場面緘黙の周知について
場面緘黙の周知において私が重要だと思うことは、
「保護者や支援者が、場面緘黙だということを当事者と関わる人々に伝えておくこと」
だと思う。
私は機能不全家庭で育ち、家族への不信感が限界を超えた結果、大人の年齢で場面緘黙になった。
今思えば、子どもの頃から言葉に詰まりやすかったり、選択を求められているときに声が出せなかったりした。
さらに、声が出せなければ身体の動きで伝えようとしても、身体が固まり動かない。
「緘動」の症状も度々あった。
まず、大人になってからの緘黙経験を話す前に、「場面緘黙」という言葉をまだ知らなかった私の中学時代の話をする。
何のことかと言うと、
「職場体験で、養護学級のおそらく場面緘黙の女の子と組むことになった話」だ。
長くなるので、私が大人になってからの話は別記事にまとめる(書ける状態になったら書く)
ここでは中学時代の話のみ↓
私が中学二年生のとき、職場体験があった。
私が希望したのは、ホテルの清掃を体験させていただける場所だった。
それぞれに募集人数が振り分けられており、私の希望のホテルは3人程度になる予定だった。
希望を書いて教師側の最終決定を待ち、ついに決定版の書類が配られた。
それには誰がどこの企業に行き、誰とグループ、またはペアを組むことになったかが書いてある。
ホテル清掃体験の人数は3人ほどだと聞いていたが、人数が2人だと書かれていた。
このときは特になんとも思わず、決定するにあたり多少の人数変動はあるのかと感じるだけだった。
私と組む女の子の名前が書いてあったが、何組のクラスが書いていなかった(このへんもう記憶が曖昧、気がするレベル申し訳ない)
ので、自分のクラスの子に
「この子知らないんだけど、何組か知ってる?」
と聞くと
「あぁ、その子〇〇学級(当時の養護学級の名前)の人だと思う」
と言われた。
体験についての事前授業の際、初めて顔合わせをした。
ここで問題がある。
「ホテル担当の教師が、私に彼女が場面緘黙だということを伝えなかった」
という点だ。
私が彼女について考えられる情報は、
「彼女は何かしらの病気で、養護学級に入っている子」
ということしかなかった。
「場面緘黙ということを担当教師から知らされなかった」
という事実は、私にとってこの後大きな影響を及ぼす。
ホテル担当の教師は、養護学級の担任であり、私の兄の部活の顧問だったため、私は少し関わりがあった。
繋がりがあるか分からないが、私がいる所だからこの女の子を入れたのかと思った。
他にも養護学級の子がグループに入った班を見たが、そのグループは募集人数の多い所で、5人くらい人数がいた。
職場体験にあたり、分担してやらなくてはいけない作業がいくつかある。
1、企業に電話をかけ、アポ取り
(持っていくものや集合時間などを聞く)
2、当日のリーダー
(お世話になる従業員の方々に挨拶をする。
体験したことやお話をメモする。
体験終了時には企業の電話をお借りし、終了報告とこれから帰宅する旨を学校に連絡)
3、企業へのお礼状を書く
(お礼状を書いたら、本人が後日企業に行き、従業員の方に渡してくる)
※当時学校側から郵送する予定だったが、中止になりこのような流れになった。
中止理由はなんだったかもう覚えていない...💦
結果から言うと、私のペアだけこれらの作業分担をせず、すべて私1人でやることになった。
これは場面緘黙の子が悪いのではない。
私に対し説明や対処をしなかった教師の責任ではないかと考える。
顔合わせのときには、私が話しかければ頷いたりのリアクションはしてくれた。職場体験当日も、発声は無いにしても仕事をしてくれた。
「どうして話さないんだろう?そういった病気なのかな?」
とは思ったが、そう割り切って考えればなんてことはなかった。
午前の作業が終わったあたりで、教師2人が職場体験中の写真を撮りに来た。
(学年だよりとかに載せる)
養護学級の担任教師もいた。
話せない疾患ではないかうっすら感じてはいたが、知識がなく断定は難しかった。
その子の疾患のことを詳しく何か言われると思ったが、
私にかけられた言葉は、
「じゃあ、あとはよろしくね」
だけだった。
流石に、企業には
「ペアの中に話すことの難しい疾患のある子がいます」
という話は通してあるのだろう。
なぜ私には言わないのか。
養護学級に偏見はないが、疾患のことについてなんて「察しろ」だけで済む話ではないのでは。
当時スマホもpcも家にない。
調べることもできなかった。
私1人全ての作業を任され、疲弊していった。
私が自分を発達障害、境界知能だと知ることになるのは19歳あたりだが、この出来事は私の中でも大きい。
発達障害の中には、電話の声が聞き取りにくかったり、周りの音と判別できにくい症状もある。
私の場合、職員室でアポ取り担当が一斉に電話をかける時間に、ホテル側が出なかったため放課後返上でかけた。
みんなが一斉にかける時間なら、教師達も声が聞こえやすいよう静かにしているが、放課後は違った。
電話が授業中に繋がらない可能性があり、その場合放課後にかけ直すことも分かっているはずなのに、
ワイワイと大声で談笑。
生徒たちは気を遣わず大きな音でドアの開閉をする。
周りの音と混同してしまい、必死に耳に受話器を押し当て返事をした。
周りの騒音で聞き取れない所もあった。
音に負けじと段々大きくなってしまう私の声に、向かい側の席に座っていた教員が、吹き出してニヤニヤと私を見た。
「なんだこいつの電話の出方は。そんな大声の返事はバカバカしい」
とでも言いたげだった。
企業のアポ取りをしていることが分かるなら、少しでも周りの人間を静かにするように動いてくれればいいのに。
担当教師も「あぁ、聞こえにくかった?ごめんね」というだけ。
苦手な電話対応を任され、案の定わらわれ、気分は落ち込んでいった。
「そんなに疾患が気になるなら、担当教師に直接聞けばいいだろう。」
と読者に言われると思うが...
当時から私は、知らずのうちに擬態ばかりする身体だったため、物事の優先順位などをつけるのが不得意だった。
目の前の作業や覚える事柄に呑まれ、それどころではなかった。
アポ取りも現場のリーダーもやったので、お礼状はあの子が書くのかと思ったが、
「お礼状も私が書くんですか?」
という私の問いに、
「うん、ごめんね」
また別の字書きが苦手な疾患があるのか?と考えもしたが、それならそれでやはり、
「あの子は字も苦手だから、代わりに書いて」
と言う説明があるべきだと思う。
それもなかった。
もうすべて私がやるんだ。
割り切るしかなかった私は、数日休み時間も返上し作業に取り組んだ。
ここまで書いたが、私が言いたいことはこの記事の一番最初の「 」の中にある。
説明があるのとないのでは、関わる人間の対処も気持ちも全然違う。
伝えておけば、
「相手も受け入れやすいし自分も入りやすい」
という良い環境になるのではないか。
場面緘黙に悩む人々と、その周りにいる支援者や保護者は、考えてみてほしい。