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ただの天才だと思ってた 2 高校受験

 さて、天才と家庭内で言われていた兄K、中学校に入学します。
市内の大きな公立中学校でも授業態度は変わらず。しかし成績は全てトップ、とはならず。中1は試験でトップ、内申で惨敗、中2は試験で5位以内、内申で惨敗。

 ここで新たな出会いがあった。中2冬に友人の姉が県下トップの高校に受かったことが進学塾のチラシでわかり、我が家は大いに盛り上がったのだ。
 ちなみに兄が中2になったときには、我が家は母子家庭になって、母と子ども3人でアパートに暮らしており、そのため、習い事の厳選や塾無しで高校受験を3人とも終える方法を母は模索していた。しかし、兄は本人が当時の内申点では到底入れない県下トップの理数科を志望していたため、初めての子どもの受験に備えて母は苦悩していた。
 友人の母に話を聞いて塾の費用と高校受験観を変えた母は兄を3年から塾に通わせることに。そこで出会った塾長から内申点の大切さと試験で全力を出すことの難しさを教わった母は、結局子どもを3人とも高校受験にむけて塾に入れている。


 余談だが、椎名なおこは内申点がよくてもテストの点数が上がらない、thisとthatって何が違うの?doesって何?というおバカだったので中1から塾に入っても大変だった…


 兄の話に戻ろう。とにかく塾から言われたのは、提出物を出す、授業中に本読まない、の2点。普通は教科指導が入るのに、まさかの入らない事件。もう試験の点数は足りていたらしい。
 そんな中、兄と比較されるのが嫌で別の中学に進学した私にも、部活の練習試合で「キミ、椎名Kの妹だよな?お兄ちゃんに課題出すように言っといて」と伝言されることがあった。
 当時の私は恥ずかしくて帰宅してわめいた。「なんで他校の先生からお兄ちゃんの忘れ物の話されなきゃならないの!?」
 

 当時の私含め家族は、なぜ兄がこんなに忘れ物をするのか本当に理解できませんでした。
 忘れるなら書きなさい、忘れないという気合が足りないなどといった根性論で兄に忘れ物をなくさせようとしたがゼロにすることはできず、受験に必要な内申点は1,2年次より少しマシになったなという感覚で終わってしまった。


 一方塾では夏期講習があった。私と兄の時間割は違っていたので、私は私のスケジュールだけで動いていた。すると昼間に塾から電話が。「おー、なおこか。悪いけど兄貴いる?」そう言われてつなごうとしたが、部屋に呼びかけても応答がない。仕方なく電話を保留にして兄の部屋に入ると、机には絶対にやりかけの数学のプリント、ベッドには爆睡している兄。無理やり叩き起こして電話を取らせる。傍から見ても電話口で怒られているのは明白。電話が切れると急いで塾に行く。これが何度かあった。
 塾で話を聞くに、課題はやってこないわ、寝坊はするわ、テストも満点じゃないわで怒られが多数発生している兄。それを三者面談で知った母親は、もちろんブチギレ。そりゃあそう。1人で4人家族の支出を稼いで塾にも行かせてるのに、肝心の受験生がやる気がない(正しくはやる気がないように見える)。

 家でも母のカミナリが落ちたとき、今でも記憶に強く残る事件が起こった。
 説教されている途中で兄がふらつき出したのだ。立ったままの状態がつらくなる時間は経過してない。
 でも、視線も合わず応答もままならず、フラフラと揺れ始めたので「これは何かおかしい」と思った私は母を止め、兄を安静にさせて母と2人様子を見た。


 後から考えると毎日毎日自分の特性上苦手なことを強要され、できないことで怒られ、心身のストレスは限界になっていたことだろう。しかし、このときも結局「疲れてるんだな」で済ませてしまい、特性なんてものは考えもしなかったし知りもしなかった。


 3年の受験まで塾に通ったが、教科の成績は上がった一方で内申点が足りず、第一志望の公立高校は、不合格だった。結果、兄は私立高校の特待生として片道1時間の高校に入学した。

 中学生の兄の様子はどうでしょうか。今ではギフテッドと呼ばれる領域に、知能検査で到達してしまう兄ですから、特性上苦手なことと得意なことのギャップが激しく、非常に生きづらい時代だったと思いを馳せます。兄の受験と同時期に弟がことばの教室に行くなど、椎名家も特別支援に少し触れる機会はありました。しかし、高機能自閉症、アスペルガー症候群などというものは見たことも聞いたこともないまま、このあとも時が流れます。


つづく

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