小さな行為、願い
小説を書き上げた。少し、気が楽になると共に、今後の展望を思うと気が重くなる。これ書いたって、どうにもならない。でも、書かずにはいられない。俺は小説を書くのが好きだから。
美術館は大抵閉まっているし、仕事をするのも探すのも難しい状況。呑気に引きこもれるような貯蓄がない人間には、終わりが見えない今の状況はとてもキツイ。
でも、それは俺だけではないし、もっと深刻な人らの叫びもネットらで目にする。とにかく耐えるしかない。耐えるには、じっとしているだけじゃだめだ。無理にでも、楽しむこと、本を読むこと、寝ること。
正直数日、一週間位前までは、コロナに対してどこか他人事だった。でも、自分が感染者になりたくはないし、誰かにうつしてもいけない。
ただ、メンタルの病気を持っている人間が精神的に落ち着こうって、結構難しい問題だ。でもな、やるしかない、悪いことを考えすぎないってことだ。
わりと(メンタルが)元気だった、ここ一週間くらいの雑記。
Bunkamuraギャラリーで金子國義見る。何度も見てるから、今回はいいかなあと思いつつも、会場ではファッション雑誌の表紙にも使えそうな、モードな女性たちが多くて楽しい(写真禁止なので、それらは撮れないのだが)。
花屋で真っ白いチューリップが売っていた。普段見慣れない色で、とても目を引いた。重なった白い肌の事を考えながら帰宅し、数日後、その店のチューリップの色は変わっていた。買わなかった事を後悔したが、イマージュの中の白い花もまた、美しいから困るのだ。
数日後、育ち切っていないやや球形に近い、白いチューリップを、店先で見つけた。しかし、あの時程心動かされなかった。すらりと伸びた、白いチューリップが輝かしかったのだ。当然、水をあげていくうちに花弁は伸びるだろうが、なんだかそんな気にはなれなかった。
泉鏡花の『春昼 春昼後刻』を読む。はらはらと流れる美文を追っているうちに、いつしか迷子になる。しかしそれは心地良いのだ。色彩感覚や動植物を捉えるたしかな目が、危うい、妖しい夢の世界を支えている。良い作品だった。
町田康『しらふで生きる』読む。毎日酒を飲んでいた著者が『狂気』で禁酒をして、持続している記録エッセイ。いつもの語り口が、気のせいか、少し(題材のせいか)説教じみて、冷静な気がする。だが、酒を飲んでも飲まなくても人生は寂しい、と言いながらも、人生を文体を楽しんでいる町田康が好きだ。
初対面の人が、僕アニメ好きなんですよーと言ったので、俺の大好きなアニメ
シリアルエクスペリメンツレイン
あいまいみー
坂道のアポロン
の名前を出すも、
相手の「あ、知らないです」
で、無事死亡☺
万人受けするアニメって何だろう。
シロバコや無限のリヴァイアス?
海野弘『本を旅する』読む。序文
私にとって本を読むことと世界を旅することは別々のものではない。私は本の中を歩き回って旅をし、世界を本のように読みたいと思うのだ。
百冊の本が紹介されているのだが、知らない本や苦手なのもちらほら。でも、俺は彼の本が好き。本は世界に沢山あるって素敵だ
中身を見ずに買ったタゴール展、詩ではなく、画集だった。素朴な絵ではあるが、鳥の絵は好き。
『私の絵の起源は(中略)私のリズムへの本能、線と色との調和した組み合わせから得る楽しみに存していたのである。』
って、本人が言っていて、なるほどと感じた。
モローの本『ギュスターヴ・モロー 世紀末パリの異郷幻想』がとても良かった。大きな図版と、引用や分かりやすい説明。モローの美を堪能できる。
彼のとても好きな言葉を引用。
あなたは神を信じますか
私は彼しか信じない
私は触れるものも見えるものも信じない
私は見えないもののみを、
感じるものだけを信じる
桜の花を、漬けたのに、お湯を注ぎいただく。ほんのりすっばく、桜の風味がして良い気分
来月は俺の誕生日で、ちょっと無理しても、ハチドリのタトゥー入れようかなって思ってた。でも、今は色んな意味で難しいかもしれない。
一週間前は、ほんと呑気だったなー俺。だけど、コロナ関係なく、これからの自分の展望が暗いのは変わらない。困難な状況が増えて、ちょい頭が悪い感じになっているけれども。
外を歩けないとか、花や美術館に行けない見れないっていうのは、本当に精神衛生上良くないけど、色んな業界の人が踏ん張っているんだもんな、俺も負けないようにしなきゃな。
政府は国民や文化に支援を。手洗いうがいはするけれど、無意味にであるかないこと。小さな行為、願い。
暗いことばかり考えているとどんどん状況が悪くなるだけなので、本とゲームと映画と音楽を頼りに、俺も、みんなも元気でいられますように。
生活費、及び返済に充てます。生活を立て直そうと思っています。