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【1195文字の物語】#10 せつない、あるいはかなしい  『都会の夜』


#11 都会の夜



三年間勤めた東京の会社を辞め、実家のある信州へ帰ることにした。今夜は同僚に、おしゃれな洋風居酒屋で送別会をしてもらった。スタートアップの活気ある会社、若いパワーにあふれていて、個性的な人たちの集団。でもどこか溶け込めない、部外者のような、そんな感じのする場所だった。みんないい人だったのに、なぜなんだろうね。

夜になると真っ暗で、月と星しか見えない田舎と違って、都会は夜も動いている。ビルの夜景は都会にいることを実感する人工的な美しさで、見ていて飽きなかった。東京タワーやスカイツリーからの夜景は何度も見に行った。

今夜は勧められるままに少し飲み過ぎた。夜風が心地よい。自分のアパートの最寄り駅から徒歩3分の場所にある15階建てのスタイリッシュな白いマンション。通りの向かい側にあるその建物の明かりがついた部屋には、それぞれの家庭があるのだろう。あんなマンションに住んで都会で暮らし続けることを夢見たこともあった。

大学時代からつき合っていた聡太とは、半年前に別れた。彼に他に好きな人ができた。よくある話だ。人の感情はどうにもできない。新しい彼女は妊娠していて、結婚するのだと言われた。その時、涙も出ない自分に驚いた。今ごろになって思い出すと泣けてくる。

空を見上げても星は見えない。都会の夜空だ。もうすぐこの夜空ともお別れだ。15階建ての白いマンションの屋上に、黒い人影のようなものが見えた気がした。こんな時間に、と思った瞬間、その人影らしきものがふわっと宙に浮いて、まもなくドスンと大きな音がした。私がいた位置から現場まで、距離にして100メートルくらいだっただろうか。女性の悲鳴が聞こえた。これは夢なのだろうかと思いながら、私は恐る恐る現場に近づいた。悲鳴を上げたと思われる女性が放心状態で立ち尽くし、そばの男性が電話をしていた。

救急車が来るまでに、どこから来たのか20人以上の人だかりができていた。私は現場から少し離れた場所で、人だかりを外からぼーっと見ていた。救急車が来て、二人を搬送していった。

あまりのことに、私はふらふらしながら自分のアパートまで歩いた。引っ越し荷物の段ボールが積まれた6畳の部屋で、呆然と座り込んだ。

若い男女だったと思う。ひとりは長い髪だった。お互いの手首と足首を結んでいたひもは鮮やかな赤い色をしていた。赤いひもは「あの世でもずっと一緒」と言っているように見えた。

ふたりに何があったのかは分からない。痛ましいと思う。一方で、自死はけっして正しくないとわかりながら、その若さと強い思いをうらやましく思う自分がいた。

私は恋に敗れ、仕事に疲れ、都会から逃げていくのだろうか。そうではなく、生まれ育った街に戻って新しい生活を希望を持って始めるのだと、そう思いたかった。

涙があふれる。なぜ泣きたいのだろう。段ボールにもたれながら、私は声を殺して泣きつづけた。


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ジャスミンティータイム
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