[連載小説] オオカミは もうそこまで来ている #1 南海トラフの足音 海辺の一家のサバイバル作戦 防災会議の夜
プロローグ
仮設住宅工事のため赴いた被災地から二週間ぶりに帰った健治は、バスを降りると大きく伸びをして、見慣れた海辺の風景を眺めた。ここは、まだいつもと変わらぬ平穏な光景だ。
あの痛ましい現場に身を置いた後では、あまりに平和過ぎる。だが、ここにも災いは迫っている。そんな気がしてならない。
オオカミは、もうそこまで来ているのだ。
「備蓄担当」
初夏の夕暮れ時、丘の上にある一軒家では、庭先に据えた大きなテーブルにランタンを灯して、卓上コンロで、パックご飯やレトルトカレーを温めていた。ここは、健治の両親が暮らす彼の実家だ。近くに住む健治の一家 … 妻のさちこと子供たち、夏美と大吾の姉弟がやって来て、在宅避難の体験中だ。
一家4人は、いざという時ここに避難する事になっていて、今夜は初めての防災会議を開いている。なっちゃんこと 夏美は、IT専門学校を卒業して在宅ワークの日々。年の離れた弟の大吾は、まだ小学生だ。
「そろそろ、いいかな〜 アチッ」
さちこさんが熱々のレトルトを引っ張り出すと、なっちゃんがラップをかぶせたお皿に盛り付ける。これで、お皿を洗わなくて済む。
「このご飯は、ちょっと固いね」
パックご飯を試したばあちゃんがつぶやいた。
「ああ… ちょっと待っといて」
夏美は、耐熱ビニール袋にパックご飯を移し替えると、ペットボトルの水を少し注いで鍋に入れた。
「あれよ 袋が溶けるんちゃうか?」
「ううん、これはお湯で煮ても大丈夫な袋。これで野菜の煮ものもできるよ」
「なんと 便利なもんやね〜」おばあちゃんはのんきなものだ。
「よっしゃ、まずは晩ご飯にしようか」
健治父さんの声で、大吾くんが真っ先に大盛りカレーに飛びついた。
「ぼく 腹ペコだよ」
それを見ながら、父さんが言う。
「さてと… 皆んなも知ってるように、父さんは被災地からの要請で、仮設住宅を建てる現場に行ってきた。そこで見たのは、本当に恐ろしい風景だったよ。テレビでみるのとは大違いだ」
一同は、シンとして聞いている。
父さんは続ける。
「考えたくもないけど、大地震が起きたらここも大変な事になると思う。電気も止まる 水も止まる お店の品物もなくなる。それがどれくらい続くのか…見当もつかんが、1週間や10日でなんとかなるとは思えん。2ヶ月 3ヶ月 いや もっとかかるかもしれん」
使い捨てのスプーンを片手に、なっちゃんがつぶやく。
「3ヶ月なんて想像がつかないよ。その間ずっと レトルトと缶詰って事だよね?」
「野菜があれば、ちょっとは何か作れるけど、冷蔵庫がダメ、水もない では、きびしいよねえ」と さちこ母さんが腕を組む。
「おどすつもりはないが 覚悟しておかないと… 水と食料は 出来るだけたくさん買っておこう。そこでだ、なっちゃんは食糧係。じいちゃん ばあちゃんの好みも聞いて、皆の分を買い集める」
「了解!」
「お母さんは身の回りの物を買いそろえる。風呂に入れないし洗濯もできないから、何が要るか、いろいろ考えてな」
さちこさんもため息をつく。
「う〜ん、着替えの下着や靴下 シャツやペーパータオルも要るし、こんな時はトイレットペーパーも品薄になるね」
「二人とも、まず買う物を書き出して、ちゃんと計画を立ててくれよ」
「トイレを作ろう」
明るいランタンを囲んで、防災会議は続いている。
カレーを食べ終えて一息ついた大吾が言った。
「ぼくは何するの?」
「お前は、父さんといっしょにトイレ担当や」
「え〜 ぼく やだよ トイレなんて!」
「まあ そう言うな トイレほど大事なものはないぞ。ほれ、そろそろ行きたいやろ?」
「そ そう言われると…」
「水は出んぞ 父さんが元栓 閉めたからな」
「うそ〜 どうすんのさ?」
そこで 父さんは非常用トイレと書いた小さな箱を取り出した。
「これを使う。トイレにビニール袋をかぶせて用を足したら凝固剤をかけて固め、ビニール袋を外して二重にしばる。小さくまとめて、においの出ない小袋に入れて固くしばって、ゴミ箱に入れる」
「ふ〜ん なんか大変だね。で、そのばっちいゴミ どうするの?」
「燃えるゴミで出すと書いてある」
「それ ぼくが今やるの?」
「ハハハ、元栓を閉めたいうのはウソや。今、試してばっちいゴミを出しても困るからな」
「あ〜 よかったぁ」大吾のほっとした声に、回りから笑い声があがる。
「それで、これとは別に外にもトイレを作ろうと思う。ばあちゃん、裏の畑の隅っこ借りるよ」
「ええよ」とばあちゃん。
「大吾は、畑に穴を掘る手伝いや。それと、山に行って落ち葉をいっぱい集めて来い」
「落ち葉 何すんの?」
「トイレに混ぜると、発酵してきれいな肥料になるらしい。匂いもなくなるって」
「へえ〜 ホント? 面白いね」
「とにかく いろいろ やってみよう」
黙って聞いていたじいちゃんが、胸をたたいた。
「よっしゃ、わしがトイレの小屋を作ったる」
元々、大工の棟梁だったじいちゃんだ。頑丈なトイレができるだろう。
「わたしのお役目は、ないんかの〜」ちょっとさみしそうなばあちゃん。
「なんの、ばあちゃんは、いつもみたいに野菜をいろいろ作っといてくれよ。いざという時は、とびきり大事な食糧になるぞ」
こうして一家のサバイバル作戦がスタートした。
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