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空っぽな日々に

とても、温かい日でした。3月は街中が未来への期待に溢れていて好きでした。
今年の3月、父が亡くなりました。癌でした。元々は食道で、分かった時には全身に転移してました。

緩和ケアは実家で行いました。看護師の姉を中心に父の世話をしていました。私と姉でやる下手くそなオムツ交換は父の体を苦しめたでしょう。痛みで横になることもできなくて、座ったまま寝る父に、最後まで家族喧嘩をしては慰められていました。3代に渡り住み続けられた古い実家は、襖や窓ガラスの隙間から外の空気が入ってきてとても寒かったです。

いつもどこか、わたしは、遠くにいる気がしました。悲しみで泣き暮れる家族を見ると、頭がスッと冷えていきました。今日も作れなかった夕飯を買いに、車で片道20分かけて最寄りのコンビニに行きました。ファミマの冷凍鍋焼きうどんをカゴにいれ、セイムスで介護グッズを買いました。

あー、今日も生き延びた。その実感だけが、冷たいハンドルから得られました。

正しく生きれてるか時々不安になります。一緒に泣けば良かったかな、と車を運転しながら考えました。でも家で泣くことはできませんでした。

必死に生きてる人を前に泣くことは許されないことだと思ったからです。それなのに、車を運転してると泣けてきました。悲鳴のような声をあげて泣きました。流れる音楽はミセスグリーンアップルのソランジでした。

明日も仕事です。仕事のあとまた実家に帰ります。お腹の中の赤ちゃんは5ヶ月にさしかかり、時々お腹を蹴っては元気に伸び伸び過ごしてました。

3月でよかったと思いました。

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