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10.とにかく歩きまくって失敗しまくっていた頃の布教回想(1)

私は二十代半ばから三十代後半まで、およそ十年あまりの当時をざっくりまとめると「とりあえず暇さえあれば戸別訪問かおさづけ取り次ぎ通い」的な時間の過ごし方を続けていました。

通う先がまだそんなに大してなかった頃は月のうち十日~十五日ぐらいはにをいがけに歩き、次第に通えるお宅、おさづけを取り次げる対象、様々なお手伝いをさせてもらったり、車に乗せてお相手の用事を済ます付き添いをしたり、ご年輩の独居生活者へのシンプルな見守り目的で顔を繋いでいたり、そういった先が二十件~二十五軒程度ぐらいになって戸別訪問へ割ける時間が段々少なくなっていくまで大体そんな日々を過ごしていました。

その頃のエピソードをつづった駄文を様々な誌面で断片的に掲載してきました。そこからいくらかを多少ランダムに抜き出し回顧していきます。


蛍が見える丘で

 街の南側・郊外に位置するT地区は山部を切り拓いてつくられたであろう団地の密集地で、数日かけてそれらを一軒一軒まわって歩いていた時、ふと地名の由来に想像をはりめぐらす。
「戸野山」というだけに、昔からこの地域は戸数の多い山野だったのだろうか? なんて風に。
すると、そこから歩き進むうちに、住所の表示が“蛍丘”“蛍野”“蛍沢”といった似たような地名が連なっていることに気がつく。

……ということは、かつてここは夏になると夜にはたくさんの蛍の姿が見られる丘であり、草野原だったのかもしれないなぁ…(´▽`)スゲェ

と、その頃の情景が脳裏にありありと浮かび上がってくる。

更に先へ先へと進んでいくと、今度は電柱に“月見坂一丁目”の標識があらわれ(おお‼)と静かにテンションが上がる。そしてその一帯には「望月」「月永」といった苗字の表札を掲げている一軒家が散見し始める。

……あぁ、ここは秋になったら月が夜空に映える、お月見にはもってこいの場所だったんだろうなぁ…(´ー`)見てみたい

そんな風にして古えの時代の土地の面影に思いを馳せ、夢想しているうちに、いつしか照り付ける陽射しも幾分和らぎ、心なしか涼しさが増したような気がした。

いつも煙草をふかしていた彼

街の東側、K町での戸別訪問時に、ある重病を患ってらっしゃる方におさづけを取り次がせていただく機会に巡り合った。

波長というのだろうか、玄関からのぞかせるその人の顔や第一声を聴くきり、ふと(あ、これはおたすけに発展するかもしれない)というなにかピンと来る知らせのようなものが時々降りて来ることがある。大概それは当たることとなり、おさづけさせていただくところまでは割とすんなり段取りが運ぶ。この時もやはりそうだった。

家の中へ通されると、八十代男性のその方は身体中相当不自由しているようで、足が悪く、視力もほとんど失われている様子だった。見えないなりに遠くを見つめながら煙草をふかしている。
懇願して彼の名前を教えてもらい、おさづけを取り次ぐと、どういうわけか彼の心が少し動いたようで、これまでの生い立ちを淡々と私に語って聞かせてくれた。

それまで、ある在家宗教団体に入信し何十年も信仰していたという彼。ひたすら多額の献金を重ねて家庭の経済を傾けたにも関わらず、患っていた病状は一向に良くならず、それどころかむしろ悪くなる一方だったので、とうとう脱会を決意し、そこからそれほどまだいくらも経ってないようだった。おかげですっかり宗教不信に陥っているのだと彼は言う。

“決してこちらの信仰を強要することはしない”という意を伝え、今後もおさづけに通わせてもらえる約束を彼と交わす。

「拝んでたすかるもんならぁ、最初から苦労しねぇけどな~」
なんて言いながらも、それほど迷惑そうでもないように見えた。

【2012.9】


…後日談。しばらく何度も通わせてはもらえたけれど、最終的にそれが叶わなくなるのは、男性の妻(彼よりひとまわり若く、日中働きに出ている)と顔を合わせてからだ。

ある日の夕方おさづけを取り次いでいる最中に、その奥さんが帰宅すると、部屋の中で夫を拝んでいる若い見知らぬ男性。そんときはえらい剣幕で怒られ倒しました(笑)。
しかもその日に限って保育園にお迎えにいってそのままちょっとつき合わせていた長男もすぐそこに一緒にいたもんで、子連れの若い男性の姿に奥さんもさぞや驚いたのでしょうね…(´ー`)

以後、非常に警戒され、それまで開けっ放しだった玄関はその奥さんによって不在時は外側から施錠されてしまいます。訪問しても家の中から男性が

「すまねぇ、もう入れてやれねぇんだ、本当にすまねぇ」

とただただ謝られるのみ。ようやく親しくなりかけていたタイミングでのことだったのでショックでした。それでも私は諦められず、何度も通ってはそっと玄関に向けて男性を念じおさづけを陰でさせてもらっていました。

ある日、やはり玄関でこっそりおさづけをしている時に突然玄関は開きます。驚く私。開けたのはその奥さんでした。
一瞬また怒られるのかと思って怯んだ私に向かって彼女は、

「あなたが本当に熱心なのはもうわかったから。だけど、本当にもういいの。旦那は先月から体調が悪化していま入院しているから」

と言われ、唖然としました。お怒りではないご様子。どこか呆れ笑いを表情に浮かべ、状況を説明してくださいました。とにかく男性はもう家にいないのだ、と。そしてそれ以上の追跡情報を私に教えてくれる筈もなく、そのおさづけ通いも尻すぼみに終息していく形となりました。

当時は本当、十キロ近い距離を根気よく通ったなぁ…と振り返ると感慨深いものがなにやら滲んでまいります。見事な失敗談なんですけどね。

こういうのばっかりなんです。
こういうことばっかりを十年以上ひたすら繰り返していたんです、ピーナッツは。

これを読んで下さった方にとって、そこに何の収穫があるのか正直疑問ですが、こういった回顧談を今後もいくつか書き連ねていけたらなぁと考えている次第です。

ここまで長々とお付き合いくださりありがとうございました‼
それではまた('◇')ゞ
  





 

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