見出し画像

106.教話雑感(12)-どうして布教、やめちゃうの?-

◆教話1.「証拠信心」

神様の御心は大きい。そして気が長い。ですから人間心を起こしてこの世一代のことを思案している様のことではとても神様の道を通り切ることは出来ない。目先のことを思案して人間の思惑を立てたのでは神様の道は生涯立たんことになる。この理を聞きわけて貰はにゃならん。
そこで僅かの年限を悟った様な顔をして通って見た所で、それだけで神様は許して下さるのではない。前生何遍生まれ代わって埃を積んで来て居るとも知れんのに僅かのことで助けて貰うことは出来ぬ。それでも人間は神様の思惑を倒してでも人間心の理を立てようとするから何処まで行っても助けて貰うことは出来ない。何も思案しなくともよい。考えなくともよい。前生に埃を積んであるものは今世になってから少々善いことをしても大難小難で通られん。
一日に一つの埃を積むことは誰でも平気で大胆に何の顧慮もなしにする。ところがこれの反対に一日に一つの陰徳を積まして貰うということには余程の努力が要る。その上一つくらいしかよいことをしないのですから折角の努力も一文なしに消えてしまう。そんな徳の積み方をして居ては何年経ってもなにの効もない。
(中略)
前生の自分が通って来ただけの理がそのままに現われて来ている。それを人間の知恵や力で思案しようと思うて一代かかっても判りそうな筈がない。見えて来た理を見れば、今でも判るものを、知恵や力で見ようとするからわからぬ。
兎に角親の思いを立て、自分の思いを捨てて通りさえすれば何も間違いがあろう筈がない。

高井家資料「義一翁の遺した話」より抜粋


◆教話2.「神は低きにつく」

にをいがけに出かける時、病人をさがし、病人をたすけようということを目的としますと、もう一つ情熱がわきません。私の場合はそうでした。それでも西海大教会で住み込み青年をしていた頃、役員の花田菊太郎先生のお話を夢中になって聞いたものです。にをいがけに出かけた時、非常に役に立つからです。
こうしてずい分にをいがけをしましたが、それらの人は全部、大教会の信者となり、形の上からすれば、こっちには何の得もありません。しかし無形の力がたくわえられたことは大変なもので、私が独立して布教を始めたら、ドカッと集まってきました。
これは私の力ではなく、花田先生のお陰だと思っております。この元一日のご恩を忘れて思い上がるようなことがあったら、藤田雄士の運命の行き詰まりです。
柏木庫治先生はご恩を感じ、ご恩に報いることの達人でした。ご恩の中でも一番大きいのは親神様で、そのお陰で私たちは生かされているのです。物の恩、人の恩と言っても、生かされていなかったら成り立ちません。その柏木先生にはいつも、親神様の思召でこの道に引き寄せられ、よふぼくとしてお使い頂けること自体が大恩であると言われました。私はいんねんが悪いから仕方なしに信仰しています、と言う人を時に見受けますが、それはとんでもない思い違いだとも言われました。
道に引き寄せられたことを大恩であると感じる思いが、そのままにをいがけの情熱にエスカレートしてゆくのです。だから、にをいがけしようという意志のない人は、恩を感じる心の少ない人だとも言われました。
こういう恩を感じる心こそ、運命の行き詰まりのない道であると私も思っています。

藤田雄士「寸話真書」より抜粋

雑感

定年退職し、一念発起し誠錬寮を志願してきた60代後半のKさん。
育成担当者という立場もあり、一緒に戸別訪問して歩くことが度々あるが、いつもこれといった成果もなく、ただ二人で断られて終わるばかりの時間を繰り返した。
でも、これが何より一番尊いことなのだと思っている。

私が天理大学生時代、よふぼく会という信仰サークルで活動していた頃、私達の集まりの中に出入りしてくる天理高校二部生の女の子がいた。
あれから10年以上経ち、彼女とおぢばでたまたま再会すると、布教の家に入寮し、いよいよ卒寮というタイミングだった。寮生中は帰参者、初席者をお与えいただき、なかなか大活躍だったようだ。一年間の成果をひとしきり聞かせてもらい、

「すごいや。それで、これから今後はどうするの?」

と尋ねると、意外な返事がくる。

「働こうと思っています」

一瞬、言葉に詰まる。

「え? どうして? たくさん布教の成果をいただいたんじゃないの?」

「はい、布教の家で充実した布教生活を体験できたし、自分でも十分頑張れたと思ったので、これからは社会勉強をしようと思っています」

彼女のそんな明瞭な返答に、出す言葉が見つからなかった。
そして形容することの難しい、なんとも複雑な気分になった。


それとはまた別な方で、同じく布教の家での一年間を終えておたすけ先をたくさん与えてもらい、なんと住居までお与えいただいた男性がいた。引き続き現地で単独布教をされ、知人であったそんな彼の活躍に一目置いて、その後の進展に期待を寄せていた。
しかし、いくらか単独布教期間をすごすと、ある時を境に彼はぱったり布教をやめ、自教会に戻って就職する。
つい、どうしてそういうことのなったのかを問うと、

「世上働きをし、教会の繋ぎとして務めさせてもらおうと思った」

と返される。

絶句。


嘲笑と無理解の中、気違いじみた覚悟をもってなお何の成果もあげぬまま、道の先でのたれ死んでいく本物は、そうそうなれるものではないのかもしれないが、それにしても、私は先述の二人との関わり合いの中で、少しさびしい気持ちになっていた。


【2017.2】


余談

狂気の布教者が、やれど尽くせど何の成果もあがらなければそれは無駄働きなのか?

それに対するひとつのアンサーについて、過去の記事でも触れている。
ご参考いただきたい。↓


一時は戸別訪問一辺倒、で生涯一兵卒、捨て石覚悟で終えてやるぐらいの気持ちで布教して時もあった私の心を打ち砕いた男がいた。

彼の名は三郎(仮名)。
誠錬寮にやってきた彼は当時まだ24歳の若造だったが、入寮するや否や度肝を抜く。

こいつはとんでもない戸別訪問モンスターだった。

毎日全く心を折ることなく、何百軒もただただひたすらインターホンを押すだけの一日を平気な顔して繰り返す。夕づとめ終わってからも「まだ今日の心定め分が足りない」とか言って夜の闇に向かって布教に走るサイボーグみたいな彼の背中を眺めていた時、私にとってひとつの時期の終わりを迎えたような気持ちになった。

俺が先頭切って駆けまわろうとする時は終わったんだ…。

教区の青年会、地域の青年会の布教勢の牽引役を内心どこか自負していたわたくしピーナッツは、自分をはるかに凌駕する戸別訪問の鬼みたいな後輩の出現に、その肩の荷をそっとおろすこととなる。

役割が変わっていく。
それは後退とか途中下車などとは違う。

同時に、次のステップの始まりでもあった。



そこから数年経ったいま。

三郎はどうなった?
どんな大成長を遂げた?


……彼はいま、アマゾンの配達と、ウーバーイーツの配達で忙しそうにしている。

お前、最近戸別訪問やってんのかよ?

と尋ねると、

「路傍講演はやっているんですけど、戸別訪問は最近やれていません」

との返事。


…折れるのが早いよ、ばか。



今日はここまで。
おつき合いいただきありがとうございました。
それではまた(´ー`)

いいなと思ったら応援しよう!