ちもわかります。
やはりどちらも、経験したからです。

ひとり目の元彼のときは、言った側でした。
その場で、断られましたが。
二人の関係はとっくに破綻していたのに、戻れないかなと思ってしまった。願ってしまった。
彼とまた、手を繋ぎたかった。抱きしめてほしかった。あの温もりを感じたかった。
私はまた、あなたとくだらないことで笑い合いたい。
私にはやっぱりあなたしかいない。
あなたの気持ちは、どうですか。と。

架が真実を引き止めた時、すごく心が痛かった。
ごめん、と彼が小さく首を振ったあのときの光景がフラッシュバックした。
きっと断られる。やめてほしい。うまくいってほしい。お願い。
もうここで泣いてました。しんどい。

ふたり目の元彼のときは、言われた側でした。
なんで今更、そんなことが言えるの?
それが、その時の本音でした。
真実が終盤で言っていたことと似ています。

それなりの期間一緒に過ごしたので、情というか、彼を愛しく思っていた気持ちを思い出して、少しだけ悲しかった。
でもやっぱり、彼とはもう終わったっていう気持ちの方が大きくて。
ここで断らなければ、私も彼も、駄目になってしまう。また繰り返す気がする。
そして今の私はそれを『二人で乗り越えたいとは思えない』と感じたので、断りました。
それが真実と架、私と元彼の結末を分けた決定的な違いでした。
あぁ、ひとり目の元彼もあの時こんな気持ちだったのかなと、漠然と思っていました。

切り出す側の葛藤や勇気、突然に告げられる側の迷いや決断も。本当にすごいことです。
たとえうまくいかなかったとしても、それだけ本気で、相手のことを想っていないと言えないことだと思う。

さいごに

思ったことをつらつら書いてきたけど、ちょっと長くなりすぎましたね。ゴチャゴチャしてきたので、ここで区切りをつけたいと思います。
もうほんと、自分の恋歴と照らし合わせても重なる部分が多くて、主役の二人の気持ちに深く共感できる面白い映画でした!
観る人によっては、過去の自分を省みたり、気づきを得ることもあるのかもしれませんね。
今現在付き合っている相手と一緒に観れたら、それが理想だけど。
恋愛に迷いがある、恋愛をお休み中な方こそ観てほしい(私のように)。そしてどう感じたかいろいろな方の感想が聞きたい!ので、これから自主的に漁ります。笑
私の部屋にはまだ録画機器が無いので、今度の賞与で買った暁には、ぜひともBlu-Ray第一号としてゲットしたいと思います!

最後まで読んでくださってありがとうございます。
以上、映画「傲慢と善良」感想でした!

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