65.勇めない日に思うこと
(教祖130年祭活動当時)とにかく毎日一日も切らすことなく布教・おたすけに実働しないことには、自分を取り巻く運命や継承されてきた宿業からは解放されないという一種の強迫観念のようなものに憑りつかれていた。
月次祭の日であっても全て片付けを終わらせてから、夕闇の中ポスティングを開始したり、昼間の戸別訪問時に知り合った病人さんのお宅の前で陰願いしてまわったり、傍から理解を得づらいような狂気を帯びて歩いていた。
だけど、いつでもそういう日ばかりだとは限らない。
士気は水物だ。いつなんどき戸別訪問を開始してもいいように、朝からスラックス・Yシャツ姿で布教師モードの服装に身を包むものの、気持ちばかりはそう簡単に昂められるわけでもなく、勇めない気持ちを引きずりながらトボトボ肩を落として歩いている時も決して少なくはなかった。
それでも、上がり切らない自分の背中を自分で押してインターフォンを押し続け、断り続けていくうちに、いつしか心は晴れてくることは多いが、稀に、それでも一向に気分が変わらない日もあった。
ある時、某学会の老女性信者のお宅に当たった。いつもの例を知っているから、(あっ、この人、学会だ…)と知るや無意識に見構えるピーナッツ。
ところが、話してみるとこれが意外にも話せる。それで会話の最後に、
「信仰でも何でも、ほどほどにやるのが肝心だよ」
という長年の経験談を私に助言し、彼女の家を後にする。
日蓮上人の教えの流れを汲む分派の各教団は、ほとんど全部と言っていいぐらい、出会う人出会う人皆一様に極端な排他性を帯び、面と向かっては私を激しく罵倒し、天理教を見下げて批判し、代わりに自らの所属する教団やグループの正当性を主張する。
そんな印象が強過ぎたもので、それほど頑迷でもない稀有な老信者との出会いに暫し不思議な感に包まれていた。
確かに、彼女とはまだ比較的話し合える余地があった。
それなのに、だ。
別れてから、道を歩きながら、どっと疲労が押し寄せ困憊している自身に気づく。原因はおぼろげながらも芽生える、実存性の迷いからだった。
俺は、誰に、一体何を伝えようとしているのか?
…不意にわからなくなる時がある。
こんな時が特にそうだ。
天理教と本来相容れない教義・信仰観を持つ人と対峙した時、
私は信念を持ってぶつかっていくべきなのか?
主張を曲げず貫くべきなのか?
それとも、妥協点を見つけて上手に擦り合わせていくべきなのか?
こういう正解が容易に見当たらない問いが渦巻き、そこに納得する答えを求めて一度考え込み出すと、ぐるぐるぐるぐると際限なく迷いは生じ、問いは拡大し、そんな内側の深い沼にハマってしまうとそこから抜け出せず、勇んだ気持ちなどまるで芽生えては来なくなる。
インターフォンが押せなくなる。
これがかく言う、“昼間の暗がり”なのだろうか?
避けられぬ煩悶
おやさまはかつて“ほこりは避けて通れ”と仰ったという。
医者や修験者・仏教神道の、いかなる弁難・迫害干渉にも決して屈しなかったが、同時に、それにさしたる抵抗も示さなかった。(唯一例外的に強硬姿勢を見せたのは、異説を称える心得違い者に対してのみ)
それを思えば、他宗教者と関わりを持った時、どんなことを言われようと柳の葉のようにサッと涼やかに受け流してそれに何ら拘泥せず、また次に向かっていく方が良いのかもしれない。
それが簡単にできないのは、この世界が天理教一色に染まることがこのお道にとっての、或いはそこにいる多くの人にとってのゴールだとはどうしても思えないからだ。
異なるもの同士が対峙する。そこで双方歩み寄ることが難しいのなら、そんな局面ほど、神様はその動向をじっと興味深くご覧になっておられるような気さえしている。
複雑さと、豊かさとが混在する中で陽気ぐらしの世界をつくっていきたいと願望・夢想するからこそ、この煩悶はいつまでも尽きることなく胸の内で続いていく。
【2015.7】
おまけ
「その文章、音声で指示してAIに打たせれば簡単なんじゃない?」
とその方面に明るい友人が、紙媒体とにらめっこしながら打ち直しているピーナッツに助言しています。
好意からくる意見なのは間違いないのですが、そういうやり方は採用したいとは思えません。
それは、古いコラムを再構成するにあたって、私は私自身のかつての言葉や考え、文字に新しい生命を吹き込んでいるつもりでやっているからです。
その為には敢えて一度、その一言一句をまた私自身の胸をくぐらす必要があります。
これ、大切な作業だと思うのですが、皆さんならいかがお考えでしょう?
ど文系の戯言かもしれませんが。
ここまで読んでいただきありがとうございました!
それではまた(^O^)
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