第五十二話 てめぇのケツ何度も追った 次は俺が置き去りにする番(知らざぁー言って聞かせやしょう/TOKONA-X)
TOKONA-X
TOKONA-Xは、
日本のヒップホップMC。
通称、T-X、BIG若旦那、トコナメ、トウカイテイオー。
神奈川県横浜市で生まれ育つが、
家庭の事情で愛知県常滑市に転居
その後ヒップホップと出会い、
ラッパーとしての活動を開始し、刃頭とのユニット「刃頭 & TOKONA-X」としてさんピンCAMPに前座で出演
後に「ILLMARIACHI」を刃頭と結成。
AKIRA、"E"qualらと共に3MC'sの「M.O.S.A.D.」の一員として活動もしていが
2004年に伝説だけを残し急逝。満26歳没。
TOKONA-Xのラップスタイルとして
特徴的なのが、自身の活動拠点でもある名古屋への思いを込めたラップが多いというところ
楽曲の中のリリックのいたるところから
東京のシーンに負けない名古屋のスタイルを発信し続けたいという思いを感じ取ることができる
後は何といっても、
TOKONA-Xにしか出すことができない
特別感や
オンリーワン感が、
今なお人々を魅了し続ける理由であると思う
彼の作る曲にはTOKONA-Xにしかできないリリックや
声の出し方、グルーブ感や迫力を感じることができる
伝説のライブ
さんぴんCAMPの前座としてマイクを握った17歳のTOKONA-Xは開口一番
「名古屋だがや!」と叫び、
渾身のラップを披露。
当時観客席でTOKONA-Xのライブを見た横浜のラッパー
サイプレス上野も
「とにかくカッコいい。
ものすごい東京とかを煽って。会場が盛り上がったっていうのは覚えてるんですね。すげーの出てきたな!みたいな」
と当時を振り返っている
TOKONA-Xは若くギラギラとした独特の迫力を全面にむき出しにしライブを続けいた
その内容は東京を中心に進んでいく
HIPHOPシーンに対する
アンチテーゼを含んだものが多く
名古屋にも
ヤバいラッパーがいると
主張しているのであった
超大手レーベルDef Jam Japanと契約をし、
2枚目のアルバムの発表が待ち望まれた
2004年11月22日、当時のネット掲示板に
「TOKONA-Xが死んだらしい」
という情報が流れ始めます。
当時はSNSもそれほど使われておらず、
公式での発表も遅れたことからネット掲示板は一時騒然
『ECDが「やばいものを掴まされたらしい」』と言っていたなどの不確定情報が溢れ、当時のヘッズたちは掲示板に張り付いて最新情報を集めようとしていたという。
そんな中TOKONA-Xが所属するDef Jam Japanから
「熱中症による体力低下で心肺停止でTOKONA-Xが亡くなった」という公式発表が出されました。
この突然の訃報にラッパーのDABOは「すぐには泣けなかった。頭が真っ白になってそれどころじゃなかった」と語っていたな
26歳という若さで大手レーベルと契約を結び、これからさらなる活躍が期待される中での急逝は、日本語HIPHOPシーンにとって痛すぎる損失だと考えてる人も多かった
TOKONA-Xの死後は、TOKONA-Xと活動を共にしていたDJ RYOWを中心にTOKONA-Xの曲をリミックスする動きが出始め
その結果、同年代の般若やZeebra、近年のHIPHOPブームの最先端を走るR-指定やAK-69など数多くのラッパーがTOKONA-Xと共演
TOKONA-Xの曲と存在は、現在も日本語HIPHOPシーンに大きな影響を与え続けている
曲名の
『知らざぁー言って聞かせやしょう』
は
歌舞伎に出てくる
『白波五人男』
この話も面白い
この歌舞伎が
戦隊モノの五人に繋がってるというのは
また今度のお話で