広場に来た。お昼休みの勤め人達がそれぞれご飯を食べていた。東屋にポツンとご年配のサラリーマン。ずっと下を向いて頭を抱えている。東屋なので広いテーブルはある。何より他に空いているベンチもなさそうだ。私はテーブルの反対斜線側に鞄を置き、買ってきたお弁当を出した。他人様の頭頂部を見ながら食べるのもなんなので、背中を向けて植栽を眺めながら静かに食べ始めた。私の気配に気が付いた男性が、一瞬顔を上げたのが目の端に映った。振り返った時にはまた深く頭を下げていた。お弁当が半分くらいになった時
私達は1分の1の存在なのに 誰かの真似をしたり 誰かに合わせたりする度に 分母が大きくなって 自分でいる割合が減っていく 時には分母を増やしても また吐き出せばよい いのち息づく1分の1は そうやって生きていけばいいのだ
断捨離は「捨て」ていく ときめくものだけ「選ぶ」 ミニマリストは「最小限の」ものと生きる どれもいいけれど、どれもピッタリこない。 使わない固定電話は、たまに鳴る。 親から譲り受けた屏風は、広げるに相応しい場所がない。 自家用車は、次の車検を目安に買い替えるか思案中。免許返納にはまだ早い。 子供達の置いていった本や雑貨には「捨てないで」の見えない刻印が付いている。これは実家にいろいろ置いてきた自分と同じか。 どこかにしまい込んだのか捨てたのか、見当たらないから新しく買った途端
序章読経の声が一段と大きくなった。 香の煙が再び勢いを増した。 合わせる掌の先が白く煙るほど、香が焚かれた部屋の中で薬子は考えていた。 何が起こっているのか 何故こんなことになったのか 父亡き今、この先どうなるのか いや、何よりも母上をお支え申さねば。長く連れ添ってこられた父上とまさかこんな形でお別れするとは、想像だにしなかったことだろう。 そう、誰もこのような事になるとは思っていなかった。久しぶりに屋敷にお戻りになり、母上の剣幕にそそくさと部屋をあとにされたのは、ついこない
真夜中に目が覚める。灯りをつけて冷蔵庫から牛乳を取り出す。冷えた牛乳をコップに半分ほど注ぎ、ひと口ずつゆっくり口に運ぶ。体が驚かないように。再び床に戻り横になる。いつとはなしに睡魔がまた訪れるのだろう。 豪華でも贅沢でもないが、この瞬間に豊かさを感じる。
二拠点生活を開始して➖3kg 自宅に戻って➕1kg 再び関東、暑くて篭りがちだったが➖1kg あすけんは欠かさず記録している。お菓子売り場に足が向くが、唱える呪文は 「私は甘いものが嫌い嫌い嫌い…」 動画で見た「コメダ珈琲のシロノワールチョコぶっかけ」を注文したい衝動に駆られる。が、そもそもコメダ珈琲が見当たらない。これはいい。お店がないんだから。 車移動から徒歩と公共交通機関になって、よく歩くようになる。冷蔵庫はビジネスホテルサイズで、必要最低限の物しか入らないから買
『源氏物語』の女君で誰が好きかというと、私的には朱雀帝の内侍であったオババ様なのであった。品物のように嫁がされたり、突然奪われたり、誰かの身代だったり、、。姫達のそんな哀しみから離れている女房、つまりは職業婦人だ。琵琶を嗜み声もよく頭もいい。長い恋人もいるが、光や頭中将とも関係を持つ。他のやんごとなき女君達みたいに悩まず、お楽しみになるwそんな、あっけらかんとしてる姿が好ましい。 彼女のような女人にまひろが出会い、『源氏物語』の登場人物にしてくれるシーンがあればなと、心より願
昨夜はしんどくて洗えなかった髪を朝洗う。この風邪はコロだったかも知れないが、今更病院に行くこともない。名前を付けたら記憶に残る。 換気をして布団にもお日様を。今日はまた降るという。暦の上では秋らしく、女心並みに変わりやすそうだ。ただ女心というものは一旦醒めてしまうと元には戻らないもので、つまりは冬に向かうのみ。名前を付けて保存などしない。せいぜい黒歴史→抹消というものよ。ざまーみろ笑笑 蝉が鳴いている。ツクウクボウシの次だからクマゼミかな。体の大きそうな声だ。 暑過ぎた夏も終
今の私には拠点となる場所が2つある。他にも居ようと思えば長くいられる場所もある。眠りから醒める時、此処はどこだっけ?と思う。布団から手足を出す。触れた床の感触で、あぁと身体にギアが入る。居場所によって生活のパターンが一瞬で変わるのは不思議としか言いようがない。 今日の居場所では、朝まだ薄暗いうちに昨日洗っておいた洗濯物を外に干し、小鍋でお湯を沸かしコーヒーを入れる。 こんな人生のひと時も悪くないと思いながら、心の片隅に白い空白が一つ。指先で正方形のパズルを上下左右に動かしなが
誰かの記憶になりたい。 忘れられることは世界から消えること。 私がここにいたことを 誰かに覚えていてほしい。 だから記す。 声に筆に乗せて。