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81.おさづけってどうやったら効くの?

ご無沙汰しております。

ピーナッツです。


特に意味はございません。


しばらく行事という行事が重なり、研修会という研修会が重なり、note投稿から気持ちが遠のいておりました。
そしてようやく帰ってきました。

しかし、一度noteを編集・投稿するというサイクルから離れると、再び元のテンションには戻りにくいもので、先月末から「いつ復活しよう…」と考えあぐねておりました。いつまでもPCを開いてキーボードを打ち込まないでいると、このままあっという間に年末が来ちゃいそうな気がしましたので、ちょっと頑張って再開しようとしております。

なので、今回はピーナッツの投稿リハビリ回です。
いつもとなんか少しノリが違うなと感じられたとしても、どうか大目に見てやって下さい。

余談ながら、11月に入ってからの急な気候変動の影響で体調不良でもありますのでぼちぼちやっていきますね。

あと、今回のタイトルでは「おさづけ」に関して触れていますが、これから語る内容は教理的な裏付けは一切ございません。あくまでも個人的な悟りです。どうぞご容赦を。


第3回ようぼく一斉活動日の反省会にて

先日、私の地域でもようぼく一斉活動日が開催され、その後主要スタッフが集まって反省会をしました。
振り返りは程々で、自然と「半年後の次回はなにを企画するのか?」の話題にも話は触れていきます。

〇〇支部では深谷忠政先生の過去映像を視聴して、“効くおさづけとは”というテーマで活動日をやったらしいよ(';')

と、ある先生が他の支部から聴いた情報を共有すると、にわかに盛り上がりを見せます。来年はうちの支部でもやってはどうか? とか、若い頃の深谷忠政先生とお会いしておさづけのことでこんなこと言われた、あんなこと言われた、なんて思い出話なんかも出たり。

ピーナッツはちょっとだけ違和感を覚えていました。
ほんのちょっとだけです、あくまでも。

おさづけをテーマに一斉活動日をするのは全く構わない。
そこにニーズが確かにあるのであれば。

違和感を覚えたのは「効くおさづけ、効かないおさづけ」という部分でした。

以下は、本当に個人的な悟りです。
決して一般論ではありませんので念を重ねてお伝えしておきます。


おさづけに、効く・効かないを論じ合いたがるのって、「効かない」って深層意識で最初からそう思い込んでいるからなんじゃないのか?


“効くおさづけとは”という言葉の奥には(おさづけはなかなか効かない)という、無意識ではそう思い込んでいるからなわけで、そういうおさづけはまず効かないでしょう。残念ながら。だって“心通りの御守護”なんだもの。


「効くか・効かないか」じゃなく、「取り次ぐか・取り次がないか」だと思うんですよ。効果を考えている、結果を考えている時点で既に信じちゃいない、心のどこかではまだ疑っている。

だって、効くし。
100%効くし。
普通なら、絶対効いているし。

効く・効かないなんて、考える必要は全くないのがおさづけだとピーナッツは思っています。

私の息子達は父のおさづけを強く信じています。
特に末っ子なんかはおさづけの狂信者です。
ちょっとでも痛かったらすぐ「お父さん、おさづけして」と来ます。
おそらく、かつて本席様御在世だった時代に信者がどうでもいいことでもすぐにおさしづに神意を仰ぎたがっていたあの感じ、末っ子を見ていると何だかわかる気がします。
あぁ、信じ切っているってこういうことなんだなぁって。
神様は絶対救けてくれるって頑なに信じています。
だから、末っ子が熱を出してもおさづけを取り次ぐと快癒が頗る早い。

ところが、家族の中で唯一おさづけがほとんど効かない者がいます。

妻です。

何故なのか?

(こいつ何でもかんでもすぐおさづけおさづけって…)という呆れた気持ちでいるからで、するとやっぱり心通り、妻にはおさづけの効き目の打率が相当低いです。そして彼女はますます「ほら効かないじゃん」となります。
悪循環なんですね(;^ω^)


以前noteに投稿した修養科シリーズのあの当時以来、20代前半の頃から私は、毎日おさづけを取り次いだら、その回数を記録するようになりました。
わかっている範囲でですが、現時点で私はトータル2万9000回ちょっとおさづけを取り次いできました。多いか少ないかはわかりませんが、色々聞こえて来る噂では、わたしなんかよりも遥かに取り次ぎ回数を積み上げている人の話を耳にするので、これは全く誇れるような自慢できた数字じゃないと思っています。

しかしながら、おさづけは、取り次ぎ回数を裏切らない。

これは確信しています。
だから、効くの効かないのなんてそんなのいいから、ガンガン回数重ねてとにかく取り次いだらいいんです。
病人さんがいたら頭下げてお願い倒して、断られたら無機質な玄関の扉だろうが、空中だろうが、(たとえその形式が教団の教えからは逸脱していてたしても)救けたいなら遮二無二に取り次ぐんです。

ある病人さんの玄関先で一心に祈っていて、ちょうど女子高生の集団が横切って「なにあれ、きっもー」って笑われたことなんて何度もあったし、突き飛ばされたり、付近住民に怪訝な目で見られたり、色々あったけど、そういう阻害は、救いを提供する側の魂や救済力をちゃんと磨くんだと私は思っているのです。


…とまぁ、オチは特にないけれど、このところ年祭活動の後半に差し掛かり、「いま、年祭活動残りの期間私達にできることは」とか「ご守護を頂戴する為には」みたいな全く意味の薄い妙な論が遣り取りれていることに、ちょいと一石を投じてみたくなってのこの回でした。




ま、エラソーなこと散々ぬかしといてピーナッツは最近特になーんもやってないですけどね(・ω・)‼




娘とアマプラで「ハンターハンター」を毎晩楽しんで観ています(^^)‼←動け


noteもボチボチ書いていきますので。
それではまた('ω')ノ


【2024・11・9】


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