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79.修養科物語(5)-たすける理で生まれ変わる-

修養科生時代のエピソードを書き綴っています。
前回未読の方は先にこちらを↓

※サムネ画像提供:@papa_okada

Tさんのおさづけ取り次ぎも回数を重ね、50回を数えた頃になると、ようやく慣れて来たようで、次第に私の仲介がなくても毎日おさづけさせてもらっている常連の方になら彼自らひとりで話しかけ、おさづけが出来るようになっていった。

そうやっておさづけを取り次いでまわるようになってから、日に日に彼が変わっていくのが、はたから見ても明らかだった。
出会った頃は他人とろくに目を合わして話すことも出来なかった彼は、いつしか顔の表情が柔らかくなり、人と話をする時も目を合わせられるようになり、それまであまり交わることのなかった他のクラスメイトとも言葉を交わすようになっていった。

修養科生活も三か月目に突入し、Tさんの「おさづけ100人取り次ぎ」の目標達成にいよいよ近づいた頃になると、彼はもう、ほぼ一本立ちし、私が声をかけなくてもひとりで昼休みの修養科棟吹き抜けをまわり、身上者におさづけを取り次いでまわるようにまで進歩していた。
会話の中でも冗談を口にするようにもなり、雰囲気も明るくなり、笑顔を見せることが多くなった。

(Tさん…よくぞここまで(*´ω`)…)

感慨深い思いで、おさづけを取り次ぐ彼を遠くから見守る私。
年齢は彼の方が少し上だったけれど、自分のもとから巣立っていく子を見つめる親のような心境であった。(生意気なことに)


第2、第3のTさん

Tさんの状況に安心した私は、今度はまた別の人に
「一緒におさづけを取り次いでまわりませんか?」
と声をかけて歩いた。

Tさんほどではないせよ、ようぼくでありながら、普段は自分からおさづけを取り次ごうとまではしない比較的大人しい方々がクラスに数名いた。

その人達がやがて修養科を終え、地元に帰り日常に戻った時に、少しでも習慣的におさづけを取り次ぐ気持ちが芽生えたらいいなと思い、その基盤を一緒にいる間でもつくってもらおうとの考えが私に芽生えていた。

そういった人達を第2、第3のTさんと仮想し、発破をかけ一緒におさづけにまわらせてもらい、やはりそこでも私は添い願いに徹する。
時々自分でもおさづけすることもあったが、ほとんどは添い願ってばかりが続いた。


毎日汗だくでジーンズがびしょ濡れになっていた夏も過ぎ去り、だんだん涼しく、秋も深まる頃。
私達の修了式も近づき、授業への出欠が不足し修了が難しいクラスメイトの特志ひのきしんが始まる。足りない日数を挽回するため毎朝の神殿廻廊拭きを志願する対象者のО君(10代)とクラス担任と共に、仲良し組係3人の私達も合流して一緒に廻廊を拭いた。

すると、日を追うごとにひとり、またひとりとクラスメイトが有志で集まって来るようになり、全員で一緒に修了出来るようにとО君を励まし、クラスメイト大勢で列をなして廻廊を磨いた。
お陰で、最初は特志ひのきしんすら出欠にムラが目立っていたО君も、次第にちゃんと毎朝神殿にやって来るようになり、授業やひのきしんにも欠かさず参加するように変わっていった。
勇みの輪は仲間内で広がり、老いも若きも和やかにたすけ合う雰囲気が私達のクラスからはあふれていた。


Tさんの成長した姿

修養科生活もいよいよ終わりに近づいた頃、クラスメイトの中から新たに11名が「おさづけの理」を拝戴し、晴れてようぼくとなった。

組係として彼等の世話取りをし、無事全員おさづけをいただいて戻って来た時、いつも一緒にいるクラスメイト達が紋付袴姿で「おかきさげ」を携え、何だかとても頼もしく見えた。
みんなこれから人をたすける側の人間になっていくのだと思うと、私は感動でつい涙しそうになった。(グッとこらえた)


修了間際、時を同じくしてTさんがついに「おさづけ100人取り次ぎ」を達成する。始まった頃の彼とはまるで別人のように成長していた。

新しくようぼくとなったクラスメイトは皆、翌朝の出校から、誰かにおさづけを取り次ごうと躍起になっていた。今までずっと、私達おさづけを取り次いでいた仲間の横や後ろで添い願いばかりだった彼等も、さあやるぞ俺達も、と言わんばかりの勢いだった。

そんな新ようぼくの皆さんにおさづけを取り次ぐ手順を教え、自分が実際に取り次いで見せているTさんの振る舞いには、最早まるで、おさづけのベテランのような貫禄すら感じられ、頼もしかった。

(ああ…この人は、本当の意味で救かったんだ……)

今やすっかり伝える側となったTさんのそんな様子を眺めていて、思わず胸が詰まった。感慨ひとしおだった。

これぞ、これこそが親里で実感し得る、喜びの醍醐味。
生きながらにして人が、生まれ変わる。

私は人知れずひとり、その喜びに打ち震えていた。


そうやって私達の修養科は大団円を迎え幕を閉じる。


……筈だった。


だがそこで最後に、思いも寄らぬ事件が起こる。


つづく


おまけ

私の地元ではいま、急速に気候が変化し、見渡す山野は既に秋模様の景色です。季節の移り変わりには体調不良に見舞われがちなピーナッツ。
数日腹痛でちょっとだけやられていました。

修養科時代をふりかえり、色々あったなあと、改めて再確認しています。

すべき時に、すべきおさらいをしているような心境です。

私にとっての修養科物語、もうすぐ終わります。
この話が特別なストーリーだとは思っていません。
きっとどなたにとっても修養科物語と呼べるたくさんのエピソードがあったんじゃないでしょうか。

修養科1000期、いまその場所にいる多くの方々にとって、これから一体どんな物語が始まっていくんでしょうね。

ここまで読んでいただきありがとうございました!
次回もどうぞまたお楽しみに(^^)

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