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152.教話雑感(24)-陰口は自らを害する猛毒を生み出す-

◆教話「エルマ・ゲイツの実験」

人間の呼吸する息は、ふつう肉眼でみては解らないが、これをガラス管を通して液体空気で冷却すると沈殿物ができる。

その沈殿物は、出す人の感情によって色が違う。もし、その人が腹を立てていると、数分以内に栗茶色の沈殿物になる。苦痛や悲哀の念にかられていると、灰色の沈殿物になる。後悔の情に懊悩していれば桃色の沈殿物となる。

この腹立ちによって出た栗茶色の沈殿物を集めてハツカネズミに注射すると、数分間で死んでしまう。これは腹が立つことによって我々の体内に毒素ができる。この毒素は、今までの科学の力では知られなかった、最大の毒力
を持つものである。一人の人が一時間腹を立て続けると、八十人を殺すだけの毒が出る。


我々は腹を立てることによって、自分で毒を作って、自分で自分の身体を害しているのである。

反対に、陽気で朗らかにすることは、血を浄め栄養物を増して健康を保つことになる。腹を立てると、血液が酸性になり、また、先の実験からわかるように体内に毒ができて色々の病気になる。長生きの秘訣は、やたらと腹を立てないことである。

次にちょっと信じられないような極端な実験が発表されている。植木を二つ並べて置いて腹が立った時は左の植木に水をやる。嬉しい時は右の植木に水をやる。すると、左の植木は極めて育ちが悪いが、右の植木はすくすくと大きくなるという。腹の立った時には、水も乱暴にかけるだろうし、同時に毒素を吐きかけるから植木は育たないのであろう。嬉しい時には水も丁寧にやるだろうし、同時に栄養素を吐きかけるから植木は大きくなるものと解釈される。

この実験から、私には思い当たることがある。
私は講演をして日本中を歩いたが、地方へ行くとしばしばこんな話を聞く。
『腹を立てながら梅を漬けてはならない。シソの色がつかない』という。

楠原久司『心の医学』より

雑感

楠原久司氏は、天理教に入信した医学博士である。

上記の文献は出版元こそ道友社や養徳社とは違うけれども、天理本通りでもよく見かける三崎書房から約60年前に出版された広義においてのお道の書物に類するものだ。

天理教の教えを自身の体験的悟りにより科学的・医学的にアプローチした一冊である。


以前、耳ににしたことのある「銀座まるかん」の創業者である実業家・斎藤一人氏の講演録に、これとよく似たような話が語られていた。

繁盛する店、繁盛しない店の違いに触れ、客がいない時に店員が悪口や陰口、不平不満の言葉を発している店には、その店員の口から目には見えない猛毒が吐き出され店内に充満しているため、客はそれを直感で嗅ぎ分けて店に寄り付かず繁盛しなくなるのだという。

反対に、日頃から店員がきれいな言葉、感謝の言葉を多く発している店には良い香りに包まれており、客はその匂いに引き寄せられて集まって来るから店が繁盛するのだと。

口から出す言葉、出る感情には、良くも悪くもそれだけ人に影響を与える力があるということなのだろう。

だったら、教会もそれを注意し、心がけて…と、そんな風に発想したいところだけれど、教会を受け持つ側はともかく、外から参拝に訪れる人達となると、そう簡単にはいかない。

日々の人間関係等で溜め込んだ心のゴミを吐き出しにやってくる人だっているのだから。それなのに、先述の話を引き合いに出して、「不平や不満を口にしてはいけない」等と牽制などしようものなら、それこそ本末転倒だ。

世の空気に揉まれ擦り合い、我慢して抱え込んできた心の澱みは、しっかりと受け止めて差し上げて、一緒に掃除のお手伝いをするのが教会の役目である筈なのだから。

教会はゴミ箱だ。

おたすけ人は、ゴミ箱だ。

汚れたものを受け止める、ゴミ箱でありたい。



【2018.6】


余談

日々、ちょっとしたことで一瞬イラっとすることは多々あるものの、それは全く尾を引くことなく、その一瞬の間に塵となってどこかへ消えてしまうことの方が多い、この頃のピーナッツ。

それほど根深く腹を立てることが少なくなったのは、ちょっとは成長の証しなのかな。

だが妻は、若い頃から一貫して感情のままに生きているので、そんなわけにもいかないようだ。

職場で嫌な事があった、こどもの部活やクラブの人間関係で変なことが起きてこじれただの、なんだの、家に帰ると感情的になって逐一報告して下さります。

本当はもっと賢く感情を俯瞰してコントロールして生きた方が生きやすくなるんだけどなぁ…と思うんだけど、やっぱり女性はそうもいかないみたい。

“いつも気分よく”

“自分から出した感情通りの物事が、後からやってくる”

“いまこの瞬間、感じていることが最も大切なこと”


40代に入ってようやく心底感じ、見つけた生き方がそれなんだ。

こども達にも言葉にしてそれを伝えている。

今日の、いま一瞬・一瞬のうちにも、自分達の口から何気なく放ったものが、結局自分に向けて返って来る。

それは自分次第で徳にもなるし、毒にもなる。

気をつけないとだね。


今回はここまで。
ここまで読んでいただきありがとうございました!
それではまた(^O^)

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