[1628文字の物語】 #9 せつない、あるいはかなしい
#9 僕の彼女
彼女いない歴15年、32歳の僕に彼女ができた。
高校生の時に初めて女の子とつき合って、強烈なふられ方をして以来、女性が苦手を通り越して怖くなった。
そんな僕の心のバリアを壊してくれたのが、10歳年下のカオリンだった。若いのに苦労していて、しっかり者だった。しかもルックスが僕の推しのアイドルグループのアイちゃんにちょっと似ている。
彼女のお陰で、平凡で退屈な僕の毎日は輝き出した。
出逢いは偶然だった。ひとりでファミレスに行き、食後のコーヒーをドリンクコーナーへ取りに行った時、彼女がふらついて僕にぶつかった。コーヒーがこぼれ、僕の服を汚した。慌ててハンカチを差し出し謝る彼女。そんな出逢いだった。
カオリンは東北の出身で、高校卒業後から東京に出て働き、家族に仕送りを続けていた。父親は病気で亡くなり、母親も体が弱く、弟と妹がいる。家族の生活は苦しく、彼女の仕送りが頼りだった。だから彼女はつい自分の食費を切り詰め、貧血になっていた。ファミレスでふらついたのも、たぶん貧血のせいだ。
僕は彼女と会うときには、必ず栄養がつくものを食べさせるようにした。そんなとき、彼女はとてもおいしそうに食べ、何度もありがとうとお礼を言った。僕は毎回少額だけれど、お金を援助した。もちろん、見返りに変な要求なんかしない。純粋に力になりたかった。カオリンさえよければ、いずれ結婚して僕が彼女の家族の面倒までみたいと思っていた。
カオリンには夢があった。飲食店で働きながら、週に一度芸能スクールに通い、女優を目指していた。以前、原宿で芸能事務所にスカウトされたことがあったけれど、仕送りのことを考えて断わったそうだ。それでもいつかは夢を叶えたくて、その時もらたった名刺をツテにスクールに入った。僕はスクールの月謝分くらいは援助してあげたかった。「ちゃんとお仕事もらえたらお金は返すね」と彼女はいつも申し訳なさそうにお金を受け取った。
舞台に出られることになった、と彼女が報告してくれた時には、僕も心から嬉しかった。彼女の努力が実を結んだのだ。舞台に出るための費用も全額援助した。彼女に頼まれたわけではなく、そうしてあげたかった。僕には嬉しい出費だった。
仕事に加え、舞台の稽古が入ったカオリンとは、なかなか会えなくなった。連絡もつきにくくなった。猛烈に忙しいのだ。仕方ないと思った。
カオリンの舞台の日が近くなった。激励のメールを送ると、久しぶりに返信が来た。
「実は稽古中に足を骨折してしまって、入院してるの。舞台に出られなくなっちゃった。応援してもらってたのにごめんなさい」
「どうしてすぐに知らせてくれなかったの? 心配だよ。どこの病院?」
驚いて、慌てて返信した。
僕はその時カフェのテラス席にいて、そこで返信を待った。すぐに病院へ駆けつけようと思っていた。でも、コーヒーを飲み終わっても返信は来なかった。
その時、通りの反対側をカオリンに似た女性が通りかかった。彼女のことを心配しすぎて、ついに幻を見るようになってしまったらしかった。いや、あれは幻じゃないかもしれない。あのバッグは誕生日に僕があげたヴィトンじゃないか。それにあの赤い靴にも見覚えがある。若い男と手をつないで歩いていく。嘘だろう。骨折はもう治ったのか。
「カオリン」
僕は通りを渡って、通り過ぎていく二人の後ろから、必死で声をかけた。振り向いた二人。
「ユウカ、知ってる人?」
男が不機嫌そうにカオリンに聞いた。ユウカ? カオリンだろ。間違いない。
「カオリンだよね、どうして……」
僕が言っても、彼女は黙っていた。
「やめろよ。人違いだ。あんた、頭おかしいんじゃないか」
茶髪の男が彼女をかばう仕草をしながら、僕をにらんだ。
「ユウカ、行こう」
男は彼女に向かって言うと、もう一度僕をにらみつけた。
「ついてきたら、警察呼ぶからな」
そう言うと、2人はしっかり手をつないで足早に去っていった。彼女は黙ったまま、一度も僕と目を合わせなかった。