介護は苦しい?
皆さんこんばんは。
さて、みなさん改めて聞きます。
認知症の方の介護は苦しいでしょうか。
様々な苦しさがあるかと思いますが、正直なところ苦しいです。
このような事件を知っているでしょうか。
通称:京都伏見介護殺人事件
50代の男性Aさんは、ご両親と3人で暮らしていました。
しかし、1995年に父親が亡くなってしまい、それにつられ母親に認知症の症状が出現するようになりました。
Aさんは介護をしながら向上で働いていましたが、2005年、母親の症状がさらに進行しBPSDが出現したことで夜もほとんど寝ずに仕事に向かい、時に当時徘徊(呼ばれていた)したことで警察に保護された母親を迎えにいくことも何度もあったようです。
デイケアも使用していたそうですが、介護負担は軽減しきれず疲労ばかりが募っていくようになりました。そうして疲労が蓄積していき、仕事を続けられなくなり退職。なんとか介護を両立できる仕事は無いかと探したが見つからず、生活保護を受けようとしましたが、失業給付を理由に認められず。
しかし失業給付も打ち切られてしまい、カードローンも限度額に。
家賃も払える見込みがなくなり、遂には心中を決意するに至りました。
Aさんは最後の親孝行に当時車椅子が必要だった母親を連れて京都市内を観光し、家に帰りたがった母親に「もう生きられへんのやで。ここで終わりやで。」と言うと、母親は「そうか、あかんか。一緒やで。」と答えた。Aが「すまんな、すまんな。」と謝ると、母親は「こっち来い、わしの子や。わしがやったる。」と言った。この言葉を聞いて、Aは実行することを決意した。Aは実行に移し、その後自分も後を追おうとしたが、一命をとりとめてしまった。
ちなみにこの後、裁判ではもう一度母の子どもに生まれたいなどの発言や、裁判官からは法律的には違法だが、道義的には批判できない究極の選択だった。などの言葉が出たそうです。
詳細は検索していただければ簡単にわかるかと思います。
この時の問題点は多くあり、社会制度がいかに届いていないかが浮き彫りになった事件でした。
この事件、何度も読み返していますが、今でも感じるものがあります。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
今回はいつもと違う、事件の紹介でした。
当時、どうすれば防げたのかは「たら」「れば」でしかありません。
現代ではどうなるのか、どうすれば同じケースを防ぐことができるのか、そういったことが重要になるのではないかと思います。
介護は一人では難しいことが多いです。
今回の事件に少しでも思うところがありましたら是非、親、兄弟、子どもなど介護に携わっている方々への小さなことでも構わないので援助をしていただけたらと思います。
読んでいただきありがとうございました。