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鶏が先か 卵が先か  case⑤

 6年生に進級し、勿論飼育委員になった私だが、年明けの1月頃に、一羽だけ、卵からヒナが孵ったことが、あったのだ。

 登校してすぐ化学実験室の準備室に行き、孵卵器を確認するという作業はもう、毎日の日課になっていた。

 その日、登校して孵卵器を確認すると、孵卵器に数個入っている卵のうち、1個だけ、何だか上の方にひびが入っている。
 どこかに打ち付けて割れてしまったのだろうかと思った私は、よく確認しようとそのひび割れが入った卵をそっと手に取って、孵卵器から出した。
  
 ・・・ひびが入っている辺り、何だかピクピク動いているように、見えるのだ。

 よーーーーーーっく、見ると、わずかな穴のすき間から、弱々しい、くちばしみたいな物が、うっすら見える、気がした。
 そのくちばしの先っぽが、何となく殻をつついて卵を壊そうと、しているようなのだ。

 驚いた私は、すぐに友達のところに持って行き、先生を呼んできた。

 先生も多分、どうして良いか、分からなかったのだと思う。教室の右前の、白い給食台(給食を用意する時に使う大きめの机)に、ティッシュを数枚敷き、その上に、今まさに卵の殻を割って出てこようとしているヒナを、置いたのだった。
 
 教室の右前の、給食台の上に置かれた、孵卵中の鶏の卵。
 
 授業中も、ずっと置かれたままだった。どうやら先生は、我々人間の援助なしに、ヒナが自分の力で殻を破って、自力で出てくるよう、見守っているようなのだ。

 しかしヒナはか弱く、何時間経っても、もうそれ以上殻を割って出てこようとしてくれない。途中で死んでしまうんじゃないかと、皆ヒヤヒヤしながら、見守っていた。
 とうとう先生も、「上の方だけ、そっと殻を取り除いてあげなさい。ヒナが自分で出来る範囲のことは、残しておいてあげなさい。」と、休み時間に、飼育委員である我々に、指示を出した。
 
 委員である我々は、早速殻の除去に、取りかかった。
 ピンセットで少しだけ、ヒナの頭辺りの殻を、自力で出てきやすいように取り除いた。
 
 そうしてヒナは、弱々しい力で残りの殻を割り、濡れた身体をゆっくりと持ち上げて無事出てきたのだった。
 
 弱々しいその身体は、今にも倒れそうだった。先生は、空き箱にティッシュやらタオルなどを敷いてその中にヒナを入れ、しばらく温かい教室に、置いておいたのだ。

 
 記憶としてはここまでしか残ってない。間近に卒業式が迫っていたと思う。このヒナが大きく成長するまでお世話した記憶は、全くない。
 しかし中学校に進学し、たまに小学校に遊びに行くと、立派に成長したその鶏を、確かに目視確認したという記憶も、かすかに残っていたので、我々の「孵卵器で卵を孵そう作戦」は、無事成功したのだろうと、思うのだ。

 ヒナは、雄鶏だった。


 そういったわけで、小学校5~6年の2年間は、授業時間以外の空き時間のほとんどを、学校の飼育小屋に潰した。
 当時、下校については「最終下校」の時間が決まっていて、その時間までは、友達と自由に学校で遊ぶことが出来た。
 だから、朝は朝の会が始まる前の時間、2時間目と3時間目の間の長休み、昼休み、放課後、と、その友達と一緒に、学校での自由時間のほとんどを、飼育小屋に入り浸ったのだった。

 当時流行った漫画に、「動物のお医者さん」というものがあった。その漫画の影響も多大に有り、一次、獣医師に憧れた頃もあったくらいだ。それほど、当時に私は、動物が大好きだった。


 今では、栄養士という職業をしていたこともあり、「動物=ばい菌の温床」という構図が、頭の中で出来上がっており、動物には触りたくないし、ペットなんて絶対に飼いたくないのだ。
 動物が嫌いというより、ばい菌や虫の温床だというイメージが、仕事をしていく中で、頭に浸透し切っている。
 
 可愛いけれど、近くには居たくない、テレビで見ているだけで充分だと、思っているのだ。

 そしてやはり、動物は生き物だ。命の塊だ。良いとこ取りだけしては、いけないものだ。
 生半可な気持ちで飼っては、いけない。私も、念願の雌鶏を飼った時は嬉しかったが、病気や寿命で彼女達を看取った時、本当に辛かった。

 可愛がった分だけ、辛さが増すのだ。こんな辛い思いをするくらいなら、動物なんか二度と飼うもんかと、当時中学生だった私は、思ったものだ。

 看取る覚悟。中学生の私が、直で感じた、尊いまでの残酷さ。

「命」を感じ、その本質に、ほんの少しだけ、触れた出来事だった。
 
 

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