第二十一話 A mosquito,my libido,yeah(Smells Like Teen Spirit/Nirvana)
勝手な見解であるが
少しこの話ししてみようと思う
1991年に発売されたニルヴァーナのセカンドアルバム
『ネヴァーマインド』
からリリースされた先行シングル
『Smells Like Teen Spirit』
それまでにロックミュージックを牽引していた
派手なルックスながらも歌詞に大きな意味を持たない
音楽に重きを置いたハードロック
MTVを意識したアイドルロックバンド等の類が多い中
そんなメジャーであった音楽ムーブメントに
突如現れた
憂鬱で地味な見た目
半ば意味不明ながらも一定のメッセージ性がある歌詞と
万人受けするメロディを持ち合わせた
当時の音楽ムーブメントに大きな衝撃を与え
これが音楽転換点となり
その後以降の「グランジ」という音楽ジャンルをメジャーに押し上げ牽引したバンド
ニルヴァーナの作り出した
グランジとは
1989年頃からアメリカ
シアトルを中心に興った潮流である
オルタナティヴ・ロックの一つ
パール・ジャム
サウンドガーデン
ダイナソーJr.
マッドハニー
といったバンドがアルバム・チャートで
成功を収めたことで
それまでヘヴィメタルが多かった
当時の
アメリカのロック・シーンを革新し、
ダメージジーンズとスニーカー
ネルシャツやTシャツといったスタイルを確立
ロックミュージックのファッションにも影響を及ぼし
当時の若者に大きなムーブメントを起こしたジャンルである
本当にセンセーショナルなデビューを飾ったが
カードコバーンは
ニルヴァーナの突然の成功により
コバーンは同世代の声として歓迎されたが
「自分のメッセージや芸術的ビジョンが世間に誤って解釈された」と考えた
これを恨み、この曲をプレイする前に「契約の関係で仕方ないからこの歌を歌う。だけどこの曲は俺達の人生を、そしてシアトルを台無しにした。そして多分、お前らも」と発言をしていた
結果として、ニルヴァーナの最も有名な楽曲であるにもかかわらず
カートが最も演奏したがらない楽曲となってしまったのは
ガンダムで語ったバンダイと富野監督との確執に似ている
曲が売れるが自分達のやりたくない曲で
事務所と揉め、それでも続けるか辞める葛藤があるのだと
思う
カートは
自身のイメージや思い通りに曲が作れない苛立ちや
少年時代からの
双極性障害と20歳頃からの持病であった原因不明の胃痛に対する鎮痛剤として使用したことに端を発する薬物依存症に苦しんでいた
ローマでの自殺未遂を経た末
1994年4月5日、シアトルの自宅で薬物を服用の上、
ショットガンで頭部を撃ち抜いて自殺しているのが発見された
遺書には強烈な筆圧で
親交のあった
ニール・ヤングの「マイ・マイ、ヘイ・ヘイ」の歌詞の一部「It's better to burn out than to fade away」
(だんだん消えていくよりも燃え尽きる方がいい)
が引用されていた
さらに
ステレオからはR.E.M.の
アルバム『オートマチック・フォー・ザ・ピープル』が流れっぱなしになっていたという
壮絶な最後である
このフレーズの意味も何もない
汚い正にグランジである
しかし彼の偉業は
間違いなく世界遺産に等しいと自分は思う