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63.教話雑感(2)-尽くした理のゆくえ-
◆教話「孫の代に効能の理-昔の信者たち-」
一、
一昨年の秋の大祭の日、天理駅の前で60歳ほどの教会長さんに呼び止められて、西江州の布教者・澤田弥蔵の子孫の話を聞かされた。
「あのころ、大津の教会を作るいうて、弥蔵さんが何十円かの金を借りたんです。ところが、当時の滋賀県の知事というのは天理教ぎらいで、なかなか許可してくれなかった。その間に金はなくなる。弥蔵さんも逝くなってしまった。弥蔵さんの奥さんは、それから死ぬまでかかって、夫が借りた金の返済のために骨身を削って苦労された。そして、とうとう返済してしまったのですが、その息子は、母親の苦労する姿を見て、天理教から離れてしまった。孫たちは、その後に生まれたのだから、天理教のことは何も知らない。この孫がいま大津市で計理士をやっています。たいへんはやるのです。金がどんどん動く、不思議なほど景気よく"どうしてこんなによくなるのか"と孫は不思議がっているとのことです。爺さん婆さんが、世のため人のため神様のために、はたらかれたその効能の理が孫の時代になって芽を出したんでございましょうな」
二、
滋賀県堅田町の前川亦吉の宿をたずねたときも、このことを感じた。
前川亦吉夫婦は、本業の宿屋そっちのけにして、お道のおたすけに奔走した。今の越乃國大教会の道はここから始まるのだが、亦吉夫婦は、そんなことで貧乏したもののようだ。
その子供は、近江八幡に丁稚奉公に出されて苦労したという。しかし、奉公から帰って、私が訪ねていったときには糸屋などをやって、相当豊かに暮らしておられたようだ。
また、今の明拝分教会の功労者の久保田登氏の場合が同じだ。
久保田さんの母は明治15年ごろ、宮森与三郎先生から神様の話を聞いて、 とにかく人助け、人を喜ばせることに専念し、子供の登さんには、菓子一つ、鉛筆一本も買ってくれず、他人ばかりを喜ばせていたという。
ところが、昭和の初めごろ、登氏が40歳か50歳か、そのころにトントン拍子に金が儲かった。 彼の商売は京都五条の株屋だった。あんまり儲かるので、淀の大橋にダンスホールを作ったりしていた。
雑感
道の御用に専念して、毎日にをいがけ・おたすけと称して歩いて回ることに一体何のメリットがあるというのだろうか。
そんなことよりもしっかり就職して稼いでいる方がよっぽど世間体も良いし、家族も養えてかえって天理教の良いにをいがけになるのではないか⋯。
そう考えられる方も少なくないと思う。
布教に歩く当の本人達もまた、そういった葛藤の中で日々を送っている。
…ピーナッツ然り。
高野友治先生という方は、自ら現場に足を運び、国々処々に散らばった天理教の古い伝道者達の足跡を辿り、その末裔達の今日の様子や、証言を直に見聞きして回った。
その結果浮かび上がってきたものは、入信当初の先人達からは考えられないくらい伸び栄え、成功を治めているそれらの子々孫々の姿だった。
親々の業績をひも解けば、 道に尽くしおたすけに奔走したものの、さしたる発展を見たわけでもなく、借金苦にのた打ちまわった方もあっただろう。
それでも孫の代には繁栄した。
たすけっぱなし、恩のかけっぱなしで見返りを得ることもなく、草の中の聖として本教伝道史の中にさしたる名も残さず忘れられ、埋もれていった方もいただろう。
それでも子孫は取りこぼすことなく、成功に次ぐ成功の渦中にあった。
道に尽くした理は、結果の如何に関わらず、絶対にどこにも消えないのだ。
それどころかむしろ千倍万倍になってまた手元に戻ってくる。
いずれの先人も、道中は先が見えなかったに違いない。
そんな捨て石のごとく散っていった先人達の背中を目標とし、未来に楽しみを見出したい。
余談
これと真逆の話も知っている。
ピーナッツの教会と、それに縁あった方々の話だ。
古い時代、私の教会の初代は道を広める道中で、自らの類縁の方々にもたくさんにをいをかけていた。
その中で、真面目に神様の話に耳を傾け、やがて信仰していった方もいたし、形だけ信仰し、根っからではなく縁故的な浅い信者の方もいた。最初だけちょっと教会に出入りしたものの、結局道がつかなかったものも、そもそも全く耳を貸さず、何なら、天理教狂いするなら親戚の縁を切ると言わんばかりに離れていった人もいたそうな。
反応は様々だった。
やがて月日は流れ、代は代わっていく。
ピーナッツにとって、最早初代さんのことは古い老齢信者さんの思い出話や、額の中の御霊様のお写真の中の存在でしかない。
2013年、色々あって先述のにをいがかかり切らなかった古い縁者をたずねてまわる必要が出て、実際にまわって歩いたことがあった。
そこで思わず息をのむ。
なんと、本格的に信仰につかなかったり、縁を遠ざけていった古い親戚の多くの家が衰退し、立ち塞がり、一家断絶し、土地建物も、なにもかも全て消えてしまっている方々がほとんどだったからだ。
ある家は賭博からの借金苦に、ある家の主は悩みを抱え自死を選び、ある人は病苦の果てに…といった顛末を良く知る土地の人に話をきき、言葉が出なかった。
初代さんからにをいがけされていた頃が、この方達の一家にとっての運命の岐路だったんだ、おそらくきっと…(;´・ω・)
当時ちゃんと教会について来て下さり、現在も教会にとってなくてはならない信者さん方となっている皆さんは、多少の苦難、病気、経済不安などはあっても、それでも皆さんご高齢だし、お子さんお孫さんしっかり太く自立されている方もいるし、なんやかんやで日々年限を重ねて来られただけ通り方をされている。
道がつくかつかないかは些細で何気ないようで、本当に大きな分かれ道なんだろうな…。
見方が見方なら、信仰しないと人生ダメになるみたいな脅しとも取れるので、これはあくまでもほんの一例として受け止めてほしい。
そういう側面もあるのかもな、ぐらいに。
大切なのは、道に尽くした理は絶対に消えない、むしろこちらなのだから。
【2015.7】
ここまで読んでいただきありがとうございました!
それではまた次回(^^)