77.修養科物語(3)-あなたはニセモノ-
修養科生時代のエピソードを書き綴っています。
前回未読の方は先にこちらを↓
修養科生活が始まって間もない頃、私は周囲の身上を持たれている方に対し、片っ端からおさづけを取り次いでまわっていた。
以前、大学時代のある先輩が修養科での3か月間で300人の方におさづけを取り次いでまわったというエピソードを聞かせてもらったことが頭の片隅に残っていた。
私も同じ目標を掲げて毎日それを頑張ろうと思い立ち、授業の合間の休み時間や昼の休憩時間を利用し、修養科棟吹き抜けで目に留まった人に話しかけては、おさづけを取り次がせていただいた。快く受け入れて下さることもあれば、断られることもままあった。いま思えば若気の至りというか、とにかくガツガツし過ぎていた感はある。
体調不良で欠席したクラスメイトがいれば、時間の許す限り放課後、その方の詰所を訪ね、そこでもおさづけを取り次ぐ。
日曜日は、午前中は詰所のひのきしんをして、午後から時間をもらって身上の思いクラスメイトの詰所まわりをしておさづけに歩いた。
なるべく自分のことを考える暇を作らないように日々を駆け抜けて行こうと思っていた。
変っていく仲間の姿
次第に、はじめは私の事をただ黙って見ていた同じクラスの組係をしている2番組係のО君や、3番組係のHさんも、まわりの身上者におさづけを取り次ぐようになっていった。
また、まだおさづけ未拝戴のクラスメイトの中にも、私達が取り次いでいる傍らで、一緒に添い願いをする人がだんだん増えていった。クラスが人の救かりを願ってまとまり、良い雰囲気に向かっていっていると感じ、嬉しかった。
車椅子で詰所から修養科棟に通ってくるIさんという初老男性がいた。脳卒中を患い、半身不随の彼の足に毎日おさづけを取り次がせていただくうちに「足が軽くなった」と言い、そして彼は、いつしか車椅子なしで歩いて行動出来るようになっていった。修養科後半は徒歩で通ってきていた。
他にも、徐々に車椅子を卒業していく人が増えていき、改めておぢばでいただく奇跡の鮮やかさに、深く感じ入った。
アメリカ人男性から受けた失望
クラスの中に一人だけ、Aさんという中年の日系アメリカ人がいた。
彼は元々気さくで、住まいのテキサスの話を語ってくれていた。
だが、それも次第に雲行きが怪しくなる。
知人の勧めでおぢばにやって来た彼は、厳密にはまだ信仰者ではなかった。そんなAさん、育った文化や環境の違いからなのか、それともただ単に彼自身の性格が起因しているためなのか、クラスの中ではどこか浮いた存在だった。
日本人よろしく、まわりの雰囲気を察するとか、同調するといったことはせず事ある毎に自己主張を貫き、自由奔放、気ままにやっている彼は、一部のクラスメイトから少なからず反感を抱かれるようになっていた。
その一方で、おぢばに訪れてから徐々に彼の持病であった腰痛が悪化を見せ、痛みと摩擦からなるストレスとで、協調性に欠ける言動や行いは、一層輪をかけて目立つようになっていった。
修養科生活も一か月を過ぎた頃、ある午後の神殿掃除の時、ふとしたキッカケでそれは起こった。
クラスメイトの輪に入れず、廻廊の片隅に座り込み、呆然と中庭の景色を眺めているAさんの姿が目に留まり、私は思い切って声をかけた。
「Aさん、おぢばにやって来てから一か月経ちましたね。色々感じたり、思っていることもあるだろうと思います。…もし良かったら、他言は致しませんので、本音を聞かせてください」
そうお願いしてみると、今まで態度を曖昧にしていた彼は、天理教に対する疑問とともに、その本心を私に受ち明けようとする素振りを見せた。
…だけど。
なんというか、如何せん、タイミングが悪かった。
ちょうどそこで神殿掃除終了のの時刻がきてしまった。
4番組係だった私はクラスの出欠カードを担当の講師に提出しなければならず、「あっ、ちょっとだけ待ってください、すぐに戻ってきますから」と話の途中でAさんを遮り、一旦その場を離れた。これがいけなかった。
ひのきしん終了の参拝を終え、再びAさんの元に戻って来ると、彼はとても失望した表情を浮かべ、
「…もういいです。あなたに話さなければ良かった」
とこぼした。
しまった、咄嗟に私はそう思った。
「いま目の前にいる人を最優先で救けようとしないのでは、真の宗教家とは言えない。あなたはニセモノだ。」
「しかし…」
私は必死に取り繕おうとする。
「大勢の人達の時間を私達2人だけの都合で拘束するわけにはいかないと思います」
「あなたは、目の前で救けを求める一人と、遠くで助けを待っている大勢の人と、一体どちらを優先しようとしているんですか?」
いじわるな問いだった。
論の飛躍ですらあった。
そのとき24歳の未熟な若造が咄嗟に出した答えは、
「………どちらも両方、たすけたいです」
だった。
突きつけられた難題への回答に、Aさんは皮肉まじりの嫌な笑みを口元に浮かべ、
「ひとりでそう一度に何人もたすけられるわけがない。だったらいいです。もう私にかまわないでください。一瞬でもあなたを信じようとした私が間違っていた」
そう言ってこちらに背を向け、その場を立ち去っていった。
私は、返す言葉をすっかり見失ってしまい、その場にただ立ちすくんでいた。とんだ失敗をしてしまった…そんな自責の念に駆られ、激しい後悔に襲われる。
その一件以来、何度謝罪を繰り返しても、会話を試みようとも、それきり彼は二度と私に心を開いてくれることはなかった。
悔しかった。
私はとても大きく自信を失い、挫折感と無力感に心が覆われていく。
……俺は、おさづけを取り次いでまわる資格あるのかな?
そんな風に自問自答を繰り返す。
しかし…あの場で選択し得る最善の道とは一体何だったのだろう?
どうすれば彼は納得し、まわりにも迷惑がいかない方法を選べたのだろうか? いくら考えたとて、模範となる解答を導き出すには至らなかった。
ただ、大きな理想を抱くより前に、身近な人に対することを中途半端にせず、妥協しまいと、一層考えるようになった。
これを機に“おさづけをたくさん取り次ぐ”という先の目標に疑問を抱き、進路修正が向かうことになる。
つづく
おまけ
Aさんの私に突きつけた難しい問題、未だに心に深く突き刺さっています。
どうすればあの時は良かったのか。
こういったこともまた、現在のピーナッツを形成する大事なピースとなっているような気がしています。
ここまで読んでいただきありがとうございました!
続きもどうぞまたお楽しみに(^^)